餌付け自粛が始まった!


 このコラムをお読みの皆さんは,人が野鳥や野生動物に餌を与えることについて,どんな考えをお持ちでしょうか?
 その昔,タンチョウに餌付けをして数を回復させた,と言うような趣旨の「美談」があったと思いますが,例えば各地で広がっているシカによる食害であるとか,サルによる被害などの話を聞くにつれ,餌付けに疑問を抱く人も多くなってきたのではないでしょうか。こうした,野生動物の異常な増加による生態系の変化や人間社会への被害の発端は,その動物への餌付けであると言う事例が多くなっているのです。

 実際,餌付け自粛に踏み切った事例もいくつか出てきました。シカやサルによる被害の大きい地域では,行政も動き始めています。日光では条例化して餌付け禁止を呼びかけています。
 野鳥への餌付け自粛の事例もあります。
 厚岸町の例では,2000年の冬に,寒波で餌が不足したことを理由に,町民からの声を受け,ハクチョウに餌付けしたところ,餌を求めて街の中をハクチョウが行進すると言う異常な事態に発展しました。もともと,厚岸に来る大部分のハクチョウは,さらに南下して越冬するので,この場所は「渡り」の中継地と言う色合いが濃いのですが,餌付けしたために,それ以上の南下をやめてしまった個体も出てきたようです。この事態を受け,2002年冬より,積極的な「餌付け自粛策」に出ています。
 日本野鳥の会のウトナイ湖サンクチュアリでも,2002年冬より,水鳥への餌付けをやめました。もともと,冬場は結氷して餌の取れなくなるサンクチュアリ近くの湖面で,わざわざ氷を割って水面を出し,餌をやっていたのです。サンクチュアリのオープン当初は,来訪者に野鳥と親しんでもらう目的や,野鳥愛護精神を養う目的もあったようですが,餌付けにより本来の「渡り」に足止めをかけている可能性もあり,来訪者には,あまり人工的なものではなく,より野生の姿を見せる方向に転換しつつあり,何より,氷を割る作業が,大変な重労働でもあったわけです。お客さんに鳥を近くで見てもらうために餌付けをするのは,自然保護的な発想ではなく,観光誘致的な発想,……もっとはっきり言ってしまえば,「見世物」に過ぎなかったわけです。しかし実際には,湖面での餌付けを自粛しているのはサンクチュアリだけですから,餌付け自粛の効果を期待するよりも,その姿勢を示すこと,重労働から開放されることの効果のほうが主目的ではないかと思われます。

 渡り鳥を守るには,越冬地,繁殖地,中継地の環境が良好に保たれている必要があり,また,その枠組みの中で,適正な個体数しか生き残れないわけです。中継地で餌付けをして,「渡り」に成功する個体を増やしたら,どこかで個体数の過剰が起こり,生態的なバランスを崩します。また,餌付けによって特定の種類の生き物が増えれば,その弊害は他の生き物にも表れます。他の動物の斃死体を餌にする生き物だって,餌不足で弱る鳥獣が減ったら,死活問題です。
 人為的な特定の生き物への餌付けは,その生物種が自然界では生存不可能なほど個体数を減らしてしまったとか,何か,特殊な事情でもない限りは,生物の多様性に逆行する危険が高い行為となり,自然保護にマイナス効果である,と結論せざるを得ません。

 ……だったら,積極的に餌付けを禁止するよう,アクションを起こせばいいんじゃないの?……と言う話も出てくると思いますが,それが,そう簡単には進まないのです。
 庭に餌台を置いて野鳥を招くことは,一般にかなり浸透しています。自らのサンクチュアリで餌付け自粛を始めた野鳥の会ですら,ショップにはたくさんのバードフィーダーを売っていて,かなりの売り上げがあります。野鳥に餌を与えることで野鳥を守っている,と言う意識をお持ちの方も,たくさん居るわけです。これをひっくり返すようなキャンペーンは,なかなか打ち出しにくいのではないかと思います。「人の意識」の壁,経済的な壁,さまざまな障害が見えてきます。特に都市部では,野鳥による実害があまり無いので,ますます理解しにくくなっていると思います。

 では,ストレートに餌をやるのではなく,鳥の好きな,実のなる木を植えている場合はどうでしょう。これとて,樹種に偏りが大きければ,特定の野鳥種を増やす結果に繋がりかねないことです。さらに,ビオトープや造園,環境復元作業など,「餌付けの是非」の論議だけで線引きしにくい事項は,たくさんあります。「餌付け禁止論」には,グレーゾーンがたくさん存在するのです。

 楽観論も考えられます。
 人為的に変化した生態系は,たとえ一時的にバランスが崩れても,どこかバランスが取れて,納まりのいい形に落ち着いてゆきます。それが,我々の意図した形になっていないことも多いでしょうけど……。シカの食害で丸坊主になった日光の山々も,シカの数に限界を迎え,植生も何らかのスタイルに落ち着いてゆくはずです。但し,希少な植物を含んだ,かつての植生は,ほとんど失われた形で……。
 そういう結末になっても良いというのなら,楽観論も「アリ」ですけど,さすがにそれではマズイだろうね,と言うのが,餌付け禁止,自然環境の保護,復元の論拠にもなるわけです。

 一方,餌付けには,人が野生の生き物に接触するチャンスを与え,動物愛護精神を養ったり,自然保護を志すきっかけを与えてくれる効果も期待できます。人の心への「自然保護効果」を期待し,自然環境へのインパクトを出来るだけ押さえ込む,と言う条件付きで,餌付けを容認する,と言う考え方も出来ます。……そう,子供の頃の「虫遊び」の経験が,将来,生き物に興味を持ち,自然環境の保全に前向きな考えを持つようになる下地になってくれるとしたら,生態系にインパクトをあまり与えない(再生可能な)範囲内での虫取りも,容認されるべきではないかな,と思わせます。同様にして,野鳥への全面的な餌付け禁止は,そうした,野鳥保護,自然保護の心を養うチャンスを捨てる結果に繋がる可能性もあるわけです。

 今のところ確実に言えるのは,「生態系への影響の大きい餌付けは,やめるべきである」と言うことぐらいです。今後,公共的な場所での「餌付け自粛」をきっかけに,多くの人がこの問題について考え,良いコンセンサスが得られるようであって欲しいと思います。


(2003年7月05日記)

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