Monologue2001-16 (2001.3.15〜2001.3.18)

「2001.3.18(日)」雨後晴・御中

 御中。おんちゅう。
 広辞苑によれば「個人あてでない郵便物を出す時、そのあて名の下に添える語。」とある。
 そう言えば昔「御中ッ!!、オーレのっ肩を〜、抱きしい〜めてえくれえ〜・・・」などと言う歌があった。
 ん?それは「御中」では無く「Want You」だって?
 はははは、これは大変失礼つかまつった。

 僕は御中自体を責めるつもりは無いが、全く御中程、今その存在意義を見直さなくてはいけないものは無いのでは無いか?と思う。

 特に企業等からの返信葉書や封筒等に書かれた「〜行」を「御中」に改める作業というのは、かなり一考を要する改善要事態では無いかと思う。いや一考どころか最低3.5考乃至は5.5考位はしてもらいたい。

 あの作業ほど今や形骸化してしまった作業は無いように思う。
 もし今「形骸ベスト10」などという妙ちくりんなランキングでもあったならば、この「御中改め作業」はかなり上位に食込んで来ると思われる。
 ちなみに最近の「内閣総理大臣」などは、このランキングでは見事初登場1位を獲得できるかもしれない。宇多田ヒカルや浜崎あゆみも真っ青である。

 個人が1社か2社宛てに出す書状を改める位なら支障はそれ程無いかもしれないが、企業などのように大量に郵便物を扱う所では、この事務作業も馬鹿にならない。
 事務用品屋では「御中」用のハンコなども売られていると聞く。このハンコを利用し「〜行」と記された何百通という封書にチマチマと「御中」印を押していくのである。
 この作業、労力に見合う程の効果がどれだけあるのか甚だ疑問を感ずる。
 きっと送り返されたこれらの書状を開封するのは、御中などどうでもいいじゃねえかと思っているバイトやパートの方である可能性は大きい。そして封筒は開封後すぐに破棄され中の書類は別の場所にファイリングされるのである。
 その後かように膨大な御中に込められた儀礼的配慮は、こうして事務所のゴミ箱の中で「Want You!!」などと言いながら、かどうかはわからぬが、クシャクシャになり、あるものは八つ裂きにされ花粉症の鼻をかんだティッシュと共に燃えるゴミとして消えていくのである。

 御中は尊敬の意を含んでいるが、こうなると誰に敬意を払っているのかも良くわからなくなってくる。
 意外に隣り合わせに捨てられたティッシュの鼻水に敬意を表しちゃってるかもしれないのである。
 鼻水も「御中!!(want you!!)」などと言い寄られ、ややもするとその気になり「そおかい?照れるなあ」などと御中と記された封書の残骸にベットリと擦り寄って来るかもしれないのである。

 考えて見ると返信用の宛名に「〜行」と謙遜、というより卑下してくる企業も、何もそんなところで卑下することは無いのに・・・とも思う。もっと堂々としてればイイのに、と思う。どうして卑下したっ!!と逆に津川雅彦風に追求したくもある。
 「〜行」だと貨物列車みたいだから「どうせあっしゃーシガナイ荷物運びの流浪の貨物列車と一緒でさあ、笑ってやっておくんなせえ」などという自嘲的な意味なのであろうか?
 でも今の時代「〜行」と書いてあるのを見て「よしよし、お前は自らが貨物列車であることを十分認識しているな。褒美を遣わそう。苦しゅう無い、近こう寄れ。」などと「〜行の謙遜」を一々チェックしご満悦する程暇な人がどれだけいるか甚だ疑問である。

 こんな風潮を見兼ねてか最近では、もう開き直って、最初から返信用封筒に「御中」と銘打ってくる大胆な企業もあるのである。実に勇断、英断であり、見習うべき態度である。

 てゆーかー、最初から「御中」なら「御中」、「行」なら「行」で統一すべきなのでは無いか?
 英語はこういう場合FOR辺り一発で済むのであろう。
 「御中」あるいは「行」のどちらが良いか?などと考えて見ても、どうもどっちにしたってさほど重要な問題でも無く、どちらかと言えば語感を重視した実に叙情的な問題であるように思える。
 だったら最初から叙情的な局面にだけ使用すればいいのにな、と思ってしまう。
 きっと御中使用の黎明期には、その叙情的効果は絶大なものであったろう。
 しかし今やその使用環境の全面的見直しが必要な時期に来ているのでは無かろうか?
 今や御中使用の叙情的効果よりも御中統一のもたらす作業軽減・精神的負担軽減のメリットの方が遥かに大きい気もするが、気のせいであろうか?

 しかしこういう提言は一体、誰に言えばいいのであろうか?。
 どこに言うと直してくれるのであろうか?。
 小さい頃であればお母さんか先生に言えば良かったが、まさか「御中〜、やだ〜あっ!!御中がいじめた〜」などと母に泣きつく訳にもいかない。
 学級会も無いし、給食費ネコババ問題のように「帰りの会」で話し合って解決する問題でも無い。
 まさか国が解決してくれるのであろうか?。
 景気より先に「御中問題」に取り組んでくれるのだろうか?
 有り得ないな。

 一体日本全土に「御中を使ええ〜!!」と御中使用を決め、その管理をしているのは、いずこの団体・機関・人物なのか?
 誰もそれがわからない、ということであったら、僕はそれは幽霊などよりも結構恐い事態だと思っちゃうのである。

 今日は文中に?が多かったですな。

「2001.3.17(土)」雨・アウトサイダーと歴史

 人は年をとると「近頃の若いもんは・・・」などと言いがちになるようであるが、私モテナイ独身エトランゼに限って言えば、最近あまりそういう思いになることが無い。
 いろんな職場や店などで自分より若い人を沢山見かけるが、皆僕なんぞより、よっぽどしっかりしている。
 僕などはウンザリして逃げたくなるような仕事でも、文句は言いながらも堅実にやっている。
 普通に周りの人とコミュニケーションを取っている。
 結構地に足がついた、ちゃんとした意見を持っている。

 それを考えてると最近もしかして、僕はかなり社会的に駄目な人種に属するんじゃないだろうか?と不安になってこなくも無い。それも最近わかってきた、というのが遅すぎんじゃないか?という気もしないでも無い。
 僕は一体何が人より優れているのか?自信を持って言えるものが何も無い。
 モテナイ、金無い、定職無い、家も無い。人付き合いもあまりしない。
 あるのは中途半端な放浪癖。

 これは、もしかしてアウトサイダー?
 アウトサイダーなどというと、仮面ライダーの仲間か何かでヒーローめいて聞こえて来るが、要するに社会からのつまはじき者、ということになる。

 徒然草の作者の吉田兼好なども、徒然草を読むと随分俗世を忌み嫌っていたようなニュアンスが受け取れるが、ああした一種のアウトサイダー的人も、あれくらいのレベルになれば、後世にまで名を残せるんだな、と少しは慰みにもなる。

 要するにアウトサイダー的な生き方をしても、それで良いんだと、歴史が言ってくれる。
 歴史に自分の生き方の正しさを証明してもらおうとしている。
 だから最近歴史に興味が出てきたのかもしれない。

「2001.3.16(金)」晴・果報は寝て待て

 良いことがあった。大変良いことがあった。
 この時期良いことと言えば、善良なる市民の方であれば就職が決まったり、受験に合格したり、まあお子さんが合格したりする人もあるだろうし、あるいは出産し家族が増えたなんてことも良いことかもしれない。

 一方モテナイ独身エトランゼの良いことと言ったら、そういう善良なる市民の方の善良な良いことに比べたら「良いこと度」のレベルは相当低レベルであろうと指摘されても何ら反論はできない。
 ご察しつかれるかもしれぬが「大方モテタ系の話でしょ・・・」と指摘されそうでもある。
 ま、これには何ら反論はできない。

 もちろん「モテタ系」の話と言ったってモテナイ独身エトランゼのことであるから高は知れている。
 高は知れているが、一応年度末なので在庫棚卸しの意味も込め、ここでお話ししておくことにする。
 なぜ在庫棚卸しなのか?と問われても困るが、とにかく話すったら話すのッ!!(なんで逆切れなんだよ・・・)。
 今日は本当は旧鎌倉街道を歩いたのであるが、そんなことは別途後回しにしていつか書くこととし、本題を急ぐこととする。別に急ぐ理由も無いが、とにかく急ぐったら急ぐのッ!!(また逆切れかよ・・・)。

 それは電車の中で起った。
 とある駅で特急に乗り換える為に僕はホームで音楽を聴きながら待っていた。
 僕は電車を待つ列を少し離れたところに居たので僕の前には数人の客が割り込むように入って来ていた。
 まあ別に日常茶飯のことなので別に気にも止めなかったが、その中に20代半ばくらいに見える僕とほぼ同じ位の背丈の髪の長いOL風の女性がいた。
 この時は特に何があるでも無かった。

 電車が来たので乗り込む。結構な混みである。
 僕は先程の女性の後ろにつくような体勢で乗り込み、乗車後クルリと女性には背を向ける形でドアに向かって向きを変えた。
 女性は僕の後ろの位置で僕に対しては横向き、すなわち垂直の向きになるような位置のようであった。

 電車が出発し、しばらくして電車が少し揺れ僕の回りにもわずかなスペースが出来た。

 その直後である。
 窓ガラスに僕の後ろの先程の女性が、なんと僕の方に向きを変えたのが映った。

 つまり僕の背後少し右後ろに女性が僕と同じ向きで位置することになったのである。

 ここまで来るともう僕が何を言いたいか、ほぼお分かりいただけたかと思う。
 そう、その通り!

 なんと彼女は貞子であった・・・いや失礼。
 なんと彼女は密入国者なのであった・・・違う違う。
 なんと彼女は新興宗教の勧誘なのであった・・・イヤイヤ、そうじゃないのですな。

 そう、アレですよ。
 あのう、電車が揺れる度に彼女の前面が僕の二の腕に密着してきたのである。
 簡単に言うと、当たっちゃったのである。オ○パ○が、である。

 アレが当たると男性陣は、ハッとする。
 女性のバッグや衣服は無機的な感触なので何〜んの感慨も無いが、アレは非常に暖かいので大層人間的な喜ばしいような感触がヒシヒシと伝わって来るのである。
 時にアレは非常に弾力性に富んで固さがある為、男性陣にはすぐそれと察知できるのである。
 今日の女性はふっくらという感じでは無かったが、暖かく鋭利な固さがあったので、俗に言うロケットオ○パ○類の系統の御方であろうかと推測された。

 ところで当たって確かに嬉しいのではあるが、こちらの対応策にはホトホト困る。
 あからさまに嬉しそうに顔をほころばせるのはオカシイし、かと言って不快そうに身体を避けたり紳士的に距離を置くなどモテナイ独身エトランゼには勿体なくてする気も起らない。
 こんな場合とりあえずは気づかぬ振りをするという選択肢しか無い。

 ところが顔は気づかぬ振りをするのであるが、他の部分で本能的に暴走しがちな性格の部位があり、その彼の対処にはホトホト困る。
 暖かく固いロケットオ○パ○に同調し、自らも暖かく固いロケットになろうとしているヤツがいるので困る。まさにロケットボーイになりたいらしい。「コマネチッ!」ならず「ロケットボーイッ!!」みたいな。

 もうこんな時は車窓でも涼しげに眺めつつ我慢するしか無い。
 良く金回りが悪くなっててんてこ舞いになることを「火の車」などと言うが、こちらのロケットボーイも、まさに別の意味で火の車になっている。

 まあ、幸い、なのか非幸いなのかどうかわからぬが、次の駅で降りなくてはいけなかったので、この至福の状況は一時期のわが国の政権の如く短命政権で終わった。
 しかしながら降りる際、彼女が僕を抜いて降りていき、その降り際に最後のオ○パ○一こすりを一発お見舞いしてくれたので、僕は眩暈でクラクラしそうになりツンノメリヨロケつつ下車するというオマケもつくこととなった。

 さて、こんな本日の至福の状況であったが、最後の結論として手前味噌になってしまうかもしれぬが、僕は普段モテナイ独身エトランゼという悲しい身分に甘んじ大人しくしていた為に神が見兼ねて与えてくれた、ご褒美だと思っている。
 昨今京王線で女性専用車両が出来たりして、その男性、特に痴漢に対する女性側からの弾圧・排除・嫌悪は日に日に勢いを増しているようである。
 こんな悲しい現状を引き起こしてしまったのは、やはり男性陣が自らの欲望のみを優先し女性の立場を考えなかった為に引き起こしてしまった報いだと思う。
 男性諸君、昔から良い言葉があるでは無いか。
 果報は寝て待て、と。

「2001.3.15(木)」晴・ジャンバラヤ

 僕が初めて自分の小遣いで自分で買いに行ったレコードは、カーペンターズの「ジャンバラヤ」というレコードであった。
 なぜ「ジャンバラヤ」なのかは、もう覚えていない。たまたま店にあったからなのであろう。
 只なぜカーペンターズなのかは覚えている。

 小学校6年の時だったと思うが、当時卒業生を送る会だったか、学芸会だったか、何かそういう学年全体の催し物が有り、それにクラスの中でいくつかグループを作って出し物をするということになった。

 僕は仲の良い友人2人と計3人で仲間を組んだ。
 その友人達が口を揃えて当時最も勢いのあったグループの一つでもあった、つまり流行っていた、カーペンターズの「シング」をネタに何かやりたい、と言い出した。
 僕は曲を知らないので、どんな歌かと問うたところ、友人がサビの一節を「し〜〜んぐ、しがあそ〜〜ん」などと歌ってくれたのであるが、正直申し訳ないが友人はカレンカーペンター程の歌唱力があるわけでも無く、何か妙ちくりんなお経のようにも聞こえ、僕は大丈夫かと不安になってしまったが、まあこちらに代案があるわけでも無く、特に反対もせずそれを受け入れることとした。

 それから早速友人の家に集まり、催し物の練習をすることになった。
 友人の家には兄上がおり、部屋にはビートルズのポスターなどが貼られており、小学生の僕には、これから踏み入れるであろう未知なる大人の世界の香を感じさせたものであった。
 そしてここで実際のカーペンターズの「シング」を聴いてみようということになり、ここにカーペンターズとのファーストコンタクトがあったのである。

 「シング」のサビの部分は友人の発したサンプル音とは全くの別物であった。
 そこにはお経は無く、代わりにキラメクようなアメリカンポップスの心地よいサウンドがあった。
 歌は途中で転調したり、短調になったり、ハーモニーも綺麗で、それまで聴いていた日本の歌とは全然違う凝った作りになっていて、僕は子供心になぜか「これなら売れるわ」などと思ったものである。
 今では日本の歌と外国の歌のアレンジにそれ程差は無くなったが、当時は歴然とした差があった。

 今考えて見ると、おそらくこの「シング」でカーペンターズに開眼し、とにかくカーペンターズを、ということで、偶々店にあった「ジャンバラヤ」にまで至ったのでは無いかと思われる。
 「ジャンバラヤ」は元々ハンク・ウイリアムスの手によるカントリーウエスタンの曲であるが、カーペンターズはそれを見事にアレンジしている。
 僕が「ジャンバラヤ」というのが、じゃんばらというものの販売を営む小売店の意では無く、アメリカの家庭料理の意であることを知ったのはずっと後になってからであった。

 ついでに友人と発表したネタのお話しをするとハッキリ細かいことは覚えていないのでざっとで申し訳無いが、簡単に言うとまず3人でそれぞれ「シ」「ン」「グ」と書かれたパネルを持つ。その裏にはそれぞれ「オ」「ワ」「リ」と書かれている。
 「シング」を流した時の曲紹介の形か何かで「シ」「ン」「グ」と3人が揃ってパネルを出す所を、真ん中のヤツがボケて裏面の「ワ」の字を出してしまう。ここで一オチある。
 それで最後に「オ」「ワ」「リ」と出すのを、又真ん中のヤツがボケて「ン」を出してしまい又一オチある、などというものであった。
 この真ん中のボケ役が何を隠そう、この僕なのであった。
 
 ちなみにこのネタ、一応客が小学生だったこともあってか、そこそこの受けは取っていたような記憶はある。しかし願望による記憶間違いかもしれず、全く受けていなかったかもしれずハッキリ思い出せぬが、ともあれ役的には当時から宿命的な役回りだったようである。

 昔のことで良く覚えている事というのは、今でも人生に大きく影響を与えていることなのであろう。
 まあ逆に言えば影響が大きいから覚えているのだとも言えるが。

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