「野鳥識別検定」の謎


#この文章は,2月1日時点の情報をもとに書いています。その後,決定的な変更や誤りがあったら,修正を入れる予定ですので,そのつもりでお読みください。

 (財)日本野鳥の会によると,今年(2001年)中に,「野鳥識別検定」を立ち上げるそうです。
 「野鳥識別検定」の目的としては, 野鳥識別の知識,技能の向上と,野鳥や自然を脅かさない心構えの普及,となっています。例えば野鳥の生態調査などの際の,信頼性の裏付け。あるいは,探鳥会の案内人やバードウォッチャー個人の資質向上といった方向を考えていると言うことのようです。

 野鳥の調査をする際,誤って識別された鳥の記録が残ってしまったら,研究や保護活動にも影響が出ることは容易に想像できます。現在の野鳥の調査が,野外識別による観察記録に頼る部分がある以上,データの信頼性は,観察者の観察力の信頼性を反映します。さらに,野鳥の観察案内をする場合にも,野鳥識別力は案内者の信頼度に関わってきます。現在,野鳥の会で実施中の「バードウォッチング案内人養成研修」では,野鳥の識別に関してはあまり重点を置いていませんから,それを補完する意味もあるでしょう。

 しかし,野鳥の会の会員の中で,観察案内役を務めている人数は,例えば東京の場合,全会員の2%にも満たないのです。さらに,本格的に調査などに手腕を振るう人数は,もっと限られています。これらの人たちがすべて「野鳥識別検定」を受けたとしても,全国で1000人に満たないくらいでしょう。もちろんこの検定試験が,こうした狭い範囲だけを対象にしているものとは思えません。あくまでも野鳥観察や自然保護の普及と言う前提がありますから。……したがって,「野鳥識別検定」の最大のマーケットは,趣味として鳥を楽しむ個人,と考えられます。

 では,個人的な楽しみとして野鳥を見ている人にとって,「野鳥識別検定」は,どんな意味を持つか。……「野鳥識別」は,一般的なバードウォッチャーにとって,最も重要な事項の1つです。日本野鳥の会東京支部の,月1回開催の室内イベントでも,「識別」をテーマにすると,参加者が2〜3倍に膨れ上がります。

 どうしてそんなに「識別」が大切なのか。

 多くのバードウォッチャーにとって,「鳥の名前がわかること」は,重要なことです。個人的観察記録をつける場合はもちろんですが,初心者からベテランになってゆくにつれ,だんだんと識別力が身につき,「種類のわからない鳥」が減ってゆくわけですから,「野鳥識別力」は,個人のキャリアと実力の指標でもあるわけです。それと類似の指標として,「ライフリスト」,つまり,自分がこれまでに見たことのある野鳥の種類数を目標にしているバードウォッチャーも少なくありませんし,もちろん「ライフリスト」には,じゅうぶんな野鳥識別力(&じゅうぶんなお金と時間)が無ければ,そう簡単に増やせるものではありません。

 「野鳥識別力」と「ライフリスト」は,車の両輪のようなもので,そこには「より多くの種類の鳥を見たい」と言う欲求が背景にあります。個人的な楽しみのために,「ライフリスト300種」とか,「見たい鳥」を目標にするのは,励みになることです。しかし,一部にはそれが極端にエスカレートし,他のバードウォッチャーとの間でトラブルが起こったり,フィールドを荒らしたり,鳥に興味を持たない人たちに迷惑をかけたり,さまざまな問題を招いているのも事実です。それはすぐに,「野鳥の会批判」につながります。「(財)日本野鳥の会」そのものは,バードウォッチャー全体の10%も組織していないと言われていますが,鳥に興味を持たない人には,バードウォッチャーはみんな「野鳥の会」に見えます。野鳥の会が「自然保護団体」を名乗る以上,こうした批判は避けて通れませんし,野鳥の会批判は,自然保護活動のマイナス要因ともなっていますから,いきおい,野鳥の会は,非会員を含めたバードウォッチャーの素行には注意せざるを得ません。逆に言えば,野鳥の会が「自然保護団体」として社会的信用を得るために,これまでずっと観察者のマナー問題に取り組んだり,一般向けに野鳥観察の普及に努めてきたわけです。「野鳥識別力」に関しては,これに検定による資格を与えて「特殊技能」として認めてしまえば,一般の人たちに,野鳥観察者を専門化,特殊化,マニア化した人間として強く印象付けてしまう危険を持っているわけですから,野鳥の会の「普及活動」の妨げになる可能性が大きいわけです。そう言う意味で,普及啓蒙活動面を理由に,このような検定試験制度を避けていた面もあるように思います。野鳥観察者を特殊化させないことは,野鳥の会の会員増加戦略的には成功したと思われます。
 こうした,ある面では個人のライフリストや識別力を競う風潮を,さらに助長する可能性が高く,自然保護団体批判にもつながるリスクの高い「野鳥識別検定」をなぜ,いま,作る必要があるのか,私には明確な理由が見えません。

 「野鳥識別検定」が行われた場合,その認定結果はどのような使われ方をするでしょうか?
 野鳥調査の信頼度に「お墨付き」を与えることが出来ます。
 探鳥会などで,案内役の人の信頼性も上がるかも知れません。
 しかし,そのような使い方が出来るのは,前述のとおり,現状ではごく少人数です。
 その一方で,個人ベースで「野鳥識別検定」を利用した場合,バードウォッチャーの「差別化」が懸念されます。

 もし,あなたが野鳥に関する知識があまりなく,初めて探鳥会に参加したとき,参加者の中に「私は野鳥識別検定上級合格者だよ」と自慢する人がいたら,どう感じるでしょうか?
 ……探鳥会の敷居が,ますます高くなるように思います。
 「野鳥識別検定」の上級資格を取得した人が案内する探鳥会は,信頼度が増すかも知れません。その一方で,案内役と参加者の心理的ギャップは,これまで以上に広がります。それが,「アマチュアのボランティア運営」で賄っている,日本国内のほとんどの探鳥会にとって,メリットになってくれるのでしょうか?既に全国各地で,探鳥会案内役の人材難が問題になっているのです。私の自然観察案内の活動の現場でもある東京エリアの場合,これ以上参加者と案内役のギャップが広がれば,人材登用に致命的な打撃になりかねません。

 果たして,「野鳥識別検定」は,「自然保護」に資することが出来るのでしょうか?私の目にはマイナス面ばかり目立ちます。これは,長年,探鳥会で観察案内をしてきた経験に基づく率直な感想です。
 「野鳥識別検定」に関して,このようなマイナス面に対する明確なフォローは,いまのところ提案されていません。


 さらに,検定試験そのものにも問題があります。
 我々が鳥を識別するときには,例えばそのフィールドの環境や季節,鳥の居場所(木の上にいるか,地面にいるか,等々),鳴き声(季節によって鳴きかたが変わったり,近くに他の鳥や生きものがいれば鳴き方が変わることだって予想しつつ,聞いています),動きなど,鳥の形態や色彩以外にも,さまざまな情報を取り入れて判断してゆくわけです。もちろん,判断基準は人それぞれ。

 例えば写真やCDで野鳥の識別力の試験をした場合,どれだけ実際の「識別」の場面で通用する力が判るでしょうか?

 こんな話があります。
 これは野鳥の会東京支部の室内行事で,実際にあった話ですが,探鳥会の案内役の面々を舞台に立たせ,テープで鳥の声を聞かせて,鳥の名前を答えさせたら,驚くほど答えが出なかった,と言うエピソードがあります。
 つまり,識別力は,フィールドに精通し,鳥そのものから得られる情報以外の情報を駆使して初めて,実力が発揮されていたのです。
 ……野鳥の識別が机上の学問ではないことを,端的に教えてくれるエピソードです。

 このような問題点は,「野鳥識別検定」を提案した当事者も,確実に経験している事項ですから,十分に認識しているはずなのですが……。


 私が探鳥会で観察案内を引き受けたとき,「ライフリスト」は100種あるかどうか,と言う程度でした。その当時の野鳥の会の支部スタッフの中には,「リーダーになるには野鳥を200種識別すること」とおっしゃる方もいましたが,現実には特に問題もなく,いまだに観察案内を続けています。
 もちろん,「野鳥識別力」がゼロに近いのでは,観察案内は務まりませんが,「識別」に長けているだけでは観察案内が務まらないことぐらい,探鳥会を担当したことのある人なら,誰でも分かっているはずです。


 もし,「野鳥識別検定」が立ち上がった場合,どんな方向に発展するか?
 現在明らかになっているわずかな情報からの推測ですが,私の予想では,「緑・花文化の知識認定試験」のような方向になるのではないかと思います。個人の知識を認定する以上の意味が,なかなか見出せない検定試験,と言う意味で。

 いまは提案されたばかりで構想段階の「野鳥識別検定」が,野鳥の会やバードウォッチャーにとって,どんな意味があるのか,どんなメリット,デメリットがあるのか,具体化する前に,もう少しじっくり考えてみたいものです。

 もちろん,「野鳥識別検定」を主催する団体が,自然保護団体である「(財)日本野鳥の会」ではなかったら,それほど批判する理由もないんですが……。(冗談半分ですが,文一総合出版あたりが企画したほうが,面白かったと思う…)


(2001年02月06日記)

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