「脳出血の記録」

勤務先建設物価調査会 管理本部副参事 中野孟氏の記録メモ

 

2000年7月6日(木)高橋照男氏

10:40 執務(総合研究所)中に急にめまい頭痛を訴える。嘔吐そして立てなくなる。救急車手配、頭部保持する。

10:55 救急車到着

11:05 聖路加国際病院へ向かうように指示

11:10 救急車内で意識なくなる 急に動かなくなり、呼んでも反応せず。

11:15 聖路加国際病院に到着

11:30 救急外来処置室でCT検査

11:45 安中医師説明、脳に出血あり

12:30 長男高橋新一氏聖路加に到着

 

以下の文章はその後上記記録を書いて下さった中野孟氏、また関係者に伺ったことをもとに感謝の気持ちから記憶に残すべくまとめたものです。

 

「脳出血の記録」―――死を目前にして――――

 

2000年7月6日執務中に急に目まいと吐き気がして立てなくなり、救急車で聖路加国際病院に運ばれました。職場の方々の素早い判断と聖路加病院の処置および手厚い看護のおかげで一命を取り止めることができました。あとで分かった事ですが、救急車の中では一時意識がなかったそうです。病名は小脳出血であり、これが脳幹であったら、命を失っていそうであります。主たる原因は年齢、高血圧、ストレスでした(石川医師談)。幸い現在は快方に向かいつつありますが、全治(目まいがなくなる)には相当の日数(年数)がかかるそうですので、今後は常に体調に留意して生活したいと存じます。

 さて、私は今回のことを通して「死の準備」をさせられました。職場の方が、救急車に「聖路加へ」と迷うことなく指示したのは、私がクリスチャンであることを知っていたからだそうであります。救急車の中では「俺、死ぬのかよー」と叫んでいたそうであります。また救急外来処置室ではまともな祈りはできず、ただ「助けてくれー」と心に念ずるのみでした。しかしこのように死を目前にしたとき、私は「イエスの墓が空であったことと、復活の歴史的事実」を「罪の赦しと永遠の命へ」の最後の望みの綱としてますます強く信ずるに至らしめられました。そしてまた今回の病を通して、「来世実在の希望」と「再び生きることを赦された喜び」を与えられたことを深く感謝しております。

 皆様方におかれましては、残る生涯が日々お健やかであられますようにお祈り申し上げます。私に降りかかった、たび重なる苦難の故に、涙を流して泣いて下さった方々のことは永遠に忘れることはできません。

2000年7月28日 夜明け

 

聖路加国際病院7階脳外科病室窓辺にて    高橋照男

 

8月1日に退院し、現在は家でリハビリ中です。