「自然のコトバ」を聞こう


 先日,とある観察会にお邪魔したときのこと。
 親子連れの参加する観察会だったのですが,ふと,妙な行動をする子に目が止まりました。その子は,小学校低学年ぐらいの子でしたが,草木の名前を教えてもらうと,次々と,みんなで観察している草をどんどん抜いたり,枝を折ったり……解説担当の人から言われても,周りの子が止めようとしても,観察したいものが,どんどん壊され,観察できなくなってしまうのです。一緒にいたお母さんも,困り顔。
 よほど観察会がつまらなかった?……それもあるかも知れません。でも,本当につまらなかったら,草なんか見向きもせず,どこかで遊び始めたりするもの。興味が全く無いわけではなさそうでした。……ふと思い当たったのが,小さな子が,何でも口に入れる行動。お母さんがしつこく「やめなさい!!」と言ったって,とりあえず何でも舐めてみて,確かめてみるのです。それが小さい子の自然な行動であり,誰でもそうやって育ってきたわけです(本人はほとんど覚えていないでしょうけど)。……そう,とりあえず草を抜いたり枝を折ったりするのって,とりあえず何でも舐めてみるのと,根っこは一緒なんじゃないかな,と直感したのです。

 初めて見たもの,知らないもの,よく分からないものに対面するのは,多かれ少なかれ,不安なのです。そんなとき,小さい子だったら,とりあえずベタベタ触って,舐めてみる。中身を確かめたくて,壊してみたりする。そうすると,ちょっとだけ分かったような気がするし,安心する。オトナは経験と理性でガードしているから,汚いこと,危険なこと,迷惑なことは最初から避ける。危なそうなものを,いきなり舐めたり触ったりはしない。壊しちゃ困るものもだいたいい分かっているので,無理に壊そうとはしない。こうしたオトナとコドモの違いは,子育ての経験のある人なら,分かりきっている話でしょうけど……。
 また,コドモは,よく分からないものを相手にすると,どんなことをやったらまずいことになるのか,手加減も分からないので,つい,壊したり,困ったことになったりする。これは対人関係だって,機械を相手にするときだって,自然の中で自分以外のイキモノを相手にするときだって,同じです。オトナだって,相手のことをよく知らなければ,なかなか親しみを感じることも出来ないでしょうし,どう言うふうに付き合ったら喜んでもらえて,お互いにハッピーになれるのか,その手加減も良く分からない。その結果,思いが行き違い,ときには期せずして相手を傷つけたり怒らせたり……。もし,相手が機械なら,説明書を理解せず,思い込みで間違った使い方をして,あっという間に壊してしまうことも……。そして,相手が自然だったら,自分はそのつもりが無くても,自分の思い込みと自分の都合で自然を傷つけている,と言う結果になるわけです。相手への理解,理解しようとする努力が足りないことが,トラブルを生むわけです。

 とりあえず草をむしってみる,とりあえず虫を潰してみる……そう言う行動は,ある意味,自然との接触の第一歩なのかも知れません。もちろん,毒草や危険な虫もいますから,危険な目に遭うリスクも高いですし,オトナがやったら幼稚で滑稽なので,オトナにはあまりお勧めはしませんが,自然とのコミュニケーションの,ひとつの形ではあると思います。
 但し,こうした行動を,自然観察会では基本的には奨励しません。自然観察会は,人と自然とのコミュニケーションの場として,人と自然との間にトラブルの無いよう,人には「安全」を,自然には「保全」を保証しながら,人と自然の相互理解と,より良き関係を作るのが目的ですから。でも,身近な場所の自然環境で,小さい子どもが道端の草を抜く程度で崩壊する生態系は,まず,ほとんどありませんから,オトナ達は安全管理に気を配り,コドモがあまり暴走しない程度に自然の中で遊んでくれるほうが,人と自然の関係作りには,プラスになる面が多いのではないでしょうか。「手加減」の部分は,オトナがコントロールしてやれば良いのです。そのためにも,オトナは自然のことを十分に理解し,自然との付き合い方を知っておく必要があるのですが,お父さん,お母さん,大丈夫ですか?そこいらへんのこと……。

 ……そうなんです。自然に対する手加減を知らないのは,今や子どもだけではありません。アウトドアで自然を愛好するオトナ,自然の中で遊ぶことを楽しむオトナでも,自分の楽しみが優先してしまい,自然環境に悪影響を及ぼすようなことをしてしまう例も少なくありません。本人に罪悪感が全く無いだけに,これは非常に厄介な問題です。休日の,アウトドアでの遊びですら,自然環境にやさしいか?取り返しのつかないレベルにならないよう,手加減を心得ているか?と考えてみると,かなり怪しい状況であることに気づきます。野鳥愛好家の餌付けのために生態系が変わってしまったとか,一部の植物愛好家が希少植物の野生絶滅に一役買っているとか,目先の楽しみのための行動,「手加減」を知らない行動の結果として起こった環境問題も,少なくありません。その根底には,自然に対する理解不足,コミュニケーション不足があることは,ほぼ間違いありません。本当に自然を愛し,自然のことを理解しようとしているのなら,そんな乱暴なことはしないはずです。自分の快楽や利益のために一方的に利用されている人を,「親友」と呼べますか? それと同じことです。「自然に親しむ」と言っておきながら,自然を傷めつけたり,一方的に利用するだけになっていませんか? それでも「私は自然と友達だ」と言えますか?
 私の友達がふと,こぼしていた話ですが,「特定の野鳥のために餌撒いて鳥と仲良くなろう,なんて言うのは,援助交際と大差無いんじゃないの?」……確かに,けっこう当たっているかも知れない。私も野鳥の写真撮影を試みて,撮影に夢中になると周囲が見えなくなってしまうことや,野鳥のテリトリーに入って,じっと息を殺して野鳥が来るのを待つようなことをしていたら,ストーカー行為と似ているな,などと感じていたもので……(その後,野鳥の撮影は「スナップ撮影」レベルにとどめ,手間暇かけた野鳥撮影には手を出さないことにしました)。自然環境へのインパクトを抑えようとすると,自分の欲求も,一部,抑えなくてはいけなくなる場合も少なくないようです。その判断を迫られたときに,どこまでわがままを通し,どこまで謙虚になるか。その判断は,意外と難しいことなのかも知れません。

 特に自然観察は,自然と直に接触する遊びですから,やり方によっては,自然環境に影響を及ぼしやすいと言えます。だからこそ,自然観察会では,自然に対する理解や自然に関する知識を深めることと同時に,その自然を傷めない,あるいは積極的に守り育ててゆくことを考える機会を提供するのです。

 では,自然観察会で伝えたい,自然に優しい,自然との付き合い方の方法論とは?
 ひと言で言うなら,「自然のコトバを聞く」と言うこと。もちろん,木や虫が何かを説明してくれるわけではありません。謙虚に,そしてなるべく客観的に,いろいろなものを眺めてみるのです。眺めてゆくと,どうしてこんな風になっているのか?と疑問に感じるもの,不思議に感じるものが見つかります。どうしてカモのオスは生存に不利になるほど派手で目立つ色の羽を持っているのか?どうしてドングリは子孫を残すために,あんなにたくさんの実を落とす必要があるのか?……さまざまな「?」が見つかります。そしてその答えも,自然をじっくり眺めていると,その中に見つかるのです。そうやって,自然の営み,自然の仕組みをひとつひとつ理解してゆくことが,「自然のコトバ」に耳を傾ける,と言うことです。観察に慣れてくると,いろいろな「自然のコトバ」が見えてきます。「自然のコトバ」が理解できるようになってくると,危険なことも避けることが出来ますし,「これ以上採取したり傷めたりしたら,簡単に環境が回復出来ない」と言うラインも見えてきます。その結果,自然にも優しく,安全に,自然の中で遊べるようになる,と言うわけです。
 「自然のコトバ」は,観察会の場,アウトドア遊びの場だけで活用されるものではありません。日常生活の中でも,どんなことをしたら環境に悪影響しないか,考えたとき,「自然のコトバ」を知ったいたら,さまざまなヒントやアイデアが手に入るはずです。「自然のコトバ」を知っていたら,日常生活も,環境に優しくなることが出来るのです。

 自然との共生を考える上で,自然の理解は不可欠。そのお手伝いとして,観察会が有効に利用されることを期待したいと思います。今は,子供だけでなくオトナも「自然のコトバ」に耳を傾けなくなってきていますから……。



(2004年1月27日記)

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