自然保護についての誤解


 「自然保護」って,どんなイメージを持っていますか?
 では,「自然保護活動」って,具体的にどんなことをすればいいんでしょう?

 日本野鳥の会は1970年代に法人化しました。
 その目的は,独立した法人として,企業や政府サイドの言いなりにならないような予算基盤を持ち,自然保護団体としての発言力を高め,活動を拡充するためだったと,私は理解しています。
 つまり,このときを機に,野鳥の会は,本格的な「自然保護団体」となったわけです。
 しかし,従来からの「野鳥愛好者団体」的なカラーは残っていて,支部によってかなり状況は変わっていますが,現在もそんなに変わってはいないと思います。自然が好きでなければ自然を守ることは難しいですから,それは不自然なことではないわけです。

 でも,探鳥会などで会員に直接会って話を聞く機会が多い立場にいると,ちょっと気になることがあります。それは,「自然保護団体」である野鳥の会の会員が,自然保護に対する理解に乏しいこと。

 最初の質問に戻りましょう。

 自然保護と言うと,開発反対運動などを思い浮かべる人は多いと思います。確かに過去にはそれで実績をあげていた時代もありました。しかし現在では,闇雲に反対をするだけでは,保護活動とは言えません。もちろん,反対をするからには,科学的で客観的なデータを示して根拠を明らかにする必要があります。そのための基礎的な調査研究も,広義の「自然保護活動」の範疇に含まれることでしょう。また,単に開発を阻止するのではなく,多様な生物との共生,生態系へのダメージの軽減と言った方向を示してゆくことも必要です。もちろん,手付かずで残すべき湿原や原生林などは,「開発阻止」が第一選択ですが,行政や開発業者とともに円卓につき,自然環境に配慮した,人と生き物が共生できるようなプランを積極的に提案してゆくのも,現代的な自然保護活動だと言えます。さらに,自然環境を守り,作る,あるいは自然と人との良い共生関係を築くためには,多くの人に「自然」と言うものを知ってもらわなくてはいけません。そして,なぜ自然環境を守るのか,理解してもらうこと……つまり,普及啓蒙活動ですね……これも,非常に重要な「自然保護活動」だと思います。具体的には,観察会や探鳥会などで,「自然」の味方を増やすわけです。もちろん,最近流行の「エコライフ」的な活動……リサイクルや資源の無駄遣いをやめることなども,「自然保護活動」だと言えます。

 ところが,探鳥会の参加者に聞いてみると,「自然保護」には興味はあるけど自分はなかなか動けない,と言う回答が返ってきます。もっと詳しく聞いてみると,「自然保護活動」と言うのは,開発反対運動のデモ行進をしたり署名集めをしたりすることだと思っている人が,意外なほど多いのです。で,署名に名前を書くことや,少々の寄付金を出すことは,協力してくれる。……つまり,古典的な「自然保護活動」のイメージしか持っていないから,「自然保護活動」に参加することに拒絶反応を示してしまっているようなのです。
 自然保護団体の会員が保護活動に協力的でない理由が,少しわかったような気がしました。
 まずは,会員のための普及啓蒙活動が必要だったんですね。
 少なくとも,アナクロな「自然保護思想」から脱却しなければ,なかなか先に進めそうもありません。

 「自然保護」に関し,他にも誤解があります。
 その1つは,「動物愛護」等との区別がつかないこと。
 野生動物や野鳥に餌付けをすることは良いことだと思っている人,意外と多いですね。
 日光市では,「餌付け禁止条例」が決まりました。一番の理由は,餌付けされて数を増やした野生動物による被害。人に対する被害はもちろん,生態系のバランスの崩壊による被害も,かなり深刻になっています。欧米の国立公園などでは,餌付けをしないことが自然保護の常識ですし,キャンプ場での食料やゴミの管理にも,かなりの注意を払っています。日本でも,日本自然保護協会が,既に1975年に,餌付けに関する問題について指摘しています。それが具体化するのに25年もかかっているのです。でも,現実には,餌付けをしない自然愛好家は,まだまだ少数です。

 このギャップの最大の原因は,「保護」と「愛護」ないしは「愛好」の区別がつかないことにあると,私は考えています。
 「愛護」や「愛好」は,「保護」よりも人間中心,自己中心的な発想です。希少な野の花を掘り取って,鉢に植えて肥料や水をきちんとやる。きちんと世話をしているのだから,花もこの方が幸せだろう……これは「愛護」「愛好」的な発想です。希少な野の花の生える環境を,周囲の生き物などとの関係を含めて,良好に保つようにしながら,維持してゆくのが,「保護」の発想です。野生生物に餌をやることは,生態系を崩し,結果的には彼らの生息環境を良くすることにはならない。そうしたことを理解してもらわなくてはいけません。

 では,なぜ「保護」と「愛護」の区別がつかないのか?突き詰めれば,自然保護に対する無理解なのでしょう。古典的には,特定の生物種を守るための活動と言うのは,多くの「自然保護団体」が実施してきました。野鳥の会でも「この鳥を守ろう」と言うキャンペーンが過去にはありました。しかし現在,特定の種だけ餌を与えて可愛がるような活動は,大組織の自然保護団体ではまず,行われていません。「イヌワシを守る」のではなく,「イヌワシの森を守る」のです。この違いが理解できなければ,自然保護活動は,なかなか進展しないでしょう。
 佐渡のトキの飼育も,しばしば報道され,非常に目立ちますが,あれは基本的に,現状では「自然保護活動」とは言えません。単に外来種のトキを輸入して繁殖させただけで,日本固有のトキは,もう,戻ってきません。日本固有のトキを増やして野に放し,環境復元を同時に進めるのであれば,「自然保護」と認めてもいいけど,現状では「動物園」と同じです。

 さて,ここまで考えてくると,観察会や探鳥会が,自然保護活動の「最前線」の1つであることが,わかっていただけると思います。一般に公開された,「自然保護の普及啓蒙窓口」なのですから。しかし,私が参加したことのある探鳥会を見ている限りは,自然保護を語れる案内人には,滅多に出会いません。参加者もそのようなことを求めているのではなく,かなりの観察キャリアの人でも,珍しい鳥,きれいな鳥を見て楽しむことを目的にした人が主流で,自然保護思想が疎まれてしまう場面も少なくありません。
 まずは「自然保護」に対する誤解と偏見を取り除くことから始めなくてはいけないようです。
 「自然保護」に関する理解があれば,観察内容も,自然の見かたも,フィールドマナーに対する考え方も,ずっと変わってくるのではないでしょうか。
 第一,自然保護団体の会員が「自然保護」に対する理解が無いなんて,恥ずかしすぎます。


(2000年3月18日記)

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