観察力とフィールドマナー


 唐突ですが,「観察」って,何でしょう?
 何か,ものを見ているとき,「見る」「眺める」ではなく,わざわざ「観察する」という場合,「見る」以上の何かをしているのではないでしょうか。

 私はこう考えています。
 「自然観察」とは,自然を見たり触れたり音を聞いたり匂いをかいだり,ときには味わってみたりしながら,「自然」を読み解く作業である,と思っています。それは,単に花や鳥を眺めて美しい色や形を楽しむことだけではありません。その生き物がそこで生きていることが,どんな意味を持つのか,彼らが命を支えて暮らすためには,どんな生き物と関わり,どんな気候が適しているのか……などなど,さまざまな「つながり」を持って,興味や疑問が広がってゆきます。趣味として自然観察を楽しむなら,それは知的好奇心を刺激する,頭と体の両方に楽しい遊びなのです。
 野鳥の会の野鳥観察会のことを,特に,「探鳥会」と呼びます。これはもともと,野鳥の会創始者の中西悟堂の造った言葉です。これは実に素晴らしい言葉だと思います。この言葉には,単に鳥を眺めるだけではない,深い意味が含まれていると思います。フィールドを「探訪」し,野に生きる鳥の生きざまを「探り」,どうして野の鳥を野に置いておかなくてはいけないのか,また,野の鳥が野ですこやかに生活を続けるためには何が必要なのか,と言った,さまざまな「探究」をし,野鳥と,それを取り巻く自然環境,さらには私たちとの共生関係をも「探求」してゆく……「探鳥会」は,こうしたことを一言で上手に表現していると思います。「探鳥会」は,鳥を観察しながら,鳥と関わり合いの切れない自然環境を,さらには人間社会をも観察する「観察会」なのですね。ですから,私は「探鳥会」では,必ずきちんと「自然解説」をし,鳥だけを特別扱いしないようにしています。それがおそらく,「探鳥会」の基本理念に最も近いやり方だと思います。

 「観察力」と言うのは,「自然を読み解く力」であると言えます。
 それは,学者や研究者のための特殊能力ではありません。
 「観察力」は,私たちが「自然」とうまくつき合うためのスキルなのです。

 観察力を磨けば,いろいろなものが見えてきます。自然を見て聞いて,触れたりすることから,その中にあるさまざまな情報を読み取ってゆくことが出来るようになります。
 たとえば,小学生に漢字の読み書きを教えれば,小説も専門書も,とりあえず読むことは出来ます。でも,小説の行間に隠れている微妙な心理描写や,専門書の説く理論などをじゅうぶんに読み取れることは出来るでしょうか?字を読む能力と文章を読み解く能力が明らかに違うように,単に自然を見るだけの人と,自然を「観察」し,読み解ける人の間には,大きな違いがあります。

 単に「見るだけ」の経験の繰り返しでは,観察力がじゅうぶんに育たないこともあります。野鳥を300種見た人と,身近な鳥30種をよく観察して知っている人を比べた場合,30種しか見ていない人のほうが野鳥に詳しく,より自然を理解している場合だってあるのです。先ほどのたとえ話に当てはめれば,鳥を見て名前がわかることは,漢字の読み書きに相当します。観察力のある人は,文章を読んで理解できる人に相当する,と言うわけです。
 言い換えれば,「見物」と「観察」の違いです。
 たとえば,京都に旅行し,いろいろな社寺を回って記念写真を撮っても,なかなか京都の歴史に詳しくはなりませんよね。それと同じです。野鳥や花をたくさん見て,その名前をたくさん知っていることは,知識を豊かにし,ちょっとだけ人生を楽しくしてくれます。でも,自然を読み解く力がもう少しだけあれば,同じ観察から,はるかに多くの知識と経験が得られていたのではないでしょうか?
 観察力があれば,自然観察は,もっともっと,面白いものになるのです。

 私が「観察力」(=自然を読み解く力)を多くの自然愛好家に身につけて欲しい理由は,もう1つあります。
 それは,観察力がつけば,フィールドマナーへの理解と実践が,きわめて容易になるからです。

 自然を観察して読み解くことができれば,自然環境への理解が進みます。そうすると,どのぐらい人間が手出しすると,自然環境が取り返しのつかないダメージを受けてしまうのか,だいたい分かってきます。それがわかれば,その環境での利用者のルール(=フィールドマナー)は,おのずと分かるわけです。
 いま,どこのフィールドでも利用者のマナー悪化は問題になっています。探鳥会でさえも,最初にマナーについてさんざん説明しても,10分後には困ったことをする人が現れる,と言う状態です。アウトドアブームで自然の中に飛び出してゆく人が増える一方で,自然を観察して理解し,きちんとフィールドマナーが理解できる人は減っています。マナーの改善のためには,単に禁止事項を並べるだけでは,ほとんど解決にはなっていません。探鳥会や観察会などを活用し,きちんと観察力を身につけてもらうことのほうが,多少の時間はかかるかもしれませんが,根本的な対策になります。しかしながら,観察会や探鳥会の利用のされ方も,ともすると観光ツアーに近い面があり,案内する側も,とりあえず鳥などを見せて名前を教えれば「指導者」として成り立ってしまうので,「観察」と言う側面がおろそかになる場合も少なくありません。鳥を見て名前を知る程度の内容なら(参加者もそれしか求めていないと言う面もありますが),それは「探鳥会」ではなく「野鳥見物観光ツアー」と呼んでしまってもいいんじゃないか,と私は考えます。物見遊山の観光ツアーと同じようなものです。「観光客」にフィールドマナーを説明したって,煙たがられたり聞く耳を持たないのは,当然の結果なのかもしれません。しかも,集団心理が働いて気が大きくなったりするものだから……。

 探鳥会の参加者を見ていると,自然を読み解く力(=観察力)と,フィールドへの接し方(=フィールドマナー)は,おおよそ相関があります。しかし,観察経験とフィールドマナーには,それほど相関がありません。鳥を見る経験が,自然観察力に反映されていないのです。野鳥を見た経験数や野鳥を識別する能力に長けている人でも,自然環境を理解する力が貧しい。観察者としては,非常にアンバランスです。このタイプの人と話をすると,ちょっとカルトっぽい印象を受けます。でも,本人はフィールド慣れしていると思っているから,けっこう自信を持っている。案内役としては,非常にお相手しにくいんです,このタイプ。

 また,自然を読み解く力は,フィールドでの事故防止にも非常に役立ちます。たとえば,危険な昆虫や有毒植物の生態が分かるだけでも,かなり違ってきます。山での遭難事故にしても,平地の常識が通用しない,山の自然環境をきちんと読み取って状況が判断できれば,少なくとも今よりはずっと事故率が下がると思います。自然を観察する力がつけば,危険な状況の判断が的確になるのです。

 そろそろ,「見物」は卒業して,「観察」を楽しみましょうよ。


(2000年2月11日記)

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