Monologue2001-08 (2001.2.5〜2001.2.8)

「2001.2.8(木)」晴・てんしょく

 男たるもの天職に就いていたいもんである。
 かくいう僕も今最も自分にとって問題になっているのは「モテナイ」ということと共に「自分の天職とは何か?」ということである。

 しかしこの問を自らに問う前に、そもそも天職とはどういう職をいうのか?という問題もある。
 その前にそもそも天職などというものが現実的に果たしてあるのか?という問題がまずある。
 人間全てに天職があるのか?という問題もある。

 ここで広辞苑から「天職」を見てみると「その人の天性に最も合った職業。」とある。
 ここで「天性」などというまた混乱を招きそうな曖昧な単語が出て来てしまった。
 仕方がないので「天性」もひいてみる。
 すると「天から受けた性質。うまれつきそなわっている性質。天資。」とある。
 「天から受けた・・・?天て誰?」
 これでは埒が明かないので、一応100歩譲って天職というものはある、という前提で話を進めていこう。

 天職とは誰が決めるのか?
 自分で「この職業は楽しい!天職だ」と思っていても、その人が死ぬ間際になって「やっぱ天職じゃ無かった・・・ガクッ・・・」と亡くなってしまったら、これはその人にとって天職であったとは言い難い。
 逆に「こんなクソ仕事ッ!誰が好き好んでやるか!」などと思いながらやっていても、その人が死ぬ間際になって「やっぱ天職だったみたい・・・ガクッ・・・」と亡くなってしまったら、これはその人にとって天職であったと言える気もする。
 そうなると「天職」とはその人自身が決めるもの、なのだろうか?。
 これだったら「天職」では無く「人職」もしくは「自職」でも良かろうに、と思ってしまう。
 やっていて楽しい職業なのか?それとも苦しくても充実感があればいいのか?
 楽しくて充実感があってもやめさせられたり、年齢が来て止めざるを得なくなったらどうするのか?
 苦しくても長い間やってきた仕事はどうなのか?50年やった仕事が天職では無くて1年しかやって無い仕事が天職ということがあるのかどうか?
 疑問はつきない。

 では「天」の普遍的属性を考慮し、思い切って客観的な基準を設けてみてはどうか?という案が浮上して来る。
 そもそも「天職」などと、抽象的で曖昧な意味の単語のクセして、やたら重大めいた響きを持っているから癪に障るのである。
 だからいっそのこと「天職」にガチガチの基準を設けてしまえ!とすら思うのである。
 (なんか虫の居所が悪いようですな)。

 当然「天」自身の判断を仰ぐことは現時点では現実的に未だ不可能なので、天に変わる代替機構を設ける必要がある。
 そういえば相撲で「横綱審議会」などというのがあるから、仮に天職の判断づけをする機構を「天職審議会」などとしてみよう。

 これで大分形が見えてきた。

 「天職」の判断は「天職審議会」が設けた「天職基準」を満たしたもののみ「天職」の称号が与えられる。
 「天職基準」は過去の膨大なリサーチデータを元に作成される。
 大まかに言うと「1日の就業時間を8時間とした場合、業務遂行後の満足度数が80を越える職満日数(=職業に満足した日数)が、年間で250を越えた職業」などとする。
 これだけ具体的な数値が示されていれば文句は無かろう。

 満足度数は「天職審議会」が作成した「天職アンケート」の質問項目の回答より計算した値より得られる。
 「天職判断希望者」は毎日このアンケートに答えなければいけない。
 このアンケートはマークシート方式になっており、業後速やかに東京都荒川区西日暮里にある「天職審議会データセンター」に送信しなければいけない。FAXでも良い。
 本当は「天職」なのにマークシートの記入ミスがあると、正確な判断がしてもらえなくなるから記入時は注意しなければいけない。2Bの鉛筆を使用してほしい。

 尚「天職判断希望者」は判断希望年の前年4月までに「天職審議会」本部か最寄りの市役所に「天職判断申請書」を提出しておかねばならない。こうしておけば「天職」は希望者のみに授与される、ということになる。
 私天職いらなーい、という人は申請書を提出しなければ良い。

 60歳以上の老年者で現在就業状態に無い者は、過去に遡って「天職判定」ができる。これは通常の「天職基準」よりも若干基準設定が緩い。「シルバー天職」俗に「シル天」などと呼ばれている。「シル天」は再就職等の有効条件にはならないが、都電や都営地下鉄に休日無料で乗車できる、というメリットがある。

 パート・アルバイトなどの時給者の場合1日の就業時間が8時間を満たさない日が多い。この場合は「乙種天職基準」というのがあり、そちらが適応される。従って申請書に「乙種」の旨を明記しておかなければいけない。

 天職判断は難しい計算を要する為素人には結果予測など難しい局面も出て来る、そこでそのサポート業務を遂行する「税理士」ならぬ「判天士」なる職業も生まれ、年末「判天士」の先生が説明会で忙しそうに目を白黒反転させながら、あちこちの市民会館などに出かける姿をチラホラ見かけるようになる。

   *   *   *

 しかしこうしてせっかく曖昧な「天職基準」を明文化しルールづけをしてやったのに、こうした数値化した基準ができると必ず裏で操作する悪どいヤツが出て来る。

 年度末を迎えいよいよ「天職判断」月間になり、税金の話などと共にテレビでも「貴方の天職判断済みましたか?」などという細川直美あたりが出て来るようなCMが流されたりするようになる季節がやってくると、サラリーマンも職満日数の計算に忙しくなる。
 最終日までいくらも無いが、このままで行くと残り日数全て職満日数が満たされていないとダメ、ということになると、当然「天職アンケート」の設問を虚偽の回答で返送するものが出て来たりする。

 今年はもう無理だから、この余ったポイントは来年に繰り越して、来年分に上乗せしてしまえ!、などと考えるものも出て来るだろう。

 こんなのを続けているといずれトラブルは発生する。
 書類上「天職」の判断をされたが、実は「天職」じゃ無かった、などというのも出て来る。
 その逆も出て来る。

 前年「天職」だと思っていたら「天職」と判断され無かったと、あるサラリーマンが猛抗議をした。危うく裁判沙汰になるところだったが、調査の結果FAXで送信した数日分のデータが紙詰まりで西日暮里にある「天職審議会データセンター」に届いていなかった、ということが判明した、などということも有り得る。

 それからこういうのも有り得る。
 西日暮里にある「天職審議会データセンター」のホストコンピューターシステムのシステムにエラーがあり、本来は「天職じゃ無い人」が「天職」に、「天職」の人が「天職じゃ無い人」になっちゃう可能性もあるのである。
 「天職」だと思って浮かれていたら、西日暮里にある「天職審議会データセンター」から送付されてきた親展の通知に「テンショクジャアリマセン ザンネンデシタ」と黒インクで印字されていて「あれー?おかしいなあ、じゃ今までの僕は何だったの?ガッカリ」などとなって、翌日からふ抜けのようになってしまう。
 逆に「天職」じゃネエカラいい加減にやっとけ、などと思っていたのが西日暮里にある「天職審議会データセンター」から送付されてきた親展の通知に「テンショクデス マットウシナサイ」と黒インクで印字されていたので、「げっ!!マジ?、やっべえ真面目にやらなくちゃ」などと褌を締め直すものが出て来るかもしれない。
 システムエラーの影響はきわめて大きい。

 職満日数がいつも249で終わってしまう対象者もいるであろう。これだとイイ線までいっているのに法定基準を満たさない為に「天職」にはならない。ある年などは病欠の1日が無ければ「天職」判断が貰えたなどというのもあったりして、それは「天職でもいいんじゃないか、249と250でどれだけ違いがあるんだ」とマスコミで随分と論議されたりするが、結局審議会側がNOを下し、対象者本人は満足のいく職業なのに、たった1ポイントのせいで「天職」にならなかった、などというのも出て来るであろう。

 こうして遂には野党側から「天職基準」の根本的な見直しの要求が出され、事態は議会の解散、首相の辞任にまで発展する。
 
 折しも立花隆の「天も見放す天職」がベストセラーとなり、「新天職基準」を掲げた天職党が野党第一党となる。
 巷ではミニモニ。の「てんしょくレヴォリューションぴょん」が2週連続オリコン1位となる・・・。

   *   *   *

 ふうっ。も、いいか。
 こう書いているとやっぱり人間のすることは、どうも杓子定規で瑣末で堅っ苦しく融通が効かなくなってきそうである。
 やっぱり「天職」とは目に見えないところで決められている何かなのかもしれませんな。

「2001.2.7(水)」雨・こういうのも挿んでおきます

 幽霊等の心霊現象については未だ尚科学的にその存在実証が済んでおらず賛否両論ある。
 かくいう僕も実物を見た訳では無いので今のところどちらともいえない。
 只たぶんあっていずれは科学的に証明されるとは思っている。
 今のところ80%くらい「ある」方に傾いている。
 その根拠となった体験について今日はお話しして置く。
 ぼくが持っている唯一の、その系統話である。

 話は僕の小学校時代に遡る。
 僕が4年生くらいの時だったと思うが、近所に住む上級生のMという子がいた。
 僕は直接面識は無かったが、何かの折りにそのMさんが頭の病気で長いこと闘病生活を続けているということは聞いていた。

 それからしばらくしたある日のこと、朝礼でそのMさんの訃報が発表された。
 小学生だっただけに、その一件はかなり皆の心に深い印象を与えていたと思う。

 その後僕は小学校を卒業し、中学に進学してそこで野球部に入った。
 ある日同じ部活の同級生の家に皆で集まり勉強会をやろうという話になった。
 もちろん勉強会などというのは建前で、お決まりのように友人同士でダベリあうのが主目的なのであった。

 ま、それはいいとして、その勉強会の最中、その同級生にはお兄さんがいて、そのお兄さんの小学校時代の卒業アルバムを見つけ、見せてもらっていた。

 そのアルバムをめくっていると、とある箇所で僕の目が止まった。
 「あっ、Mさんだ・・・載ってるんだ・・・」
 そこには並んで集合写真に写っている生前のMさんの元気そうな姿があった。
 そういえばその同級生のお兄さんとMさんは同級生になる。
 アルバムには載ったんだ、そう最初は思った。

 しかし次の瞬間、僕は固まってしまった。
 「名前が無いっ!・・・」
 アルバムの半分にある名前の掲載されている紙の部分のどこを見ても、Mさんの名前が無いのであった。
 確かに良く考えて見るとMさんは卒業アルバムを写すような時期には、既にこの世にはいなかったはずなのである。
 もしかして生前の姿じゃ無いのか?・・・

 更にアルバムに映っているMさんの位置が、ちょうど割り込むような感じでかなり不自然な位置なのである。両側のクラスメートの肩の間から顔だけ出すようにして写っている。
 僕は思わずその家の同級生に「ネエ!、これあの亡くなったMさんじゃねえ?!!」と問いかけた。
 同級生は既に知っていたのだろう、静かに頷いただけでそれ以上自分からMさんのことについて語ろうとはしなかった。

 僕はここで確信した。
 これ心霊写真だ・・・。

 これが本物だったという証明は今僕には出来ないが、ともあれこの日以来僕は、そういうものは絶対無いとは言い切れなくなったのである。
 そして現在の僕は、きっと修学旅行など普通の小学生がする普通の行事が一緒にできなかったMさんが、せめて卒業写真は皆と一緒に写りたかったんだ・・・、そういう解釈もするようになった。

「2001.2.6(火)」晴後曇・金子みすずに松たか子

 最近の鎌倉街道ほど強烈では無いが、個人的にちょっと気になる流れを感じていた童謡詩人「金子みすゞ」。
 そんな金子みすゞを描いたドラマが放映されるとの記事が今日の夕刊に出ていた(朝日新聞)。
 石井ふく子プロデューサーによるTBS創立50周年記念ドラマになるそうで放送は今年10月予定とのこと。主演は、あの松たか子嬢。
 これは見なくちゃ。

「2001.2.5(月)」晴・お気に入りに色眼鏡

 モー娘を送りだしたテレビTOKYOのASAYANで敗者復活オーディションをまたやっている。
 個人的にここに出ている千葉千惠嬢がなかなかカワイイ。同じ静岡県出身つながりなので色眼鏡で見ている感も多分にあるが、受かってほしいので陰ながら応援している。
 昨日ASAYANに初お目見えしたという椛田早紀嬢も広末涼子路線という感じで結構男好きのするタイプだと思うが、これも個人的にイイ感じですな。僕としてはこの二人が先に進んでほしいが、他のも磨けば光るようなのもいるので今のところ先はどうなるか楽しみではある。

 花王の「リーゼあっというまにストレートアクアフォーム」のCMや、最近ではスズキのワゴンRRのCMに出ている女の子がカワイイなと思ってインターネットで調べたら「清水ゆみ」ちゃんというらしい。こういう子にはオジサン連中は弱いのでは無いかという気がする。あと個人的には清水嬢の名字に親しみを覚える。ここでも色眼鏡ですかな。

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