「庭」の発想


 先日,新宿御苑へ遊びに行きました。
 新宿御苑は,本格的な西洋庭園や温室があるかと思えば,日本庭園とか「母と子の森」と言う,自然のままに近い状態を作ろうとしているエリアもあり,まるで「庭」の見本市みたいな場所です。
 いろいろなタイプの「庭」を眺めていて,ふと気がつきました。日本庭園のほうが,西洋庭園よりも,明らかに野鳥の種類が多いのです。

 庭の作り方にも,いろいろな考えや歴史的,文化的背景があると思いますが,「庭」にやってくる鳥や虫などの生き物……つまり,造園して植え込んだ植物以外の,「野生」の生き物にとっては,日本庭園のほうが居心地が良いようです。

 これは,「庭」の作り方,考え方の違いを反映しているのかも知れません。
 西洋式庭園では,自然を自分の意図どおりにレイアウトし,自然をコントロールし,人の支配下に置こうとする傾向が強い。
 一方,日本式庭園では,実際の自然を模したり,あるいは本物の自然を借景に使ったりしながら,自然の山水を再現するような作りが多く見られます。「箱庭的発想」なのかも知れませんが,日本式庭園のほうが,人が自然の側に歩み寄り,共生しようと言う意識が強いように思われます。言い方を換えれば,西洋式庭園は「人の生み出した造形」を楽しむ場であり,日本庭園は「自然の造形」を楽しむ場である,とも言えます。
 日本人は昔から,自然の恩恵に恵まれた風土で,自然を上手に利用しながら暮らしていました。雑木林のような,人間が持続的に利用できる「二次林」を作り上げてきたのも,自然と共生しながら生活する知恵だったのです。そうした,自然と向き合う姿勢が,庭造りにも活かされているのだと思います。

 この,洋の東西の発想の違いは,ビオトープにもあると思います。
 ビオトープはもちろん,西洋生まれの「自然環境の復元」を目指した造園。いろいろな生き物を呼ぶことを意識して,綿密に設計されます。そして,意外と環境維持にも手間がかかります。……どことなく,「人の造形」で自然を再現し,人の力を積極的に注ぎ込んで,それを維持管理してゆく,と言う発想が見え隠れしています。一見,自然を再生しているようでも,そこにはハッキリとした,人の意思が介在しているわけです。同様にして,バードフィーダーなどで庭に鳥を呼び寄せるのも,なんとなく,人間中心的な発想で,自然をコントロールしようとしている意思が感じられます。

 日本が欧米の文化を取り入れて行った過程で,日本人の,自然との付き合い方も,少しずつ変わっているようです。しかし,そんなに遠くない昔には,日本人は欧米人には無い発想で,自然と向き合い,自然と上手に付き合う気持ちも技術も持っていたはずです。今でも,屋敷林や裏山の雑木林のほうが,西洋式庭園やビオトープよりもホッと安心できる日本人は少なくないと思います。自然環境を保護したり復元したりと言う作業にも,西洋のコピーではなく,私たちが培ってきた英知を利用するような発想があってもいいのではないでしょうか。多分,そのほうが,無理なく続けられると思います。第一,欧米と日本では,自然環境の条件もかなり違うわけですし……。
 雑木林,鎮守の森,屋敷林……日本人の心にフィットした,日本的な「自然と人とのいい関係」が,そこには見出せます。「庭」もその延長線上にあると思います。鳥のために,柿の実を少しだけ枝に残しておくような,昔からある,自然とのさりげない接点や他の生き物への心遣いがあれば,わざわざビオトープなどを作らなくても,ビオトープの機能を果たしてくれます。あなたの「庭」は「大自然」へと繋がっているのです。

 東京は欧米の大都市に比べ,大きな緑地が少ないと言われています。なのに,生き物の豊かさについては,ロンドンやニューヨークなどの巨大都市と比べた場合,東京のほうが上回る面が多いといいます。気候条件も違うので,一概には比較できませんが,街の中の小さな緑地や庭が,有機的に繋がって,大きな緑地公園を凌ぐほどの,生き物を養える環境を提供しているとも考えられます。

 最近では,ガーデニングやビオトープの流行で,西洋式の造園が人気を集めていますが,自然との共生関係を育んできた,自分たちの文化を,もっと見直し,大切にしてもいいんじゃないかな,などと,日本庭園に飛来する野鳥などを眺めながら,考えていました。


(2002年11月09日記)

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