14歳レベルの理科教育


 いま,私が関わっているような「自然観察会」は,どんなに面白く演出していても,最終的には環境教育効果を狙っています。つまり,突き詰めれば,人に「理科」を教えているのです。野鳥や植物の名を教えるのは「分類学」であり,そのバックグラウンドには形態学や遺伝学や進化などの知識が詰まっています。私は分類学よりも長い時間を,生態学や生理学系統の話題に使っています。もちろん,花鳥風月の文化的側面も押さえていますが,これも単なる文化だけでなく,科学史の知識を動員したりします。理由は簡単。生き物の形態識別をし,種名を分類する作業より,はるかに面白く,興味が広がるからです。自然観察は,人と生き物の対話の中から生まれる,知的好奇心を刺激する遊びでもあるのです。
 でも,「理科嫌い」と言う言葉が定着している昨今。ストレートに理科的なことを喋ると,拒絶反応を示す人も少なくありません。経験的に,年をとるほど「理科」を嫌うようです。中学,高校での理科嫌いは,しばしば問題視されていますが,彼らの親世代,祖父母世代のほうが,はるかに理科を嫌います。まぁ,探鳥会や観察会は「理科」ではないとお考えなのかも知れませんが……。少なくとも私は,観察会では理科的な知識を少々駆使すれば,はるかに自然への理解が進み,興味が広がると考えているので,多少,年配の方に煙たがられても,自然の「おもしろさ」を伝えるために,理科の知識を使わせてもらっています。それに,現在,観察会などで指導しているフィールドマナー。これも,生態学的な知識が少々理解できていれば,大変理解しやすいのですが,残念ながら,フィールドマナーを守らない年配者が目立ちます。おそらく,生態学的な知識への興味の有無とマナーの悪化は,関係しているのではないでしょうか。
 観察会に来る親子連れを見ていると,親が自然のことが好きで,子供を連れてくる場合と,親はあまり好きではないけれど,子供に「自然」を教えるために,がんばって参加している場合の,2通りのパターンに分けられます。理科的なことを毛嫌いする親に育てられた子供たちは,なかなか理科が好きになれず,逆に理科の好きな親を持った子供たちは,本当に熱心な理科好きになったりするものです。特に小さいお子さんの場合,親と感動が共有できることは大変嬉しいことです(もちろん,親も嬉しいですが)。もし,子供が観察会で発見し,感動したことを,お父さん,お母さんが一緒に喜んでくれなかったら,ちょっと悲しいですよね。特に小学校に上がる前のお子さんは,自然の中で遊びながら,生き物好き,理科好きになってゆくような気がします。観察会の場では,小さい子ほど素直に,自然好き,理科好きなのです。そんな興味の芽を,しっかり育てて欲しいな,と思います。

 では,理科が嫌いになってしまった世代に,どうやって自然観察の楽しさを伝えたらいいのか。
 これは私の経験的なものですが,おおよそ14歳レベルの理科の知識なら,理科嫌いの人にも拒絶されにくく,しかも大人の知的好奇心を満たすことができます。また,14歳レベルの生物学なら,理科好きの小学生なら,じゅうぶんに理解できるレベルです。言い換えれば,14歳レベルが,誰もが共有できる生物学的な知識の上限,と言うことです。
 14歳と言えば中学2年生。高校受験の受験勉強として理科を詰め込まれる直前です。この辺りを境い目に,はっきりと「理科嫌い」が頭角を表してくるのでしょう。
 私が関わっていたWNN-Natureの「身近な自然質問箱」でも,回答者の間で,「中学1年ぐらいのレベルで解説しよう」と言う,おおよそのラインが経験的に形成されていました。WNN-Natureのコンテンツ全体を見回しても,おおよそこのレベルにまとめられていると思います。とっつきやすく,楽しい「理科」の基準線は,やはり,この辺なのでしょう。

 ともあれ,探鳥会参加者の大半が50代以上の世代になった昨今,この世代への理科教育あるいは環境教育は,ますます重要になるのではないでしょうか。理科的な基礎知識を伝えることで,少しでもフィールドマナーの意味を理解してもらって,「探鳥会の連中が来たらフィールドが荒れた」などと悪口を言われない程度にしたいと思うのです。そして,子供たちには,理科を好きになるきっかけとして,良質の自然体験を提供し,子供たちと感動が共有できる指導者でありたいと思います。


(2000年1月13日記)

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