「1万人探鳥会」の謎


 探鳥会の規模はどこまで拡大できるか?

 現在,野鳥観察イベントとして世界最大を自称するのは,NTT-MEの「ワールドバードカウント」で,1997年,NTTがこのイベントを主催していた時に,18万人以上の参加者を集めたと言う記録があります。但し,これはネット上での探鳥会で,世界各地の人が観察記録をアップロードした件数なので,1つの観察フィールドで,「生」の観察の楽しみを共有する,本来の意味での「探鳥会」とは,少し事情が違っています。
 それよりずっと前のこと,かつて日本では,1日に1つの観察フィールドで,8000人を超える参加者がバードウォッチングを楽しんだと言う記録があります。当時の「大井野鳥公園」(現在ではその一部を利用して「東京港野鳥公園」が作られています)エリアで,日本野鳥の会本部の手によって1981年に行われた,「バードウォッチングフェスティバル」です。

 最近では,フィールドの自然環境への負荷を考えて,探鳥会の参加人数を抑制しようと言う提案すらあり,大人数で探鳥会を行うことに否定的な考えもありますが,あの当時,新たな用語として世に出始めた「バードウォッチング」の普及活動と,ちょっとした時代の波に乗って,とてつもないイベントが実現していたのです。

 さて,どうやって何千人もの参加者を受け入れることが出来たのでしょう。
 最大のポイントは,「オリエンテーリング方式」と呼ばれた,参加者が地図を見ながらチェックポイントを廻り,各チェックポイントに案内人を置く方式。この方式のメリットは,いくつかあります。まず,スタート時刻に幅を持たせ,参加者が好きな時間に来て好きなペースで探鳥会に参加できることで,大人数が分散してくれます。また,案内する人は,各担当のチェックポイントの観察案内だけに熟知していれば良く,その分,下見も楽になるので,比較的簡単に大人数の「自然解説者」を作ることが出来ます。あとは,コース取りとチェックポイント毎に提供するネタを調整すれば,探鳥会のデザインは完成します。1時間あたり2000人ほどの参加者が流れてゆきますが,案内役は参加者10人を相手に3分ずつ自然解説したとして,1人あたり1時間に200人こなせますから,チェックポイント1ヶ所あたり10人もいれば十分なのです。チェックポイント8ヶ所とスタート/ゴール地点の要員や救護要員,連絡要員などを加えて,100人で何千人と言う参加者を相手にすることが可能になるわけです。

 その翌年は,多摩川を舞台に,参加者1万人を想定した「バードウォッチングフェスティバル」が計画されましたが,開催当日は天気が悪く,開始して間もなく雨模様となってしまい,それでも雨の中,850人ほどの参加がありました。

 1980年代前半は,「バードウォッチング・ブーム」の時代。探鳥会の参加人数も,野鳥の会の会員数も,急激な上昇カーブを描き,マスコミを始め,普段は野鳥や自然に関心の無かった人や組織までもが,野鳥観察に目をむけた時期でした。
 その盛り上がりの一方で,観察案内の出来るスタッフが急激に増えるわけでもありません。「1万人探鳥会」の計画は,そんな時代の勢いに乗って,驚くほど少ない人材で,でっかい仕事をやってのけると言う気概を感じさせました。その当時の野鳥の会の活動の中心にいた人物には,本部,支部を問わず,とてつもないパワーがありました。野鳥の会が日本で初めて,非行政的な力で「サンクチュアリ」をウトナイ湖にオープンさせたのも1981年のことでしたし,いまだに愛用者の多い,本格的なフィールド用の野鳥図鑑が野鳥の会から発行されたのも,1982年のことでした。

 当時の野鳥の会で活躍した人たちには,多かれ少なかれ,ひとことで相手を説得してしまうような迫力と言うか,オーラのようなものを感じましたし,また,そう言うオーラをパワーアップさせるエネルギーが,その時代の空気の中には流れていたのだと思います。
 ……要するに,「時代の波」に乗っていたのです。

 その頃の私といえば,鳥のことなどよく分かっていないのに「探鳥会リーダー」にされてしまった,駆け出しの「自然解説屋」……もちろん,アマチュアの……だったのです。こう言うでっかいイベントを切り盛りする中核的人物に敬服しながら,「1万人探鳥会」の自然解説の最前線に立って,水辺で望遠鏡を振り回して,ひたすら,参加者に鳥を見せていたわけです。右も左も分からないような若造の私でも,スタッフ達の情熱と参加者からの確かな手ごたえは,十分に感じ取ることは出来ました。

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 さて,時代は下って,1990年代後半のあるとき。
 4月末に届いた野鳥の会の会誌を見てみると,本部主催で「バードウイーク展」探鳥会を開催するとのこと。なんか,久し振りにこの手のイベント案内を見たような気もします。ちょっと懐かしさも手伝って,子供を連れて参加してみました。展示会のスペースはあまり広くなく,スポンサーの展示物や販売物の展示が目立ちます。その片隅に「バードウォッチング・ラリー」受付がありました。貸し出し用双眼鏡もあるようでした。さっそく参加してみると,シートを1枚渡され,展示会場の裏手の河原へ案内されました。ここから河原に点在するチェックポイントを回り,シートに書かれた9マスのチェック項目を観察し,「ビンゴ!」するシステム。基本コンセプトは,20年前の「オリエンテーリング方式」と良く似ています。
 最初のチェックポイントでは,鳥の囀りの解説。ところが,聞こえる囀りと言えば,辛うじて遠くの森から聞こえるシジュウカラの声だけ。でも,まぁ,いいか,とチェックシートを1つチェック。……次のポイントは……と探しながら進むと,あれ?ほとんどのチェックポイントが見渡す範囲に見えている。各チェックポイントは,鳥のことについて,少しずつ違うテーマが与えられているけれど,その話と観察できるものとが繋がっていません。あるチェックポイントでは,スズメの絵を見せて「間違い探し」をしていました。良く出来た問題です。この手のノウハウは,この20年ほどの間にいろいろな蓄積があり,ネタ本からそのまんま引用しているのですが,初めて体験する人には良いネタです。……が,近くに本物のスズメが,あまり見当たらない……。あるチェックポイントでは,重さのサンプルを用意して,鳥の体重について答えさせていました。ネタとしては良いと思いますが,そこで話題になっている鳥が近くにいません。これなら室内のイベントで行っても同じじゃないかしら? さらに,各チェックポイントが近すぎて,3ヶ所ぐらいのチェックポイントで,同じ鳥に望遠鏡を向けていました
 さらに極めつけは,後半のほうのチェックポイントで。
 時間もお昼近くなったので,オオヨシキリの声やムクドリの声はするけど,チェックポイントから望遠鏡で楽しめる位置に鳥が出てこなくなってしまったのです。……すると,そこの案内人は,「ごめんなさい,今,鳥が見えていません」と深々と謝って,参加者を帰していました。……案内役が「お手上げ」を宣言してしまうなんて,初めて。耳を澄ませば鳥の声が何種類か聞こえるし,足元には春の草花があふれています。工夫すれば,ネタはいくらでもあるはずなのに,見せる予定の鳥が出なかったのでしょうか?最後の最後で,盛り上げるどころか,参加者の興味をメッタ斬りされた気分。
 お昼頃,スタート地点に戻って,チェックシートを見せて,スポンサーからのお土産をもらって,おしまい。その時点で,この「バードウォッチング・ラリー」の参加者数は30人ほどでした。

 ところで,ラリー参加中,子供はどうしていたかって? ……そりゃ,私の文章では表現できないほど,徹底的に飽きていました。普段,明治神宮探鳥会で遊びまくっている子が,ですよ……。

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 1980年頃の探鳥会と1990年代末の探鳥会。
 似たような企画なのに,何故にこれだけの差があるのでしょうか?

 少なくとも1980年代中盤頃までの探鳥会は,何をやっても,確かなパワーと熱意を感じました。それは案内役の側はもちろん,案内される側の参加者の人達からも。野鳥の会や探鳥会が,まだ新鮮味のあるものとして一般市民に浸透中だった時代のことだから,とも言えますし,野鳥の会の主張する自然保護理論も,今と比べるとシンプルな正義性を感じさせるものでした。公害問題や乱開発問題のまだ多く残る時代,自然保護が単純な善悪で論じることの可能だった,最後の時代だったのかも知れません。
 その頃のバードウォッチングや自然保護活動は,理解しやすくパワーがあり,何よりも,それを担う中核的人物が魅力にあふれていました。そして,バードウォッチング業界の外とのつながりもしっかりしていて,社会的にも影響力は強かったと思います。
 ことバードウォッチングや自然保護に関しては,今はローカルなヒーローの時代で,野鳥関係の業界内では有名になっても,一般社会にまで影響を与えるだけの力を持った人物は,もう,ほとんど輩出されないと言ってもいいでしょう。バードウォッチャーのみならず,その上に立つカリスマ的指導者たりとも,「井の中の蛙」状態なのです。

 バードウォッチングと言う言葉が市民に浸透し,探鳥会自体が珍しさ,新鮮味を失ってゆくにつれ,探鳥会からも,それを担う人々の背中からも,パワーやオーラが消えていったのは事実です。しかし野鳥観察を楽しむ人口は,着実に増えていました。高齢者を中心に。
 1980年代後半からは,野鳥観察においても自然解説においてもマニュアル化が進み,一般市民のバードウォッチングにも,この時期に相次いで出版されたマニュアル本の情報が浸透してゆきました。その結果,様式化ないしは形式化のようなものが進み,型破りの観察者が現われにくくなりました。大衆化の代償としての無個性化,単純化です。
 1990年代末の「バードウォッチング・ラリー」には,マニュアルを引用した卒の無い自然解説手法が各所に見られます。しかしそれが,フィールドに生かされていない,あるいは,フィールドの特性を活かす道具として使われていない。そして,1980年頃の自然解説と決定的に違うのは,「情熱」なのではないかと思います。1980年当時,自然解説のノウハウなど,ほとんど持ち合わせていなかった若者たちが,体当たりで情熱をぶつけて成功させたのが,あの「バードウォッチングフェスティバル」だったように思います。すっかりマニュアルの普及した「バードウォッチング・ラリー」では,マニュアル通りの企画がフィールドの状況変化に耐えられなかった様子が,参加者の私から見てもハッキリ分かりました。

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 1980年前後にカリスマ的魅力を発揮していた野鳥の会のスタッフたちも,今ではほとんど野鳥の会を離れています。数人でもいいから,1980年頃のパワーを継承している人物が野鳥の会に残っていれば,今の野鳥の会の活動も,随分と違っていただろうに,などと思ってしまうのは,あの時代のパワーを感じて育った者のノスタルジーでしかないのかも知れませんが,勿体無い話です。また,野鳥の会本部だけでなく,支部も同じような状況で,この20年で,支部の中心的な人材はほとんど入れ替わり,かと言って,入れ替わって年代が若くなったわけでもなく,むしろ入れ替わり前より平均年齢は上がってしまったと言う状況ですし,彼らの指導力は?と聞かれると,正直,あまり魅力は感じません
 この20年間で会員数を5倍に増やした日本野鳥の会。じゃ,活動規模も5倍なのか?と聞かれると,そうは思えません。むしろ探鳥会など,1980年代の活気が懐かしくなるくらい,参加者も少なく,淡白でシンプルになっています。言うなれば「単調会」ってとこでしょうか? 探鳥会の形が固まってしまったことに関しては,マニュアル本などが普及した影響もあるでしょう。それから,探鳥会の現場から,「自然保護」の匂いがすっかり消え失せてしまったことも,なんか,野鳥の会の現状を象徴するように感じます。野鳥の会の会員たちが,調査研究などに精を出して成果を上げたり,保護活動に二つ返事で協力したり,と言う風景は,もはや過去のものになりつつあります。
 野鳥観察の場からアカデミックなものや自然保護思想を抜き去ってしまったら,どうなると思います?鳥好きのための同好会みたいなものしか残らないわけです。鳥を見つけて名前を言い当てたり,それを競い合って楽しんだり,鳥の写真を楽しんだり,鳥に餌をやって楽しんだり……それは単なる,趣味の小集団でしかありません。このような現状で,野鳥の会やバードウォッチングが,社会的にも多くの人に受け入れられる「メジャー」なものに復活するのは,非常に難しいことだと思います。「メジャー」の切符を手に入れかけた1980年代の勢いは,もう,望むべくもありません。

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 さて,今後,果たして,あの「バードウォッチングフェスティバル」を超えるような自然観察イベントが,再び出来るような時代は来るのでしょうか?

 私は否定的です。

 企画・開催する側にも,参加する側にも,あの,20年前の「気」もオーラもありません。
 今の探鳥会は「若者が情熱を注ぐ場」と言うよりは,「老後の楽しみ」的な色合いの強いものです。
 それに,趣味・嗜好の多様化する時代です。
 1つの目標に向かって沢山の人が協調して進んでゆくようなイベントは,今後,ますます実施しにくくなると思います。

 だったら,いろんな志向の人,いろんな年代,いろんな立場の人の好みに合わせ,少人数で多様なスタイルの探鳥会や自然観察会を提案してゆき,しかも,一定水準以上の自然解説の質を確保して満足度を高めてゆくのが,現代風の自然観察イベントの演出方法ではないかと思います。「マスプロ」から「少量多品種」への転換が必要なのです。
 実際,1980年代には,バードウイーク時期に,全国で「一斉探鳥会」なども盛んに行われていましたが,今ではこうした行事も下火です。……人が集まらないのです。開催する側も参加する側も。それに,今はマスコミだって,バードウイークを「面白い,季節の話題」として取り上げることも,滅多に無いのですから…。

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 最後に……

 鳥好きで野鳥の会に入っている人について,いまどきの世間の目を背景に,斜め後ろから藪睨みをしてみれば,こんな感じでしょうか。

 もともと野鳥の会なんかをやっている奴は,少々変わった奴が多かった。
 変だけど,なんか面白くて,ちょいと魅力もあった。
 それが今は,タダの「変わった奴」でしかない。


 ……自然観察は,決してメジャーな趣味ではなく,その中のたった1つの分野である野鳥観察は,さらにマイナーな存在であることを,肝に銘じつつ,観察会/探鳥会の新たな舵取りをしなくてはいけませんね……。


(2001年10月7日記)

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