私の回心と息子の回復

高橋照男

1995年11月23日今井館「無教会シンポジウム」〈テーマ宗教を問う〉で発表したものに加筆補正したもの。西村裕主筆「清瀬通信258号」所載。

今にして思えばすべては神のなさった恩恵である。感謝。

2002年5月20日(西村裕夫人告別式の日)

 

現代青少年の苦しみの状況

朝日新聞の今月(1995年11月)二〇日からの夕刊に『居場所をください』という連載記事が始まりました。副題は「大河内清輝君の死から一年」というものでございます。大河内清輝君は、昨年(1994年)11月27日に、愛知県西尾市の白宅裏で首吊り自殺をしているのを母親が発見。遺書には、同級生らにいじめられ何度も現金を脅し取られていた様子が克明に記されていました。遣書の内容をみるといじめの内容が次の様に書いてあります。「それは、川のでぎごとがきっかけ。いきなり顔をドボン。泳いで逃げたら足をつかまれてまたドボン。それ以来、残念でしたが、いいなりになりました。…:どんどんいじめがハードになり、しかもお金もぜんぜんないのに、たくさんだせといわれます。もうたまりません。」これが遺書の一節です。これはまさに地獄の様相を呈しています。

ところで先日講演会で、この事件を担当している大東文化大学の村山士郎教授から事の真相を別の角度から伺うことが出来ました。それによりますと、新聞報道に現れているものよりももっと深いところに自殺の原因があると言うのです。大河内済輝君の最後の遣書はお父さん宛てであり、「お金を盗んだのではないか、という疑いをかけられ、そうではないと言っても学校の先生も、同級生も信じてくれない、最後の頼みの綱であったお父さんも信じてくれなくなった。」ということでついに「居場所がなくなってしまった」というのです。朝日新聞の記事のタイトル『居場所をください』はこの心境を捕らえています。この世に居るところがなくなってしまった。屠る場所がない。心の置き場所がどこにもない。親のもとでも心が休まらない。これが白殺の最終原因であったのです。

もう一つの事件を朝日は取り上げています。それは次のようです。『凍京都町田市の中学で、清輝君が自殺したのと同じころ、金がらみのいじめが起きていた。一年のときから仲のいい三人の少年がいた。高校進学が話題になる二年の秋、成績のよかった一人が、二人から離れようとして、いじめは起きた。二人は「授業をまじめに聞いた」「先生を無視しな

かつた」と言って、一回五百円程度の「罰金」を要求した。払えないと、一日五割くらいの利子がついた。罰金は、たちまち十万円にふくらんだ。母親が気づき、教師に相談した。急きょ相手の親を交えた話し合いをもち、解決した。「もう少し気づくのに遅れたら、大変だった」。教師は。ふりかえる。』というものです。ひどい恐ろしい状況です。こういう地獄の様とも思えることがどうして起きているのでしょうか。それで今日の私の問題提起は、我々大人は青少年や子供の悩みごとの底の底にまで完全に降りることができて理解でき

るのだろうか、という事がその第一番目のことです。

それから、次にオウムに走った青年達が求めていたものを考えてみます。色々な報道の中で私が一番心を打たれましたものは、サリン製造の主犯であった土谷正美君の発言です。彼は次のように語りました。「科学と宗教の一致を求めたかった。それを自分はオウムに見出した。」彼は科学者の精神的空白、宇宙大の空虚さを感じていたわけです。彼もまた「心の置き場所が無かった」という心境だったのでありましよう。

そしてこの」二人の問題、一つはいじめによって自殺した大河内清輝君、それらもう一つはオウムの土谷正美君。彼等のことをキリスト教が救い得なかったのはなぜか。また彼等がキリスト教に救いを求めなかった原因は何なのであるか。彼等の悩みの解決にキリスト教が選ばれなかった原因はどこにあるのか。これが私の問題提起の第二番目です。

こういう問題を提起して、今日私は大所高所からキリスト教批判を行うつもりはございません。彼等がキリスト教を選択しなかった原因は、実は私自身の心の中にその原因があることが分かりました。それを私が遭遇した事件によって自覚しましたので、今日は恥を忍んでその話をさせていただきます。私の発題に聖書から言葉をつければ「あなた達も悔い改めなければ、皆同様に滅びるであろう」(ルカ十三章5)ということでになります。これは、私自身に向けられた言葉であります。

私は息子の不登校と、その回復を通して、福音の本質とは何であるかということを学ばされましたので、まずその事から話させていただきます。

 

息子の不登校

私には子供が四人恵まれました。その長男新一の事でございます。新一は勉強が好きで特に算数が大好きでありました。小学校五年生の時から進学塾に通うようになりまして、そこで成績が良ぐ、中学校二年生の時には進学塾の中でも最もハードといわれる国立学院予備校の全国テストで六千人中三番になりました。そのとき私は喜び、心の中で次は.一番になってほしいとひそかに念じました。私は昔から一番とか一流というのが大好きでした。

それは世界がよくなって幸福が来るのは、良い一流の指導者の思想によってその指導のもとに彼の支配があって、世の中が良くなると考えていたからであります。そういう人生観が底流にありました。でありますから成績が一番になり世を指導する人間になることが善であり、それが世の中のためになることであると考えていたのであります。

ところがその新一が中学二年生のある日のこと、黒い学生服の背中にくっきりと靴の跡が付いているのを妻が見つけました。新一はそのことを口を堅く閉ざして説明しませんでした。推測するに倒されて、背中を蹴られたか踏みつけられたかしたに違いないのです。またその頃、学校の工作の宿題を他人の分まで作っていくという変な状態も起きていたのです。そして今から丁度10年前1985年、新一が中学3年生の一学期、6月15日よ

り学校に行けなくなりました。そして「受験競争の無い国に行きたい」と口走り出しました。そして肉体的生理的に不恩議な現象が起こり始めました。まず食事が喉を通らない、電車に乗れない、夜と昼とが逆転する、まともに口をきかないなどという異常な生活状態に陥りました。そして「自分の体がこうなったのはお父さんのせいだ」と罵るようになりました。中学校は何とか卒業できましたが、高等学校は受験教育を一切しないところなら行くと申しまして、埼玉県の飯能にある、自由の森学園高等学校に入学しました。しかし一年と少し通っただけでまた学校に行けなくなりました。電車に乗れないので通えないわけです。従いまして高等学校の勉強はほとんどまともにはできずじまいでありました。家の中では話しかけても答えず、私とすれちがうと火花が散る。地獄の修羅場のような苦しい日々が毎日続きました。新一が昼間寝ている顔を見ますと、それはどても苦しそうな顔

つきでした。変わり果てたその息子の部屋の外で妻は号泣しました。私も途方にくれまして、飲めない酒をあおりました。その頃のことです。息子が「居るところがないよー」といったのです。それは先程読みました朝日新聞の記事の標題『居場所をください』と似ているのです。

息子が動けないので、私たち夫婦が不登校の権威であられる無教会の稲村博先生(その当時は筑波大学、現在は一橋大学教授)のクリニックヘ通いカウンセリングを受けました。その回数は数十回におよびました。稲村先生からは「受容する」ということと、「心が治れば肉体の病理現象も治る」という二つのことを教えられました。

自由の森学園の先生方は、ありがたいことに家にまで来てくださいまして、授

業のようなことをしてくださいましたので卒業できました。

卒業と同時に、息子は自らカウンセリングを受け始めました。しかし相変わらず私とはまともに口をきかず、家の中は暗い毎日が続き重苦しい雰囲気になっていました。弟や妹にも大変つらい苦しい思いがのしかかっていました。

 

私の回心

そんなある日、1990年2月19日、私は余りの苦しさにふと「もしこの子供が私の前からいなくなったら、どんなにか楽になるだろうに」と一瞬思ったのであります。するとその時のことです。天から「お前は殺人鬼だ!」という声が囑かれたのです。とたんに私はこの体全体が罪の塊、全身が真っ黒で殺人鬼そのものである恐ろしい姿を見せつけられました。これまで私は35年間聖書を読み続け、集会にも欠かさず出席して信仰の道に励

んで参りましたけれども、それも元の木阿弥、少しも良くなっていないことを発見しました。自分の生んだ子供をいなくなってくれればと思うこの恐ろしい自分、自分の理想に当てはまらない気に入らない人間を切り捨て、排除しようとする殺人の心、それが私の心の中にある事が分かりました。その心は、世界は人間の力によって良くなるものなのだという思想にもとづいていたのです。したがってこの思想のもとでは、勉強で一番になり世の

中を指導し、支配する人間になることが善であるわけであります。もしその道から脱落すれば余り意味がない、そういう考えに私は陥っていたのです。それは現世中心の考えでした。殺人鬼であることを示されて、私は粉々に粉砕されまし

た。そして己の醜さ恐ろしさに思わず「俺を殺してくれ!」と呻きました。その時、目の前に鮮やかに十字架に掛かったイエスが示されました。古い私が殺されました。罪の私が十字架のイエスと入れ代わりました。イエスの身代わりが示されました。神はこのとき私を「受容」して贖って下さったのです。

 

息子が薄紙を剥ぐように良くなる

するとその日から不恩議なことが起こりました。家の中で息子とすれちがう時、火花が散らなくなったのです。さらにまた不思議なことが起こり始めました。息子が何かから解放されたように薄紙を剥ぐように次第に良くなっていったのです。あの病理現象がすこしづつ消えていきました。そして数年ぶりに急に勉強を始めました。それは端で見ていても涙ぐましいほどの勉強ぶりでした。風呂に入っているときも勉強、勉強につぐ勉強。そしてさらに積極的に自ら病院のカウンセリングを受けに通うようになりました。そして浪人して大学の機械工学科に入学しました。大学に入ってからもよく勉強しまして、4年問のカリキュラムを約2年少しで終了してしまいました。好きな写真部に入りまして、全日本学生写真コンクールで最優秀一等を取り、また地元秋川市の写真コンクールでも最優秀一等になって自信を深めました。そして本年1995年3月に大学を卒業したのですが、首席総代で卒業証書をいただきました。また同時に機械学会から畠山賞という名誉ある賞をいただきました。卒業の免状と機械学会からの賞を持って私の部屋に報告に来てくれました。その頃私と新一は心がすっかり通うようになっていました。私は彼と堅く握手を交わしました。私は心の中で「万歳、!万歳、!万歳、!」と叫びました。苦しい10年問でありました。

そんなある日、息子が聖書の表紙が傷んだので修理したいと言ってきましたので、私は行きつけの製本屋でその表紙を修理しました。いま彼の枕元にはその聖書と塚本訳の福音書が置いてあり、いまその聖書を読んでいます。そして聖書の内容についても話し合うようになりました。あるとき問いかけられました。「お父さん、どうして教育問題というものが起きるのだろう、どう思う。」これに対し私は「人問が人問を支配しようとする生まれつきの罪がある限り、教育問題の根本的解決はありえない。どんなに教育制度をいじってみても改革してもそれは解決にはならない。」と答えました。

就職は、医学に奉仕したいという気持から医療機械製作の会社に今春から勤めています。息子の口から医学に奉仕したいという「奉仕」という言葉が出たことに、私は大変嬉しく思いました。といいますのは仕事といいますのは、「仕」は仕えること、「事」もその意味は仕えるという意味です。職業の本質は人に仕えること、奉仕することであることを彼はつかんだようです。

残りの三人の子供は、次男は都立立川高校へ、次は娘で自ら進んで島根県のキリスト教愛真高等学校へ、三男はこれも.また自ら進んで山形県のキリスト教独立学園高等学校に入学しまして現在一年に在学中です。

 

自らが贖われて人を受容できるようになる

私は1990年2月19日の回心の経験をしてから、集会のある方が「高橋さんの聖書のお話は大変やさしく解りやすくなりました」と言って下さいました。私には聖書が見えるようになったのです。今にして思えば、あのとき息子が起きられず苦汁に満ちた顔をして寝ていたのは、私の罪を気づかせてくれるためであったのだと考えます。彼の苦しみは私の罪のため、私の罪をそれと知れず負ってくれていたのです。

私の人生観はあの日百八十度ひっくり返りました。稲村博先生が「高橋さん、受容だ、受容だ」とおっしゃって下さったそのことが、私にとりましては十字架によってこの身が贖われて初めて可能になりました。受容ということが人を生かすのである事が分かりました。教育でも、思想でも、指導でも、支配でも、いわんや社会批判や排除でもないのです。受容のみが人を生かす。受容ということの中には苦があるのです。これが人を生かすのであると思います。受容されて初めて人は「居場所」ができます。しかし人を受容するとい

うことは、まず自分が粉砕されて神に受容され、莫大な精神的富と平安とを頂かなければならないのです。そのこと無しには真に人を受容できない。頭だけ、ヒューマニズムの精神だげでは受容にはならない。受容できる人間になるには、自らがいったんどん底に、「一番下に」突き落とされて粉々に砕かれて、十字架で贖われて生まれ変わったその時に初めてそのことが可能な人問にさせられるのです。「一番上になりたい者は皆の一番下になれ、

皆の召使になれ」(マルコ9:35)

宗教の本質も人を支配するのではなく、人に仕えること、受容することにあると解します。

 

不登校の回復の鍵

不登校の原因は様々に論議されておりますけれども、治った場合の共通の現象があると山梨県の自然学園高等学校の西条隆繁理事長は言います。「不登校がなぜ起きるかその医学的な原因はまだ不明だが、治った生徒には共通な現象がある。それはその親がある悟りを開いたという事だ。」私にはこの言葉が良く分かります。私の場合は私自身の回心が息子を

解放させ、息子はそれで息を吹き返したのです。キリストの十字架は受容の極致だと思

います。罪人を受け入れてしまうという恐ろしいほどの受容。キリストが罪人と入れ代ってしまうという奇蹟。このことがあってはじめて我々人間はこの世に「居場所」ができるのです。

 

希望ということ

新一を小学校一年生の時に担任してくださった女性教師の息子さんが、これまた不登校で苦しんでおられました。新一のことを聞きつけ、ある日妻のところに訪ねて来られましたが、玄関に入るなりその場で泣き崩れてしまいました。最近になってその先生からお手紙をいただきました。「新一さんの回復は私の希望であり、励みです。」という内容でした。私はこのときほど「希望」という言葉に重みを感じたことはありませんでした。不登校

の子供は全国で七万人とも一〇万人ともいわれています。その親は絶望の淵におります。つける薬がない。どうやって治してよいのか分からない。けれども私の場合は、私の回心を通して息子が奇蹟的に回復した。そして悩める人からは私の体験的経過を「希望だ」と言われます。その言葉を聞いて私は体中にある力が湧き起こるのを感じ支す。神の力が働けばどんな難病も奇蹟的に治る。そのことを信じられるようになりました。

世の様々な病理、オウムの病理、不登校の病理、いじめの病理、それらは現象であります。それを現象面から解決しようとしても少しも良くならない。ある根本原理が治れば私の家の場合のように奇蹟的に治っていく。病理現象は枝葉のことであり、根を治さなければ現象としての枝葉は治らない。肉体的に様々な病理も治っていく。それには親も教師も真に深い罪を自覚して悔い改めなければ、十字架で贖われて清められなければ、わが国の困難な病理現象は決して治らないのです。私はこの事を体験的に知りました。そしてその解決の道を示され希望が湧きました。

「いじめは子供が大人の真似をしているのである。すでに大人がいじめの世界に生きているのである」とは東北学院大学の土戸清氏の指摘です。また「不登校が治った場合の共通現象は、親がある悟りを開いたことである」という自然学園の西条隆繁氏の言葉を聞くと、今日の様々な社会病理現象は日本人の心の底に横たわっている深い罪の総体が原因であるということが分かります。したがいまして、キリスト教は罪の贖いの告知、これを除いて社会的な使命はありえない。その事を言わずして何のキリスト教か。罪の赦し、罪の贖いを第一に言わないキリスト教は塩気を失った塩にすぎない。わが国の様々な病理現象は治る。それは悔い改めと十字架の贖いによる。キリスト教はこのことのみを声を大にして言わなければならないのです。

 

聖書が見えてきた

聖書は聖霊がその意味の本質を教えてくれるといいます。

ヨハネ16章13

「真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。」

私は自分の体験を通して、今までどうしても分からなかった、また分かりにくかった聖書の箇所が次々と読めてきました。それを次に申し上げます。

 

聖書には二つの生き方のみが書かれている

まず聖書には二つの生き方のみが対比して書かれているということです。第一の生き方は、幸福追求のために心の満足を求めまず。そのために人を支配し、世界を良くして、人間から寵愛を受ける生き方。これは今日の教育の目指すところではないでしょうか。もう一つは神の贖罪によって生まれ変わり、神からの愛を受けその結果神と人とに仕える生き方。聖書のどこを読んでもこの二つの対比が出ています。つまり支配するのか仕えるのかなのです。私にはその事が透徹して見えてきました。その一例を見てみましょう。

マタイ20章20-28

20その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。

21彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている一あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」

22イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。

(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが

出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。

23イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」

24(ほかの)十人(の弟子)はこれを聞いて、二人の兄弟のことを憤慨した。

25するとイェスは彼らを呼びよせて言われた、「あなた達が知っているように、世間では主権者が人民を支配し、また一いわゆる一えらい人が権力をふるうのである。

26あなた達の問では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりた

い者は召使になれ。

27一番上になりたい者は奴隷になれ。

28人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

 

21節にある母親の願いは名誉心からのものであろうか。そうではなく息子を尊いことのためにお使いくださいという親としての真面目な発言でありましょう。しかし彼女の思いは息子をして世を支配せしめ、善政を行わさせようとする考えであつた。これが人間としては普通の考えであり、私自身がそうでありました。

 

25節の「世間では主権者が人民を支配し」とあるのは世界歴史がまさにこれであり、生まれつきの人問の本性であります。ルカ福音書ではここのところが「世問では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。」とあります。私たちは人から恩人と呼ばれるように生きることに苦心してはいないでしょうか。

 

27節の「一番上になりたい者」とはまさに私自身の思いでありました。息子は次は全国で一番になってほしいと思っていました。

「奴隷になれ」これが分からなかった。奴隷になったら悪い主人の言いなりになり、世の中を良くすることが出来ないではないか。世の中を良くするには一番上になって指導し支配しなければならないと思うのです。

 

結局この聖書の箇所を理解するには神に突き落とされて一番下の奴隷にさせられて初めて分かるものです。人問は誰も自ら進んで奴隷になろうとは思わず、一番下になろうとも思わない。本能がそれを許さない。ですからこのイエスの言葉は十字架の腰罪で救われなければ矛盾であり、永遠に理解できないことなのです。

 

科学(仕事)と宗教の一致

私が次に知り得た真理は、仕事と職業の本質です。ルカ福音書16章913節を読みます。

9それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、天に友人(神)をっくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

10ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

11だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

12もし他人のもの(この世のこと)に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの(天のもの)をあなた達に与えようか。

13しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

 

これは古今東西百千とある職業観のどれにも勝るものとされています。しかしこれもいったん贖罪の経験で新しく生まれ変わらないと解読不能な箇所です。問題の10節は、神に救われた人はその時初めてこの世の小さい低い仕事に意義を見・出だすことができ、それに忠実になれるのだというのです。奴隷の仕事、一番下の仕事にも意味を見出だせるのです。人聞は救われなければ誰でも大きな仕事のほうが価値があると思うのです。わたしは

若いとぎから長い問この10節を逆に読んでいました。つまり小事に忠実であればその褒美として大事を任せられると。そうではないのです。救われた人は、つまり大事に忠実な人は小事にも忠実に生きる生き方をするものだ、というのです。つまりこのイエスの言葉も救われてみて初めて理解できる部分であります。救いを頂くと、その時この世の職業はどんな低い仕事でも、否低い仕事であればあるほど神の姿に似つかわしいものである事を

知るのであります。

9節の「不正な富を利用して、天に友人(神)をつくっておけ。」これが職業観の根本であります。あの「科学と宗教の一致」を求めていた土谷正美君がもしこのイエスの言葉に触れてその本質を理解できたら、彼はオウムに走らなかったでありましょう。彼にこのイエスの言葉を理解させる実力がキリスト教にはなかったのであります。無教会主義にはこのイエスの言葉を解読する実力を備えていたのに残念なことをしたと思います。ルターの説

いた職業召命論はこのイエスの言葉を真に理解するわが国の無教会主義ではじめてこの世に定着したと解します。

 

真の受容は罪の赦し

宗教の本質は受容であるということも理解できました。

マタイ21章31

イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。」

これほど崇高を言葉は無いと恩います。神の子にして初めて言える言葉です。これはエレミヤスの解説によりますと、税金取りや遊女たちが先に神の国に入って、あとから聖書学者やパリサイ人が来るという後先の問題ではなく、税金取りや遊女たちが神の国の正客で、それで神の国は一杯になり、聖書学者やパリサイ人は入れないのだというのであります。これほど受容の崇高さを説いた言葉はないと思います。私たちの身内や親戚にもし滅びの人がいたら、このマタイの句を念ずれば我々は安心です。彼等のほうに神は気を配っている。それは迷い出た一匹の羊であるからです。

 

福音は人から人へ、受容から受容ヘ

キリスト教が伝わるということは受容が行われるところに起こりうることも知りました。ヨハネ13章20

アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。

 

ここに言われる「わたしが遣わす者」とは神の力によって完全に砕かれ粉砕され、聖霊の力を受けた者です。その人は世の人を受容するように作り変えられているのです。世の人はその人が自分を受け入れてくれるのでその人を愛し、ひいてはその人の信じているキリストをも好きになって、キリストを受け入れ、さらについには神を受け入れるようになるというのであります。我々は伝道は困難だと常々思いますが、受容ということが真に行わ

れれば、福音はその事によって自然に伝わっていくのであると考えます。

 

福音の告知は神が自分になさってくださったことを言うこと

伝道の本質は自分の変化を告知することです。その告知の内容は、自分が十字架の福音で罪を赦され、心が平安になり、喜びを与えられたこと圭言えばよいことであります。

ルカ八章3839

38(帰ろうとされる時に、)悪鬼を追い出された男がお供をしたいと願ったが、(許されず、)こう言ってお帰しになった、

39「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。

悪鬼を追い出されたこの男は感激の余りイエスにお供をして仕えようと思った。ところがイエスは自分に着いてくるな、そうではなく神が自分にどんな偉いことをしてくださったか、その事をみんなに話せというのです。伝道の本質は自分の変化の告知にあります。伝道の本質はこれ以上でなく、これ以下でなく、これ以外でもありません。

 

初日の出を仰ぐ

1996年一月元旦、初日の出を見るために私は妻と新一と三人でまだ暗いうちに家を出て近くの山に登りました。真っ赤に燃える大きな太陽が静かに上がってきました。私たちは息を凝らしてじっと見詰めました。生ける創造主の偉大さを感じました。記念に三人で写真を撮りました。そのときの新一の目はとても綺麗に澄んでいました。

 

祈り。「神様、あなたはいたくわたしを懲らしめられましたが、今この様に平安をくださいました。ありがとうございます。どうかわたしのために苦しんでくれた息子の上にあなたの恵みの力がその生涯にわたって注がれますように切に祈ります。アーメン。」

(東京聖書読者会所属・建築士 199511.23)

文中の引用聖句は塚本訳による。引用の( )内は敷衍。

 

後日談・その後

2000年4月、我が家は全焼。このとき思い出も過去も一切が消えた。その3ヵ月後に今度は脳出血で倒れ意識不明。死線をさまよった。しかし周囲の手厚い看護でようやく一命は取り留めた。これらすべては私に下された神の怒りの激しい鉄槌と認識。私は「もはやこれまで」と思うようになった。この世への未練を断たれた。

2002年から新一は「若者の聖書勉強会」の責任者として熱心にこれを運営するようになった。感謝。すべては神のなせる不思議なこと。

そう言えばあの火災の翌日のこと、焼け跡で、「お父さん虹が出ている」と教えてくれたのは新一であった。虹は、神が人間を怒って洪水を起こしたのを悔い、「もう二度とこういう事はすまい」(創世記8:21)と思ってその約束の徴として人間に顕したものである。(創世記9:13−17)。十字架の起源はここに溯る。    (2002年5月21日・記)