嫁ぎゆく娘に

2000年11月5日 東京聖書読者会

私事にわたりますが、本日の午後は娘・愛子の結婚式です。

花嫁の父は結婚式では何もしゃべらず出番がないので、この席をお借りしまして、感謝のご報告をさせていただきます。といいますのは亡くなられた松島省三先生やまた山本政則さんも娘を嫁がせるときにこの席で「花嫁の父」としての感想を述べられたからであります。本日それが私の番になりました。

今日の結婚式を迎えるまでに愛子と私はお互いに何度涙を流したか分かりません。

愛子が生まれたのは、今から25年前、1975年昭和50年1月30日の明け方です。病院の廊下で徹夜で待っていたら、ドアが開いて助産婦さんが「女のお子さんですよ」と言って招き呼んでくれた。そのとき私は顔がほころんで自分の手で顔を抑えても戻らないくらいでありまた。兄弟の上の二人は男であったので私としては女の子が欲しかったのです。

この25年には実に波風がありました。しかしすべては感謝でした。本日娘がわたしのもとを去るに当たって、わたしには一抹の寂しさと不安があります。それは信仰的な慰めの子がそばにいなくなるからであります。娘の思い出として忘れがたい四つの信仰的な出来事がありました。

第一は、今から6年程前に愛子が集会からオルガンを頼まれたときのことです。うまく弾けるかどうか分からないので愛子にとっては大変重荷でありました。そのとき愛子は「必至にお祈り」したといいます。これはわたしにとって大変なインスピレーションでありました。困難なことに出会ったときは「必至にお祈りする」ことが大切であることを学びました。

第二は八年前の1992年平成4年、わたしが腎臓結石で入院し手術をすることになったとき、危険を伴なうのでかなり不安生じたときのことです。そのとき愛子は小寺利男さんの励ましの手紙に返事を書き、「お父さんには神様がついているから大丈夫」と言ったといいます。これはあとで小寺さんがわたしに教えてくれました。

第三は本年の7月に脳出血で倒れたときのことです。聖路加国際病院で、頭が痛くて激しく嘔吐を繰り返していた夜、愛子はわたしの背中をさすりながら、「お父さんかわいそう、お父さんは何も悪いことをしていないのに、お父さんかわいそう。」と言いながら一緒に泣いてくれました。今回の病気で一緒に泣いてくれる人が何人かいました。そのような方々がこの世に存在すること私の喜びまた生きがいです。

第四は結婚のことです。数年ぐらい前のあるとき、そのとき交際中であった今日新郎となる青年から家に電話がかかってきたときのことです。私は頭の中が真っ白になり、「愛子と付き合うな、娘から手を引け」と怒鳴ったことがあります。それを知った愛子はその晩妻に「お母さん、どうしてあんなお父さんみたいな人と結婚したの」と泣き崩れたといいます。しかし交際期間中に新郎になる青年が「愛子さんの信じている神様を深く知りたい」と言い出して、現在彼は「若者の聖書勉強会」に出席しています。しかし先方ご一家はキリスト教とは全く縁のない方々であります。披露宴は先方の主催で自由になさっていただきますが、式だけはキリスト教、それも無教会式でということを愛子自身が強く条件を出したので、式は東京聖書読者会の方々の支援で執り行なうことの運びとなり、感謝であります。司式を小寺利男さん、介添え人に高木博義さんご夫妻が引き受けてくださいました。しかし背後には集会の皆様の深いお祈りがありますことをひしひしと感じます。

先日、聖路加国際病院の外来で脳のレントゲンをとりましたところ、今度は脳梗塞の症状が発見され、気をつけるようにと言われました。人間の死は、ことに脳の病気は突然にやってくるので不安です。しかしいかなる病気にせよ、人間はいつかこの世と別れを告げなければならない時がきます。先週、インダス文明展とメソポタミヤ文明展に行くことができました。久しぶりに長く歩いたのでかなりくたびれました。どちらの文明もイエスが生まれる数千年前からあった文明であることに感慨深いものがありました。しかし両文明とも結局は「死」を克服したいという深い願望がその底にあることを感じました。ひるがえってわれわれはイエスの復活を通して、「永遠の命」の希望が与えられていることは感謝であります。人間の究極の願い、「永遠の命」。これを頂いて私たちの涙はぬぐわれます。