フィールドを生かした観察会をしたい


 とある夏の日,町の中の電車の駅から程近い公園緑地で行われた「探鳥会」に参加しました。
 都市部の公園緑地で開かれている探鳥会は,程度の差はありますが,どこの探鳥会でもだいたい,初心者が参加しやすいフィールドの環境条件やアメニティ,交通の利便性などが整っています。その一方で,都市公園共通の悩みとして,特に大都市圏の公園で,海からも山からも遠い場所では,真夏には野鳥を観察できるチャンスが,めっきり減ってしまいます。

 私が夏場を狙って参加した理由はいくつかあります。いちばんの理由は,あえて真夏に参加すれば,参加人数が少ないので,担当者とのコミュニケーションも取りやすいこと。鳥の少ない時期のほうが,スタッフの探鳥会運営に関する実力も分かりやすい,と言う下心もあったのですが,実はこの探鳥会,しばらく前に,「初心者にオススメの探鳥会」として,レポートされている記事を読んだのです。そこで,あえて取材したときと同じ時期を狙って参加してみたのです。

 さて,探鳥会は,案内担当者の紹介と,どんな鳥が期待できるか,と言う説明で始まりました。さっそく,すぐ目の前の池に水鳥がいます。でも,ちょっと遠いな。双眼鏡でやっと分かる距離。トンボがたくさん飛んでいて気持ちいいから,まあ,いいか。でも,誰もトンボなんか見ていない。「探鳥会」なんだから,こんなもんかな。
 さて,ひととおり遠い遠い水鳥を見終わった一行は,観察コースを歩き出します。…あれ?どこを歩くのか,何も説明を聞いていない。ちゃんとついて行かないと,迷子になっちゃうぞ。……探鳥会の集団は,歩く。ひたすら鳥を探して歩く。ミヤマアカネやコノシメトンボが飛んでいたり,ヒョウモンのような蝶も見かけて,もっとよく観察したかったんだけど,置いて行かれたら大変!……ひたすら集団を追いかけて歩きます。
 その後,鳥の見つけやすいポイントに立ち止まり,しばし鳥を探し,再び歩く。これを何回か繰り返して,休憩。さらに,鳥を見るポイントへ移動。暑いし,鳥もあまり見られないので,どんどん歩きます。……と,この時期としては,ちょっと珍しい鳥が見つかったらしい。さっそく,思い思いに見やすい場所に陣取る。望遠鏡に行列が出来る。私は,と言えば,陣取りに出遅れてしまって,双眼鏡でお目当ての鳥が見られる場所には近づけず。望遠鏡の行列が減ってきたところで見ようと思ったら,鳥が飛んで,ちょっと居場所を変えてしまった……。再び陣取り。……また出遅れた。……そんなことを30分ぐらいやっているうちに,やっとこ望遠鏡で見せて頂けました。30分も同じ鳥を追いかけていると,飽きてくる人も居るんでしょう。望遠鏡から離れて,雑談している人が多くなりました。雑談の中で,「私,普段は明治神宮探鳥会に行っているんですよ」と言ったら,「あそこは出ないから面白くないでしょ。行ったこと無いですよ。」と言われて,複雑な心境……(注:「出ない」とは,「見られる鳥の種類が多くない」もしくは,「珍しい鳥が見られない」と言う意味です)。

 結局,ここで時間を食ったので,そのまま「鳥合わせ」(注:観察した鳥のおさらい)をすると言われ,野鳥リストを埋めて解散。

 ……恐らくこれは,最もスタンダードな探鳥会の運営スタイルでしょうね。
 参加者も,ちょっと珍しい鳥が見られて,満足した様子でしたし。

 でも,もし,私が全くの初心者だったら,もう2度と参加したくないと思うでしょう。
 周囲には鳥のことを良く知っている(ように見える)人ばかり。初心者には話題も噛み合わない。1人で不安な気持ちで参加している人にとって,これはかなりのプレッシャーです。「鳥を見た喜び」が,このプレッシャーと鳥を探す苦労を上回ることができれば,ハードルを通過できるのですが……。

 決して,この探鳥会の運営方針を否定するつもりはありません。そのつもりで参加しなかった私が悪いんです。……だって,私が読んだ記事には,この探鳥会で,親子で楽しくカワセミを見たり,虫を見つけたりしている写真が出ていたのですから,それを期待した私が,肩透かしを食ったのです。

 何が不満に感じたのか,考えてみました。
 「探鳥会」としての標準的なレベルは満たしています。
 しかし,エデュテイメントとして「探鳥会」を考えた場合,イベントとしての面白さや,提供される知識,情報の内容には,不満が残ります。また,初めて参加した人にやさしくない。子供連れのことを何も考えてくれない。参加者の興味の広がりに,柔軟に対応してくれない。
 「探鳥会」は自然を楽しむためのイベントです。少なくとも私はそう考えています。夏の日に,目の前で鳴くアブラゼミも,水面を飛ぶギンヤンマも,マツヨイグサ科の花々も,ウスイロササキリの半透明の羽を震わせて鳴く姿も,すぐ目の前にあるのに,ひたすら遠くの鳥を追いかける。目の前の自然は無視。場合によっては邪魔者扱い。……鳥を見るために払う犠牲が大き過ぎます。こんな観察のやり方で,自然のことを理解し,楽しむことが出来るのだろうか,疑問に感じます。これでは,「鳥さえ見られれば良い」と言う発想の観察者が増えてしまうのではないでしょうか?
 鳥を見るために特化し,他のイキモノを否定するような観察方法は,好ましいとは思えません。鳥は,大自然の中に住むイキモノの1つに過ぎません。その位置関係がわからなくなるような観察案内は,たとえ「探鳥会」としてはスタンダードであっても,「自然観察」としては失格です。「自然観察」を理解しないバードウォッチャーは,自然保護も理解できず,自然保護が理解されなければ,結局のところ,野鳥だって守れないのですから,長い目で見れば,野鳥の会にとっても,自らの組織にマイナスになる要素を持った会員を増やしていることになると思うのですが,「探鳥会」を作る側の人は,どう考えているんでしょうか。
 もうひとこと言わせてもらえば,探鳥会中に交わされる話も,解説内容も,初めてこう言うイベントに参加した人にとって,決して親切なものではなかったと思います。少なくとも,子供が飽きる内容でした。


 さて,こんな経験を踏まえ,明治神宮探鳥会も,いろいろとデザインを考えなくてはいけません。明治神宮探鳥会では10年以上前から,最初にきちんと観察コースの案内をするとか,観察内容をざっと説明してから出発するとか,初めて参加した人に不安を与えないようにするための,最低限のことは常に行っています。さらに,観察内容ばかりでなく,双眼鏡の使い方や買うときのアドバイス,虫除け対策や危険な生き物への注意喚起,フィールドを荒らさないためのマナー指導など,この辺も徹底していますから,基本的な事項に関しては,まず問題はない。

 問題は,どんな観察案内をするかです。

 ここ数年の方針としては,鳥にこだわらず,自然を見せること,身近な小さな生き物に気づき,その素晴らしさを知ってもらうこと,生態系のシステムの中での,鳥の位置付けを意識させることなどをベースに,観察案内を展開しています。特に近年は,子供たちの参加も多いので,子供が興味を引くものをこまめにピックアップしたり,「遊び」の要素も取り入れながら,体験を通して,直感的に自然を感じ,自然との付き合い方を体が覚えてしまうような観察案内を模索しています。

 夏は虫の季節。この時期の明治神宮探鳥会では,目の前で乱舞するトンボを無視して,池の奥のカルガモに望遠鏡を向けて観察するようなことは,まず,ありません。子ども達は遠くの鳥よりも,目の前の小さな生きもの,特に手にとって遊べるものが大好きです。もし,子ども達が虫に興味を示しているときに,ほったらかして望遠鏡を振り回していたら,子どもたちの興味の芽を摘むことになりませんか?芝生を歩いていて,飛び出してきたバッタに足を止めて観察するだけの,心のゆとりはありますか?それとも,次の野鳥観察ポイントに向かって,黙々と歩いて行きいますか?

 この辺りが,「自然と向き合う姿勢」の問われるところだと思います。

 フィールドの自然を生かし,季節を生かし,そのフィールドの魅力を余すところなく紹介する。興味を持ってもらったものは,その興味をとことん生かす。そんな姿勢があれば,もっともっと,初心者にやさしく,子供たちが楽しめる「探鳥会」が出来るような気がするのです。

 明治神宮探鳥会では,はっきり断言しています。「探鳥会」は,鳥を「きっかけ」に,自然を感じ,楽しみ,自然に対する理解を深めるイベントである,と。

 探鳥会では鳥以外のものを見ない,と言う風潮,ホント,何とかなりませんかね。


(2001年8月23日記)

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