Monologue2001-15 (2001.3.11〜2001.3.13)

「2001.3.13(火)」晴・紙的運転者

 ペーパードライヴァーなんていかにも中途半端な響きの言葉である。
 林屋ペー・パー子夫妻には悪気は無いが、ペー・パーという語感がいかにも軽く中途半端な印象である。
 これが濁音が一杯入った「ダーガードライヴァー」だとか「ザーディードライヴァー」だとかそんな感じの単語だったら、もっと格調高く重厚なドライヴァーであるかのように思われたかもしれない。

 かく言うこの私モテナイ独身エトランゼも紛うこと無き歴としたペーパードライヴァーである。
 かなり自信を持ってそうだと言い切れる。
 免許を取る前には、そういう人種が世に存在することは知っていたが、まさか自分がそれになっているとは思わなかった。
 これにより「モテナイ」&「ペーパー」の2役が付き「スーパーモテナイ」に昇格しても良いくらいである。「スーパーモテナイペーパードライヴァー」である。こうなると既に「パー」が二つもくっつく程なので、その不甲斐なさ具合、運の無さ具合、格好悪さ具合などは、よほどの域に達しているものと思われる。

 この人種は普通喉から手が出るほど成りたいと思ってなるもんでも無い。
 かといって成りたく無ければ成らないようにすることはできる、というある意味真っ当な人種なのである。
 どうすると成れるか、というと「何もしない」と自動的に成っていくのである。
 免許さえ取れば、割と簡単に成れる人種である。
 しかしこの地球においては簡単に達成できるもの関しては、あまり賞賛されないという価値観がある故、ペーパードライヴァーになり絶賛された、という話はあまり聞いたことは無い。
 むしろ成ってしまうと「成り下がった」などと言われる。
 しかもこれが「気づいたら成ってた」などという代物であるから、もしかしたら「老化」だとか「病気」だとか、そういったあまり歓迎されることの少ない類いの現象と同類の範疇に属するものなのかもしれない。

 そんなペーパードライヴァーの運転は、いかにも名前通りに頼りない。
 良く熟練ドライヴァーの方々が、ハンドルを片手で操作し(本当はいけないようだが)、車内で歌を歌いながら運転したりしているが、僕にはとてもできる芸当では無かった。
 いつぞや試しに車内でカーステに合わせ歌おうと試みたら、第一声から声が上ずり自分でもかつて聞いたことの無いような奇妙な高音の奇声が発声され、あまりの突拍子の無さに、誰か他の人間が後ろで声を出しているのか?と耳を疑い後ろをハッと振り返ったくらいである。それ程運転時は緊張している。

 運転時車にささっているキーに付いているアクセサリーが、時々膝に当たる。
 熟練ドライヴァーの方々であれば全く気にかからないのであろうが、スーパーモテナイペーパードライヴァーはこれで異常にナーヴァスになることができる。
 ナーヴァスになると逆方向に想像力が逞しくなる。
 それでエアバッグ装着の車であると、なぜかここで出し抜けにエアバッグが破裂するんじゃ無いか、などという妄想に駆られて来たりする。
 更に想像はドンドン拡がり、最終的に世界大戦・人類滅亡にまで達する。

 スーパーモテナイペーパードライヴァーの運転は鎖の放たれた犬の如く当てども無くやみくもに放浪する。
 それで何の意図も無くむやみに駅に近づいて、駅のロータリーに迷いこんで戻れなくなり、用も無いのにタクシーの方々の冷たい視線を浴びつつ駅前をグルリと旋回する、などという無駄な走行を一般市民の面前でご披露することもある。
 かように駅に近づくと、なぜか望む望まざるに関らずロータリーに迷いこむ宿命になるので、駅に近づくのは用がある時だけにしたい。

 スーパーモテナイペーパードライヴァーは後ろに車がつかれるのを異常に忌み嫌う。
 できれば常に列の最後尾にいたい。
 しかしたまにこちらの意に反して、ガラスに日の丸のついたステッカーの貼られた車やベンツなどの高級車などがつかれ、そんな時はとにかく何があってもブツカルことだけは避けようと、人生を賭けた集中力を発揮する。万が一事故でも起こせば、もう僕の生活レベルでどうこうできる世界では無くなってくるであろう。
 そんなことを考えるだけでもかなりのストレス、かなりの精神的消耗である。

 僕は普段結構手に汗をかいてしまうが、こと運転時となるともう手は緊張でビショビショになっている。
 女性などはビショビショに濡れる女の方が喜ばれると一部に聞くが、濡れるスーパーモテナイペーパードライヴァーは全く喜ばれる気配は無い。
 冬場に運転時の手の世界だけを垣間見てみると、とても冬とは思えない熱気に満ちた状況になっている。

 ところで運転というものは本当に注意するに越したことは無い。
 なんといっても自分が100%注意したって不十分だからである。
 むしろ災難は外部からもたらされることの方が多い。
 濡れるスーパーモテナイペーパードライヴァーも、とある国道を運転中、いきなり視界に一羽の白鷺が佇んでいる情景が飛びこんできたことがあった。道路上にである。
 幸い反対車線に車がいなかったので、ハンドルを切り反対車線まで出たことで回避できたが状況いかんによっては、今こんなノホホンと駄文をシタタメテいることはできなかったかもしれない。

 そんなことを考えていくとスーパーモテナイペーパードライヴァーには2種の選択肢しか無いことがわかる。
 一つは運転経験を積みスーパーモテナイペーパードライヴァーを脱却すること。
 もう一つは、危険は避け危うきに近寄らず、もう徹底的にスーパーモテナイペーパードライヴァーを極め、究極のスーパーモテナイペーパードライヴァー完全体を実現することである。

「2001.3.12(月)」曇時々晴・鎌倉街道日記(3)

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「2001.3.11(日)」晴・大仏

 大仏・・・。
 僕にはかなり興味深く聞こえて来る響きである。

 大仏にはいろいろ尋ねたいことがあり例えば、なぜ「仏」が「大」である必要があるのかなどという問題など、どうも一般市民には理解しかねるものがあるが、どうやら当時の為政者の権勢の象徴としていたからのようでもある。
 仏像は様々な仏の姿を模したものとされているが、果たして大仏のような姿の仏が本当に実在するのかどうかも疑わしい。
 鎌倉大仏は阿弥陀如来、奈良大仏は盧舎那仏=大日如来だそうである。
 もし大仏相当の如来が実在したとしたら、かなり体脂肪率の多そうな感のある食後に即睡眠時間を十分に取っておられた如来のように思える。

 そもそも仏といえば釈尊がお馴染みであるが、この釈尊と呼ばれたゴータマ・シッダルダという人は、実はネパール人で長身の結構な美形だったなどという説もあるのである。
 釈尊も釈迦如来などと呼ばれ法隆寺の釈迦三尊像などの有名なものもある。
 しかしそうした釈尊を模した像などはゴータマ氏とは懸け離れたイメージの造立結果と相なっているような気もしないでもない。
 もしゴータマ氏が存命であれば「えっ?これオレ?・・・うーん、ちょっと、てゆーか、かなり違いますけど・・・」と言われそうな気もする。

 大体にして日本の仏像は中国人のような顔をしているものが多いが、これは仏教が途中中国を経由した為にそうなってしまったものと思われる。
 仏像はパキスタン辺りから始まったらしいが、その当地においてはやはり当地の人に似た顔になっている。
 まあ、それも致し方無いのかもしれない。

 しかし実際問題そんなことでいいのだろうか?という気もする。
 例えば上野の西郷さんの像あたりがヨーロッパに伝わって、何百年か経ったら顔がロンゲの白人になっていた、なんてことになっていたら、ちょっと変である。いやちょっと変どころか、それを通り越してむしろ滑稽である。

 仏像に関しても、これと同じ仕打ちがなされていると言え無くは無いか?
 中国に仏教が伝わったのは釈迦の死後何百年も経ってからというから、仏像を作る人も「釈迦の顔って言われてもわかんねえしなあ・・・、もう昔の人だし、外人だしねえ・・」などとかなり困惑していたに違いない。
 それでもしかしたら「ええい!昔の人だから想像で、勝手に作っちゃえ!」などという思いで作られたかもしれないのである。

 しかしそれにしても中国を経由したから中国人になっちゃった、では済まされないのではなかろうか?。
 日本の隣が中国だったから、日本人はあまり異変には気づかなかったかもしれないが、タンザニアあたりのアフリカ諸国を経由していたら、仏像は黒人になっていたかもしれないのである。釈迦如来像は長身の美形の黒人だから、マイケル・ジョーダンになっていたかもしれないのである。

 いや、まあマイケル・ジョーダンでも良いとしよう。
 では逆に、もしアメリカ人であるマイケルの像をインド人が想像で作って、それが中国や韓国を経由して最終的に日本に伝わってみたら、松山千春になっていた、なんてことになったら、人は随分妙ちくりんなマイケルがやってきたと思わざるを得ないであろう。
 しかし大仏とは、そのくらい曖昧なレベルの状況を経て建造されるに至った巨大な偶像なのでは無いかという気もしないでもない。
 かなりしないでも無い。

 大仏は頭もでかく立ったら5頭身くらいじゃないかと思われる。
 もはや元々何国人だったかすらもわからぬようなくらいに変わってしまっているのである。
 そして5頭身にも関らずワイルドかつセクシーに大きくはだけた胸元。
 正直なところ、その姿は先入観を無くして見たら結構ユーモラスなのでは無かろうか。

 鎌倉の大仏なぞは建立当時の金箔は剥げ落ち、大仏を覆う建物は無く吹きさらしになっている。
 ぶっちゃけて言ってしまうと、かなり無下に扱われている、のである。かなりヒドイ仕打ちにあっているのである。これが如来に対する扱い?と問いただしたくなるような扱い方である。
 大仏が確かに当時の為政者の権勢を誇る為に建てられたものなのであれば、そうした用途の建造物の末路はあまり具合の良いことには無らないのであろう。
 宗教とはやはりあくまでも一人一人の心や魂の問題であるから、「仏」が「大」である必要は全く無い気もするが、まあ権力の象徴であると言うなら「仏」は「大」で良いのであろう。むしろそれなら「仏」は「大」で無ければいけないのであろう。もっと言えば「大」であれば「仏」の方こそ「仏」で無くても「寺」でも「堂」でも何だって良かったのかもしれない。
 だから僕はそんな大仏に対して、手を合わせ何かを願ったりスガッたりする気にはなれない。

 但し大仏には、僕が愛する古街道に残存する庚申塔や寺社仏閣の類いと同様に、当時の人々の意識が反映されているモニュメントととして、愛着と親しみを感ずることは確かではある。

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