「沈黙の初夏」


 40年ほど前,カールソン女史は,「沈黙の春」と題した本で,残留性の強い殺虫剤などの環境への影響を示し,虫も飛ばない,また,それを捕食する鳥も鳴かない春の風景の異常さを説きました。
 その後,農薬,殺虫剤等による環境汚染については,誰もが認識し,薬剤安全性の面,環境管理の面,双方から改善策が進められてきました。

 こうした,目に見えるような「大量虐殺」的な事態は,今ではあまり見られなくなりましたが,「気づいたら,いつの間にか自然環境が変わっていたり,生き物の様子が変わったいた」と言うタイプの「異変」は,身近なところでも進行しています。
 そんな話を1つ,紹介しましょう。

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 さて,ここは東京から60kmほど離れた地方都市。初夏,道路脇のサツキの植え込みは,満開です。



 これを見て,異常に気づく人は多くないと思います。
 しかし,これは異常事態の写真なのです。
 ……花に来る虫が,1匹も写っていません。

 この花の前で,しばらく虫の出入りを観察してみました。ツツジ類の花粉の媒介者(ポリネーター)は,チョウやハチ。中でも,マルハナバチの仲間は,とても効率良く花粉を運びます。……しかし,晴天の昼下がりに,10分待っても,20分待っても,マルハナバチは姿を見せません。飛んできたハチは,セイヨウミツバチが2匹のみ。



 初夏にはネズミモチの白い花も,あちこちで咲きます。
 むせるような花の匂いの中,ハチたちが元気に飛びまわり,餌集めをしながら,授紛をしてゆく……と言う,当たり前の風景が,当たり前ではなくなってきたようなのです。
 高さ4mほどの満開のネズミモチを30本探してみましたが,見つかったハチは,セイヨウミツバチが7匹,コハナバチの仲間の小さいハチが2匹。マルハナバチ類は,結局,見つかりません。


このセイヨウミツバチも,養蜂業のために輸入した,外来昆虫ですね。

 ミツバチもマルハナバチも,ネズミモチの受粉には役立ちますが,たとえば花の奥まったところに蜜を隠し,マルハナバチの長い口でないと届かないように進化して,マルハナバチを効率良く選び,効率良く受粉してもらう花もあります。そのような花は,ミツバチがなかなか寄り付かず,マルハナバチがいなくなれば,ほとんど種を結ぶことが出来なくなるわけです。ポリネーターの虫と共に進化した花は,ポリネーターの喪失によって,生存条件が閉ざされ,絶滅への道を歩みます。さらに,その植物の葉っぱを選んで「食草」として育つ虫がいれば,その虫も,次第に種の存続の危機を迎えます。ひとつの生き物がいなくなることで,生き物の「つながり」を断たれたことによる影響が,さまざまな形で出てきます。

 では,どうしてマルハナバチが消えたのでしょう?
 これは推測の域を出ませんが,特に大都市郊外の場合,荒地や河原の整備が進み,時期をずらして色々な野草の花が切れ目なく咲いているような,昔からある環境が,大きく失われたことが主要な原因のように思います。河川敷に綺麗な花を植えれば,見かけ上は環境整備になりますが,そのために本来の野の花が失われ,植えられた花の端境期には,マルハナバチの餌が極端に枯渇して,結果としてマルハナバチが生存できなくなります。さらに,マルハナバチと結びつきの弱い,外来植物の進出とか,ハチが巣を作れる場所や越冬場所が喪失してきたことなども,理由として考えうる事項です。


 手元に,目黒区が編集した「街の自然12ヶ月」と言う本があります。
 この本は1983年の発行ですが,1982年頃に取材した,目黒区の住宅街にあるネズミモチの木に子ども達が集まって,トラマルハナバチなどのハナバチを捕まえて遊んでいる光景が紹介されています。トラマルハナバチは,子ども達から「ライポン」なんて言うニックネームをもらっていて,子ども達の生き生きとした表情が写し出されています。「ライポン遊び」は,初夏の風物詩的な遊びであり,20年前は,こんな光景が,街の中でも普通に見られたのです。
 私がマルハナバチ類の減少に気づいたのが10年ぐらい前。今では,昔,身近だったコマルハナバチもトラマルハナバチも,めったに見かけません。もちろん,ハチたちを追いかけて遊ぶ子ども達の姿も……。

 この事態に,殺虫剤や除草剤は,あまり影響しているようには見えません。人間が「環境を良くしよう」と花を植えたり荒地を整備していった影で,身近な「ありふれた自然」が破壊されたり寸断されたりして,たくさんの「ありふれた生き物」たちが生息条件を失い,数を減らし,絶滅へと追い込まれています。その影響は,受粉を虫に頼る花に出たり,虫に寄生したり虫を捕食する生き物に出たり,外来の昆虫や植物の進入を許す,と言う変化として表れたり,さまざまな形に変わって,じわりと自然環境に変化を与えています。そして,往々にして,気づいたときには修復不可能……手遅れになっていることも多いのです。


 都心で見つけたコマルハナバチのメス。今では,都心部のほうが郊外よりも大規模な自然環境の改変が少ない分だけ,生態系が安定している場合もあり,日比谷公園のような都会のど真ん中でも,マルハナバチがちゃんと飛んでいたりするのです。

 私は単にマルハナバチが消えたことをセンチメンタルに嘆いているのではありません。
 マルハナバチの絶滅だけでは済まされないインパクトが,これからだんだんと明らかになってくるはずです。そうなってからでは,遅すぎるのです。
 生き物の多様性の大切さについて,マルハナバチから,もっと多くのことを学んでおかなくてはいけないのだと思います。


(2002年6月08日記)

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