リスク管理は誰がやるの?


 先日,保育園の先生から相談されたことが,ちょっと引っかかっています。
 それは,子供たちをお散歩に連れ出すとき,カタツムリを探して飼ってみよう,と計画していたら,沖縄でカタツムリから感染した病気で死者が出たというニュースを聞いたお母さんから,やめてくれ,とクレームをつけられたが,どうしたら良いだろうか,と言う話。

 まずはとにかく,事実関係を調べてみました。
 まず,その感染症の原因は,広東住血線虫であることが分かりました。広東住血線虫は,本来,アフリカマイマイとげっ歯類の間を行き来しながら生活環が成り立っている寄生虫です。彼らは幼虫世代にはカタツムリの体内にいて,それを食べたネズミなどに感染し,成虫となり,糞とともに卵が外出て,その糞をカタツムリが食べることで,ぐるぐる回っているわけです。もともとの感染地域はマダガスカル。アフリカマイマイの移入によって世界中に広がり,ナメクジやスクミリンゴガイ(いわゆる「ジャンボタニシ」)などの淡水性の貝にも感染することや,ナメクジを食べるカエルなどへの感染も確認されています。人への感染は,線虫の感染したナメクジやカタツムリを生食したり,傷口から幼虫が侵入したりすることによって起こります。胃に入った幼虫は,胃壁を突き抜け,血流に乗り,脳脊髄液を通って脳に達することもあります。
 人は,広東住血線虫の本来の宿主ではないので,線虫の幼虫が感染する確率はきわめて低く,感染してもうまく成熟できず,大抵は感染後まもなく虫が死んでしまいますが,非常にまれな例として,虫がたまたま中枢神経に迷い込むと,神経症状を起こしたり,感染した人が死ぬこともあります。
 日本での症例は,大部分が沖縄で発生したもので,過去に40例ぐらいしか確認されていません。感染源は,アフリカマイマイと思われるものが一番多く,他にはナメクジやヒキガエルなどが疑われています。アフリカマイマイは内地にはいませんが,本州,四国,九州でも,ナメクジなどへの広東住血線虫の感染例が確認されています。

 これを危険と思うか,思わないか。……それが問題なのです。

 私は,
1)カタツムリと遊んだら良く手を洗うこと,
2)手に傷があるときは,念のためカタツムリに触らないこと,
3)カタツムリを触った手をなめないように,大人の人が注意してあげること

この3点で,感染リスクは限りなくゼロに近づく,と先生に説明しておきました。そして,どうしても嫌だと言う親からの希望があれば,その子だけ遊ばせないようにする等の対策も必要でしょう,と付け加えました。

 どう思いますか? 「カタツムリ遊びをやめろ」と言うのは,私には「過剰反応」に思えます。自然と付き合う以上は,リスクをゼロにすることは出来ませんが,相手を良く知り,有効な対策を考えれば,リスクは限りなくゼロに近くすることは出来ます。リスクがゼロでなければ許せないのなら,説明のしようがありませんね。
 こうした保護者からの過敏なまでの反応で,学校行事がしばしば中止されることもあり,また,事故が起こった際に,一方的に学校に責任を負わせようとするのも,よくある話です

 広東住血線虫の場合,その特性と感染経路さえ知っていれば,じゅうぶんなリスク軽減策が取れるわけです。闇雲に怖がるand/or拒絶するだけでは,我々と決して切り離すことの出来ない「身のまわりの自然環境」を知ることをも拒否してしまいます。こうした拒絶反応には,ある種の潔癖症的な感覚も働いているようにも見えます。

 その一方で,健康食ブームの影響なんでしょうか,どこから聞いてきたのか,ナメクジを生で丸呑みするのが健康にいいから,と実行している人がいるのですから,なんか,良く分かりませんね。

 私はこう思います。
 ものごとのリスクをきちんと知る作業を放棄していないだろうか。
 リスクに対し,自分でリスク回避策やリスク軽減策を考えず,人に責任を押し付けていないだろうか。

 何を危険と考え,どこまでのリスクを容認するのかは,個人の判断で違います。それに関して,口出しするつもりはありません。でも,それ以前の問題として,冷静にリスクコントロールについて考え,危険度をきちんと客観的に知る,と言う作業がなければ,きちんとリスクを判断することは出来ません。食品添加物にやたらとうるさい人が,食品に含まれる天然の毒素や発癌性物質(しかも添加物より10倍以上のリスクがあったりする)には無頓着だったり,有機栽培にこだわる人が,回虫などの寄生虫感染のリスクを考えなかったりする例など,さまざまな実例がありますが,総じて言えば,何も考えないで突っ走ってしまうことのほうが,私には危険に思えます。「買ってはいけない」のような,一面的なものの見方をする本が売れるのも,リスクを煽ると何も考えないで飛びついてしまう,消費者の志向を見越しての販売戦略だったのかも知れません。

 昨今の,安全や衛生に関する過剰なまでの反応は,自分自身のためのリスク管理を放棄した,無責任さの反映でもあると思います。

 特にアウトドアなどで自然とつき合う場面では,自分の責任でリスクを判断し,コントロールする必要性が高くなりますが,じゅうぶんな予備知識もなく,リスク判断作業に慣れていないと,思いもよらない事故を起こすこともあります。川の中州でテントを張って水難に遭ったキャンパーなどがニュースになりましたが,明らかにリスクを考えていなかった結果だと思います。
 もちろんアウトドアだけでなく,日常生活の中でも,自分の責任でリスクを知り,評価し,リスクコントロールをしてゆくことは大切です。さらには,自分の行動が,他人に与えるリスクを上昇させる,と言う場面も,考慮しなくてはいけません。

 こんな経験もあります。
 とある市民環境団体がエコアップしている水路を親子で見学したとき。娘も喜んでエコアップ作業の実習をしましたが,その後帰宅してから,首筋にダニがついているのを発見。病気を媒介するダニだと,きちんと対処しなくてはいけなくなるので,急いでダニの種類を調べたら,犬に寄生するダニでした。……つまり,エコアップ中の水路周辺や草むらで,作業をしていない隙に,犬を放して遊ばせている人がいたんでしょうね。おそらく飼い主は,犬が環境汚染源になっていると言うリスクを知らないと思います。犬の飼い主の無責任さも問題ですが,ダニをもらってしまった側も,もし,ダニのリスクを分析できない人だったら,……と思うと,ぞっとします。


 さて,カタツムリの相談を受けた保育園では,毎年,夏から秋にかけて,何ヶ月もアタマジラミが蔓延しています。クラス全員が一斉に駆除作業すれば,2週間ぐらいでシラミを根絶させることができるはずなのに,足並みが揃わない。一度駆除しても,誰かから再感染してしまう。……これだけ潔癖なお母さんが多い時代に,なぜ?


(2000年6月18日記)

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