北上するチョウの謎


 生態系はバランスの世界。生き物同士,生き物と物理的な環境との兼ね合いなどが複雑に絡み,座りのいい所へ落ち着こうとしています。ある意味,とても流動的な世界です。あるものは絶滅へ向かい,その中には人間が絶滅に加担してしまった生物種も多く含まれています。その一方で,人が作り替えた環境に適応し,人の生活の場のごく近くで,分布を広げている生き物もいたり,微妙な気象の変化によって生き物の勢力分布が大きく変わることもあります。

 身近に飛んでいるチョウの世界にも,その一端がうかがえます。



 これはウラナミシジミ。夏の終わり頃には関東各地で普通に見られるチョウですが,かれらは温暖な土地でしか越冬できません。関東地方でウラナミシジミが越冬できるのは,三浦半島や房総半島の南端部ぐらいで,夏に分布を広げて北上した個体は,子孫を残すことなく死に絶え,翌年,再び繁殖と北上を繰り返すのです。分布拡大する力と気象条件の,絶妙なバランス点が関東地方にあるわけです。
 もし,今後,気候がほんの少し温暖化に向かったら,南関東一帯でも,ウラナミシジミの越冬が見られることになる可能性があります。

 近年,かつては南方系のチョウと言われていた種類が,分布域を北に拡大している例が,いくつかあります。最近,南関東で変化の大きいチョウについて,いくつか事例を紹介しましょう。

・ツマグロヒョウモン:ヒョウモンの仲間にしては珍しく比較的暖地性です。最近では東京都心でも時折見つかります。スミレ類が食草なので,花壇のパンジーを利用しているようです。
・ナガサキアゲハ:名前の通り,西南日本を代表する大きなアゲハ。最近,房総半島中部まで分布が拡大しています。ミカンの木で育つので,商業的なミカン栽培の北限(茨城県南部)までは,すんなりと分布を広げる可能性があると予測していますが,どうでしょう?
・クロコノマチョウ:九州の「普通種」。近畿圏ではつい最近までは珍しかったのが,既に普通種と言って良い状態です。最近,関東でも続々と観察事例があります。


 ツマグロヒョウモン(雌)。ちょっと古い図鑑だと,分布の北限は東海地方の海沿いまで,とされています。
 これは鎌倉駅の近くで撮影しましたが,かなりの数が見られました。



 そして,今回のメインテーマである,ムラサキツバメ。
 ムラサキツバメは,10年ぐらい前には関東にほとんど分布が無かったチョウです。
 この2,3年,爆発的に増えています。
 今年(2002年)は茨城県で大量に繁殖しているのを観察しました。いよいよ北関東進出です。

ムラサキツバメ。2001年9月,千葉県野田市で撮影。 撮影:柳沢 勉様


 ムラサキツバメの分布拡大の背景には,人の活動が大きく関わっています。ムラサキツバメの幼虫は,マテバシイの葉を食べます。マテバシイは潮風や大気汚染に強いと言うことで,特に首都圏では,さまざまな場所で街路樹として植えられています。このマテバシイの苗木を仕入れる際に,ムラサキツバメを持ち込んだ可能性があるのです。しかし,今年,私がムラサキツバメを初めて見つけたマテバシイの街路樹は,20年以上前の植樹です。……つまり,自力で分布拡大している可能性も高い。おそらく,人の輸送と自力での繁殖の相乗効果により,急激に分布を広げたのではないかと推測しています。


幼虫はアリと共生しています。2002年9月,東京都渋谷区で撮影。


大量に産卵していました。2002年9月,茨城県つくば市で撮影。

 もし,あなたのお住まいの地域で,見慣れないチョウを見つけたら,要チェックです。ちょっとした観察記録の積み重ねが,生き物の世界で起こっている大きな変化を浮き彫りにする大事なデータになるのです。もし,これをお読みになって,興味を持たれたら,お近くの博物館であるとか,研究グループなどにコンタクトを取って,観察記録を役立ててもらってみては,いかがでしょう。お近くにコネクションが無い場合,このサイトの掲示板に報告して頂いても結構です。

 ちょっとだけ気にして身の回りを眺めるだけで,いろいろな自然の変化が見えてきます。


(2002年10月10日記)

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