「会員であることのプライド」について考える


 このところ,明治神宮探鳥会の参加人数が減っています。
 数年前から,年間延べ600人台で推移していたのですが,2003年には悪天候も手伝って500人を割り,2004年も500人ちょっと。支部内の他の探鳥会はどうかな?と思って眺めてみると,ジリ貧の所が多いのは確かですが,順調に参加人数を稼いでいるところもあります。
 さらに具体的に見てゆくと,ひとつの傾向があることに気づきました。
 現在,参加人数の多い探鳥会は,1回に観察できる鳥の種類の多い探鳥会,珍しい鳥を売り物にしている探鳥会……この2点に集約されます。

 当然と言えば当然の結果でしょう。
 なにしろ,支部報の報告は鳥の種類と数が一覧表になっていて,数字がたくさん埋まっている探鳥会ばかり目立ちます。案内文を見ても,珍しい鳥,綺麗で人気のある鳥などを「売り口上」にしている探鳥会がほとんど。選択基準がそれしか無いのだから,見られた野鳥の多い探鳥会はよい探鳥会,少ない探鳥会はダメな探鳥会として認識されて当然です。

 しかし,探鳥会って,「鳥」以外にも,参加することの楽しみが見出せるはずなのですが…。
 確かに,鳥だけを目的に探鳥会に参加するのは,それなりに意味があります。特に初心者のうちは,探鳥会に参加したほうが,個人で動くよりも,数多くの野鳥を認識することが出来ます。だとしたら,ひととおりの野鳥を見てしまったら,今度は,探鳥会に行くよりも,自由度の高い個人行動のほうにメリットが出てきますし,人と違う鳥を見て自慢してやろう,と言う方向に向かって行ったりしたら,探鳥会の魅力は急速に色褪せます。人によっては,探鳥会で「鳥自慢」をし合うと言う利用法もあって,それはもう,単にマニアックな会話が繰り広げられるだけ。
 …今の探鳥会の利用のされ方って,大筋では,こんなところでしょう。

 でも,本当に,これでいいんでしょうか?

 私はこう考えています。
 「探鳥会は,『野鳥の会の窓』である。」

 野鳥の会の活動で,いちばん本数の多いイベントが探鳥会。ほとんどの探鳥会が,会員,非会員の区別無く,誰でも自由に参加出来ます。しかも,日本全国,ほとんどの主要な自然観察フィールドを網羅しています。
 これを対外的な窓口として活用しない手は無い。野鳥の会会員でない,多くの人に野鳥の会のことを知ってもらうチャンスがあります。野鳥観察の楽しさも伝えることが出来ます。自然保護についての普及教育活動や環境教育活動に,探鳥会を活用することも可能です。あわよくば新入会員の獲得も可能です。会員になってもらえなくても,野鳥の会の理解者,ひいては,自然保護を応援し,環境問題への理解を深めた人たちを増やすことが出来れば,それはどんな自然保護団体,環境団体にとっても,好ましいことであると言えます。

 運営のやり方次第では,探鳥会は,野鳥の会の活動拠点として,さまざまな可能性を持っているのです。もちろん,会員向けのサービス,あるいは会員の交流の場としても,探鳥会は重要な意味を持ちますが,単にマニアの溜まり場になるようでは,それすらも実現が難しくなってしまいます。

 探鳥会参加者も減っていますが,野鳥の会の会員数も,すごい勢いで減っています。その理由はいくつもあると思います。不景気で高い会費が払えないとか,イメージが悪くなったとか,会員にならなくても鳥は観察できるとか……。そもそも,探鳥会のような「集団行動」そのものが嫌われつつある御時世ですから,会組織に人を集めることそのものが,どんどん難しくなってきていることも事実。
 実際,会員になっても,大したメリットはありません。少なくとも経済的には。
 かつては,野鳥情報を得るために会員になっている人も少なからず存在しましたが,今はネットのほうが情報流通が早いので,情報面でも会員になることのメリットが見出せなくなっています。


 では,どうしたら,この先,探鳥会,そして野鳥の会は生き残れるのか?
 結論から言えば,「会員であること」にプライドを持てる体制作りです。
 具体的には,普及教育活動の強化。これしかありません。

 現在の探鳥会参加者を見ている限り,野鳥の識別に長けた人はたくさんいても,生態学的な知識や,自然保護に関する基本的な知識すら持ち合わせていない場合が圧倒的に多い……これが「自然保護団体」のお寒い現実です。自然保護団体の会員であり,「鳥が好き」と言っておきながら,野鳥を守る方法論を全く知らない。知っていても30年ぐらい前の自然保護の理屈をステレオタイプのように答えるだけ。
 ……当然の結果です。会員向けの普及教育活動をしていないのですから。
 某支部の役員には,「俺は自然保護は嫌いだから…」などと発言した人もいましたが,こんな人が探鳥会を作っているのだから,探鳥会の現場で,鳥の識別と鳥自慢や珍しい鳥の情報提供ぐらいしか,伝えることが出来ないのです。ある程度野鳥の識別力がついてしまえば,会員である必要も,探鳥会に通う必要も無くなってしまう。私たちが野鳥観察に使っているフィールドの自然環境の状況や,その成り立ち(自然史や自然保護の歴史なども含めた!)など,探鳥会では,そのフィールドを良く知り,自然環境についての理解を深めるために,伝えるべきことがあるのです。それが無かったら,探鳥会はどれも同じで,違うのは見られる鳥の種類だけ,と言う認識になってしまう。事実,見られる鳥の種類の少ない探鳥会は,どんどん参加者数を減らしています。
 自然保護のための,ごくごく基礎的な自然環境の認識作業も,行われていない……それが大多数の探鳥会の現状です。ですから,明治神宮探鳥会のように,自然環境を読む作業を丁寧に行っていると,「鳥を見せない,つまらん探鳥会」と言う烙印を押す人も少なくない。
 本来なら,そんな人を会員にしておくことのほうが問題なんですけどね。「自然保護活動の敵は,会員にあり」って感じです。
 会員数を稼げば政治的圧力もかけやすい,と言う戦略が過去にあったのも事実です。20年前なら通用したかも知れませんが,今はそれが野鳥の会の足を引っ張っています。

 しかし一方,いまだに「野鳥の会に入ると保護活動や調査を強いられるから,入りたくない」と言う人もいます。「そんな馬鹿な」と思う人もいるかも知れませんが,私は何人も,こう言う発言を聞きました。どうしてそういう誤解が生まれたのか?大晦日にカウンタを持った集団がTVに出たのも良くなかったのですが,野鳥の会の活動をメディアにアピールするとき,この手の保護,調査活動にウエイトがかかっているのも事実。探鳥会の担い手の人数と,実際に保護活動や調査研究している人の人数を比べたら,圧倒的に探鳥会に関わっている人のほうが多いのですが……。どこかで,メディアへのアピール戦略を間違えているような気もします。

 こんな状況で,会員が増えるとは思えませんよね。

 では,どうしたら,「会員であること」にプライドが持てるのか?
 その鍵は,「環境教育活動にあり」と考えます。

 自然保護活動に手を染めるほどの意欲が無かったとしても(←大多数の人はそうだと思います),自然保護活動を支持し,肯定的に思い,応援することは,それほど難しくない。だったら,応援できるだけの理由付けを提供することです。つまり,それが環境教育。
 十分に環境教育を受けて理解していれば,自然保護団体の活動の意義もすんなり理解出来ますし,自然観察を楽しむことも,何をしたら自然環境に悪影響が多いか,と言った問題も,理解しやすい。そして,自然保護活動のよき理解者,支持者になってもらえる。

 自然保護活動を支持したいから,その会員になる。
 ……これが,「会員であること」のプライドの根幹です。


 では,その,重要な鍵となる「環境教育」の場を,どこに求めるのか。
 野鳥の会であれば,「探鳥会」です。野鳥の会以外の自然保護団体でも,いちばん,会員や一般の人の顔の見える,普及教育の場と言ったら,観察会であることが多いと思います。

 こうした考えで,各地で日頃開催されている探鳥会のうちの,何割かでも,環境教育の出来る場になってくれれば,かなり効果があると思います。
 もちろん,その「環境教育」の担い手を作るところから始めなくてはいけないのですが……。


(2005年9月12日記)

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