月食用ニューカークフィルター


月食ムービーを作りたい!
 はじめて月食の写真撮影に挑戦したのは,中学生の頃。口径6cmの小さな望遠鏡で,フィルムはトライXパンフィルム(コダック製のISO400の白黒フィルム)。その仕上がりには,そこそこに満足したものです。
 高校に入って,リバーサルカラーで天体撮影することが多くなると,今度は,微妙な色合いがきちんと再現できる露出にこだわり始めます。


皆既食が始まる頃の状態。
欠けぎわの輝度差,皆既食に突入した部分の色合い,
これらをうまく表現した写真を得るのは,なかなか難しい。


 その頃,友人が8mmムービーをやっていて,コマ撮りのできるムービーカメラを持っていました。で,実際に月食の様子をムービーカメラで撮影してみると,小さな月が欠けながら日周運動と共に動いてゆく様子はわかるものの,月そのものの画質はパッとしません。そこで,望遠鏡で撮影した月食の画像を,アニメーション撮影のように8mmカメラで撮影して再構成し,ムービーにしてみたら,と考えました。月が欠け始めてから皆既食になるまで,約1時間。2分おきにスライドを撮影し,約30枚の原画を作り,これを1秒あたり3コマとして8mmムービーに構成すれば,10秒のムービーが出来ることになります。

 ここで問題になったのが,原画の露出時間。
 月食の欠けぎわは,月から見れば,太陽が部分的に地球に隠されている「部分日食」状態(ここは地球から見れば「半影」にあたるわけです)。欠けぎわに近い部分では,月の輝度は急激に落ち込みます。欠け始めの月と,皆既食直前の月では,露出時間に数倍〜数十倍の差が必要になります。つまり,欠け始めのときの適正露出では,欠けぎわの薄ぼんやりした部分は完全に露出アンダーで,写っていません。この明るさの差をカバーできる性能を持ったフィルムは,残念ながら今のところありません。欠けてゆく月を撮影していると,途中で露出を段階的に増やさなくてはいけません。そうすると,いままで露出アンダーで写っていなかった部分が新たに捉えられ,あたかも「食が戻る」ような感じになります。これをそのままムービーにすると,実に不自然な動きになってしまいます。

 そこで思いついたのが……
日食用のニューカークフィルターの「月食版」が作れないだろうか?

 お金も無い,知恵も無い少年の思いつき,果たして,実現したんでしょうか?

ニューカークフィルターとは?
 「ニューカークフィルター」とは何ぞや?
 簡単に説明してから話を進めましょう。

 ニューカークフィルターとは,皆既日食のときに見られるコロナを撮影するためのフィルターです。
 コロナは,太陽のすぐ近くほど明るく,太陽から遠い部分との輝度差が非常に大きいため,肉眼で見たイメージのように写真撮影できません。淡い部分に露出を合わせると中央部が白飛びし,中央に近いほうに露出を合わせると,外側の淡い部分が写りません。この差をキャンセルするためには,中央部を濃く,周辺部に行くにつれて色が淡くなるフィルターを作って,輝度の差を圧縮して,1枚のフィルムにすべての輝度情報を写しこむことができれば良いわけです。このような濃度変化のあるフィルターを,開発者の名前を取って,「ニューカークフィルター」と呼んでいます。


 さて,月食用ニューカークフィルター。
 日食用のニューカークフィルターと同じように,半影の外側と内側の部分の輝度差をキャンセルしてやり,より肉眼で見たイメージに近づけ,それと同時に,露出時間を変えないで月食の過程をフィルムに収めることを目標とします。

 とは言うものの,貧乏学生が素晴らしい品物を作れるわけも無く,ここはアイデア勝負です。

 まず,半影の外縁と内縁との間の輝度変化を検証します。これは,天文雑誌のコンテスト入選作から,リバーサルフィルムで撮影した月食の写真を洗い出し,適正露出曲線をはじき出しました。その結果,半影の外縁から60%ぐらい内側までは,あまり輝度の変化は大きくなく,80〜90%を超えたあたりで一気に,適正露出時間が伸びることが判りました。「天文年鑑」に出ている露出の目安と比べると,中盤部では実測値のほうがアンダー目で,終盤ギリギリ近くで一気に露出時間が立ち上がるグラフが出来ました。この実測値はけっこう使えるデータです。「天文年鑑」を信じて撮影すると,食分40〜60%ぐらいのところで,ハイライト部がつぶれ,露出オーバー気味になりますから,月食を撮影する際は,念のため,ちょっとアンダーにして何枚か撮影しておくと,いいと思います。

 さて,これで半影部分の適正露出がわかりました。
 これをもとに,肉眼で見たイメージを崩さない範囲で輝度差をキャンセルしてやるフィルターを作ります。

フィルターの製作
 オリジナルのニューカークフィルターは,NDフィルターを削って濃度差を作ったんだそうです。さすがにそんな工具も材料費もありませんから,コピーフィルムに濃度差を焼きこんで,フィルターにします。中央部(=本影部分)は素通し,周辺部は露出倍数4倍とし,測定値に見合ったグラデーションを作ります。あらかじめ露出を変えて白いケント紙を撮影し,どのぐらいの濃度のフィルムが作れるか,調べておき,焼きこみのための露出時間を決めます。グラデーションは,黒い紙で換気扇の羽のようなデザインのものを作りそれを白い紙に貼り付けてターンテーブルを回し,コピーフィルムに撮影します。黒い羽の部分は,露出倍数に応じた面積を持たせてあり,これで露出倍数のグラデーションが出来ます。
 素通し部分の面積などは,撮影機材の焦点距離と,月食当日の本影の大きさで決めます。こうして出来上がったフィルターは,撮影するフィルムの直前に固定し,カメラのファインダースクリーンには,本影の位置を示すサークルを焼きこんだフィルムを貼り付け,位置合わせに使います。

 月食用ニューカークフィルターのイメージ図。
月が明るく輝く部分は露出倍数4倍,月の輝度が落ちる部分は素通し。
このフィルター濃度の移行部分が成否のカギとなる


……で,結果は?

 月食の全経過を収めるには,本影と半影がすっぽり収まるほどの焦点距離で撮影しなければなりません。したがって,焦点距離は500mmと,月食撮影としては物足りない長さで我慢せざるを得ません。後は慎重に位置合わせをして,ひたすらシャッターを切るだけです。

 撮影結果を見ると,外周に近い部分の露出補正は上手く行きましたが,内側20〜30%ぐらいのエリアが,やや不自然に明るくなってしまいました。もっと思い切ってフィルターを焼きこむべきでした。とりあえず,フィルターの効果はわかりましたが,観賞用としては失敗作です。
 それに,どうしても焦点距離が稼げず,また,位置合わせがデリケートなので,苦労した割には,あんまり報われた思いはしませんでしたね。


……結論にかえて……

 いまならデジタルでどんどん撮影し,画像処理によって,肉眼で見たイメージに近づけるのも,そう難しいことではありません。皆既日食のコロナ撮影も,デジタル撮影によって素晴らしい画像が得られています。銀塩写真で苦労していたのが嘘のようです。この,「月食用ニューカークフィルター」も,理論的には面白くても,デジタル全盛の時代に,こんな努力を好き好んでやるかどうか,ちょっと怪しくなっています。

 古き良き時代の奇抜なアイデア,と言ったところでしょうか……。


 2000年7月16日の皆既月食のデジタル写真を,アニメーションgifに再構成してみました。
 今はデジタルで美しい画像が気楽に撮影できる時代。
 いい時代になったなぁ……


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