ちょっとだけ,スローライフ……


 「スローライフ」……最近のキーワードとして,メディアにもしばしば登場するようになりました。この言葉が出てくる少し前に,「スローフード」と言うのも出てきました。

 スローフードとは,アメリカ的合理主義のエッセンスとも言われるファーストフードと対極をなす言葉として登場し,イタリア料理のように時間をかけて「食」を楽しむ,言うなれば合理的,経済的な尺度では測れない,「食」の幸福を論ずるキーワードとして,定着してきました。このムーブメントがさらに拡大し,競争原理による経済至上主義,合理主義,と言ったもので失われていた「豊かさ」を回帰させるムーブメントとして,「スローライフ」と言うライフスタイルが提案されつつあります。
 ヨーロッパでのスローライフの考えは,労働時間短縮の動きや,ワークシェアリングによる就業機会の拡大のようなもののバックグラウンドにもなっています。それは,アメリカ的市場主義経済への反動や,ヨーロッパ的な経済体制やライフスタイルの模索,と言う側面もあるのでしょうけど,ひとつの大きな流れを形成し始めていることは確かです。
 さて,日本は?と言えば,我々はどっぷりと「アメリカ式」にはまっているわけで,そう言う意味でも,「スローライフ」と言われても,なかなかピンと来ないわけです。

 ちょっと考えてみましょう。
 何がファーストで何がスローなのか?
 日本食で言えば,「立ち食い蕎麦」はファーストフード,懐石料理はスローフード。食事の時間も惜しみ,立ち食い蕎麦をかき込み,ドリンク剤片手に夜遅くまで仕事をすることが,「豊かさ」への道だと,そんな風な感覚が染み着いているのではないか?と思います。「合理的」に切り捨てられていったものの中に,かつて持っていたはずの「豊かさ」も,一緒に捨てられてしまったのでは?……そう,懐石料理の「間」に秘められた豊かさにも通ずる,心の豊かさ,人生を楽しむ気持ち。
 ……こういったものを改めて見直してゆき,自分の生活の「豊かさ」について,問い直してゆくことが,「スローライフ」の基本精神であると,私は理解しています。

 とは言うものの,いきなりスローな生活を強いるのは,ちょっと……

 例えば,ちょっと時間のある日には,少し手間をかけて食事を作ってみる。いつもより30分早く目覚めてしまった朝,近所を散歩してみて,深呼吸してみる。……そんな風に,生活の端っこに,スローな時間を作ってみるだけでも,日常生活の「豊かさ」が変わってくると思います。
 このサイトで提案している,日常生活の中での自然観察や,自然を感じる瞬間を楽しむ,と言うのも,スローライフを取り入れるための1つの方法になるかも知れません。すっかり希薄になってしまった「人と自然とのつながり」を,取り戻してゆくことは,スローライフの発想に近く,きっと,日常生活を少しだけ豊かにしてくれると思います。

 自然観察会や探鳥会なども,使い方によっては,とてもスローライフな体験の出来る場です。しかし一方で,競争原理を持ち込む観察者も少なくありません。探鳥会では,観察した野鳥の種類数を争ったり,珍しい鳥を見ることを目的にしたりする観察者を,しばしば見かけますが,それは「競争原理」的な発想をたっぷり含んでいます。探鳥会で交わされる鳥自慢,写真自慢なども,しばしば競争心理を煽るものです。こうした競争自体,それを楽しんでいる限りは,別にいいんですが,その発想で「競争」を楽しまない人を巻き込んだりすると,トラブルの元になりますし,競争的なことに打ち込んでいる人たちには,競争によって失われるものについて意識している人は,ほとんどいないのではないでしょうか。
 休日のひととき,ゆっくりと贅沢に時間を使いながら,自然と対話してゆくことで得られる「豊かさ」は,競争している人たちとは別世界のものです。ぼちぼち,こうした「豊かさ」が提供される観察会/探鳥会があっても,いいんじゃないかと思います。おそらく,特別なことをしなくても,「競争原理」を持ち込まなければ,観察会/探鳥会は,豊かな「癒し」の空間に生まれ変われる素材を,たっぷりと持っています。自然観察は,もともとスローライフ的なものなのです。

 野鳥観察の場では,定年後の人生の楽しみとして,年齢が上がってから観察を始めた人が少なくありません。老後の人生を豊かにするアイテムとして,「野鳥」はかなり定着しています。しかし,そう言う人たちの中で,本当にスローライフ的な「豊かさ」を愉しむ人は,思ったほど多くありません。よく見かけるのは,残った人生のカウントダウンを強く意識してしまって,とにかく時間がないから,出来るだけ,どんどん鳥を見てライフリスト(=その人が生涯に見た鳥の種類のリスト)を埋めようとする人や,珍しい鳥を求めて奔走する姿だったり……。ご本人はそれで楽しんでおられるようなので,こちらが何か言う必要も無いんですが,端で見ていて,すごく息苦しいほどのタイトさ,焦燥感みたいなものを感じます。
 フィールドで自然と向き合うときに,スローライフの豊かさを直感し,愉しめる年代は,実はもっと人生の残り時間に余裕のある,もう少し若い年代なのかも知れません。……でも,この年代は仕事や子育てなどに忙しい人が多かったりしますけどね……。

 それでも,あえて提案します。

 自然と向き合うときに味わう「豊かさ」は,若いうちに経験しましょう。たとえ今すぐ,スローライフが実践できなかったとしても,競争原理では見えない「豊かさ」を知っておくこと,「豊かさ」を愉しむ方法論を身につけておくことが出来れば,将来,老後の時間を豊かにする方法が,たくさん見つかることと思います。豊かな老後への先行投資として,自分の体と心に,贅沢な時間の使い方を教えましょう。
 そして,企業戦士の理論しか身につけていなかった「生き甲斐世代」の皆様も,人生の残り時間をカウントダウンして気に病むよりも,自分のためにたっぷりと時間を使って,根を詰めてテンションを上げていた自分を,解放してあげませんか?……今まで頑張ってきた自分へのご褒美として。

 スローライフな自然との対話が楽しめて,「ここに来るとホッとするよ」と言ってもらえるような,ゆったりした時間の流れる観察会や探鳥会,早く作ってみたいな…。


(2002年4月28日記)

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