「ひとことで言ってください」


 たとえば,新製品のプロモーションをするセールスマン。
 丹精込めて作った自信作を,資料を交え,先方にあの手この手でアピールします。
 そこでひとこと,あまり乗り気のない顧客の口から出てくるのは,

「ひとことで言って,どこがいいんです?」

 ……ま,世の中にはキャッチコピーとか**キャンペーンとか,兎にも角にも「ひとこと表示」を求められる場面が多いようです。忙しいんだから,細かいこと教えてもらったって,すぐ忘れちゃうし,時間の無駄だし……だったら,ひとことで端的に示して欲しくなるのは,当然の成り行きでしょう。

 自然解説をしていても,「ひとことで言って下さい」「…で,結論は何ですか?」と,決め台詞を求められることが,しばしばあります。まぁ,人によって,知りたいことには差がありますから,大人数を相手に喋っている場合,たった一人の「ひとことで言って下さい」への返答が,残りの人たちの求めている結論になるかどうかも怪しいので,あまり話を丸めて切り上げたりはしないんですが,説明中にいきなり結論を求められたり,一言で済ませろと言われたりするのって,「あんたの話には興味無いから,さっさと次,行ってちょーだい」と言われているような気も,しなくもありません。はっきり言ってしまえば,気分の良いものではないのです…。


 ……自然観察って,そう言うものなんでしょうか?


 私はこう思います。
 自然観察は,自然界にあるいろいろなものを丹念に観察し,そのひとつひとつの観察結果を繋げ,自然を理解してゆく過程そのものであり,学術目的でない「趣味の自然観察」では,その過程を楽しむことが,知的好奇心を刺激する遊びとして,私たちに楽しみを与えてくれているのではないかと。

 そして,その知的な冒険の案内役が,自然解説者なのです。


 たとえば,野鳥や花を観察しているとき,「この名前は何ですか」と聞かれます。「あ〜,それは○○ですね」と答えた次の瞬間には,もう,観察をやめてしまう人,結構います。こういうのも,「結論だけ聞けば良い」と言う発想の延長線上にあります。もうちょっと興味の持続した人は,その生き物の名前をメモしたり,こまかい識別点を一所懸命に勉強したりしますけど,それとて,丸暗記型のお勉強で,自分で考えたり予測してみたりすると言うことは,ほとんど無いんです。……まぁ,そんな面倒なこと,よほど好きでなければ,やりたくないでしょうけど……。

 名前が分かる,と言うのは,嬉しいことです。TVでちらっと見かけたステキな芸能人の名前が分かったときだって,嬉しいじゃないですか。あれと似たようなものです。でも,「名前」=「結論」と言うことになってしまって,結論がひとことで出たら,後はどうでも良くなってしまうことも多い。

 花の名前,鳥の名前をたくさん知っていて,識別できることが,「自然に親しんでいる」「自然のことをよく知っている」と言えるでしょうか?……確かに,何も知らない人よりは,自然のことが分かっているのかも知れませんが,フィールドに出ないで図鑑を丸暗記したって,ほぼ同じ結果が得られるのではありませんか?

 つまり,自然観察で結論だけ知りたがる人は,「結論」の集大成である図鑑を丸暗記するのと大差ないことしかやっていない……「ひとこと」で言わせてもらえば(笑),そう言うことなんです。

 そして,この「結論だけ聞きたがる」と言う人は,圧倒的にオトナに多い


 探鳥会とか,野草の観察会とか,特定のテーマを持った観察会では,この手の人が多くなる傾向があるように思います。確かに興味は持っているようなのですが,興味の範囲が狭く,興味の対象外のことにはきわめて無頓着(自然環境への配慮も,しばしば無頓着に……。)。たとえば,探鳥会で珍しい鳥を見たりすると大変喜んでくれるのですが,自分の目的の鳥以外には興味が無かったり……考えてみれば,この行動パターンって,コレクター的ですね。「自分がこの鳥を観察した!」と言う観察経験をコレクションしている,と考えると,なんとなく行動パターンが読めてきます。このタイプの人に自然解説をしていると,「この人,本当に自然のことが好きなの?そんなふうには見えないけど。」と感じることが多いのですが,この違和感の原因は,ここいら辺にありそうです。

 自然の中には,さまざまな物語があります。生き物1つ1つに,自分が生きてゆくために獲得した知恵が,たくさん詰まっています。同じ自然の営みでも,どの生き物に視点を置くかで,物語は少しずつ違ってきます。しかも,かれらの生きざまや,他の生き物との関係は,かれらの置かれた条件によって,さまざまに変化します。だから,結論は決して1つにはならない。いろいろな観察を重ねてゆくと,だんだんとストーリーが見えてくる。そうやって自然の不思議さを読み解いてゆくのが,自然観察の大きな楽しみだと思います。同じ観察場所でも,季節を変えて何回も訪れて観察を繰り返すことで,初めて見えてくるものがあります。あちこちに遠征して珍しい生き物を眺めてくるのも,自然観察の一つの楽しみではありますが,ある意味,それは観光旅行のようなものです。

 まず,自分の住む場所の周囲の自然環境を,じっくり眺めてみましょう。自分が普段,どんな生き物に囲まれて生活し,どんなふうにかれらと関わりを持っているのか,時間をかけて,ゆっくり眺めてみるのです。それは間違いなく,自然を読み解く力を養ってくれますし,自分の住環境を知ることにもなります。その観察経験と知識を足がかりに,他の土地のさまざまな自然環境を眺めてみれば,きっと,「観光旅行」的な自然観察では見えなかったものも,だんだん見えてくると思います。

 それが,自然への理解,なのだと思います。


(2004年4月21日記)

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