イスラエルの旅 写真日記

 

高橋照男

 このたび「月本先生と行くイスラエルの旅11日間」(テマサトラベル)のツアーに妻と共に参加しましたので、ご報告いたします。6年前の脳内出血の病が癒やされて、念願の聖地旅行が出来たことは感謝です。

訪れたところは次のとおりです。

2006年3月20日 成田発(ロンドン泊)

21日 ロンドン(機内泊)

       22日 テルアビブ ベエルシェバ アラッド 

           エンボケク (エンボケク泊)

       23日 死海沿岸 クムラン ガリラヤ湖畔

                 (ティベリア泊)

       24日 ピリポカイザリア ガリラヤ湖畔

                 (ティべリア泊)

       25日 ナザレ カイザリア エルサレム

                 (エルサレム泊)

       26日 エルサレム (エルサレム泊)

       27日 エルサレム (エルサレム泊)  

       28日 エルサレム (エルサレム泊)

       29日 テルアビブ ロンドン (機内泊)

       30日 成田着

イスラエルの旅2006 写真日記

2006年3月20日〜30日

 

高橋照男

 

 

06020(月)4時半起床●6:30 神が人の子イエスの姿になって降ったイスラエルの地を訪れる「イスラエルの旅」に出発。ツァーの正式名称は「月本先生と行くイスラエルの旅11日間」。旅行会社テマサトラベル、担当佐藤淳一。総勢31名は大人気の数値

 

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シベリア上空 2006.3.20 シベリア

●以前は軍事施設を空撮されるという理由でソ連上空は飛行出来なかった。●氷の山を見て未開地への伝道について思いを巡らせた。日本の澤崎堅造は蒙古に伝道して行方不明。著書に「蒙古伝道と蒙古 語聖書」がある。英国人のウイリアム・カレーはインドのベンガル地方に伝道、夫人は精神の病に陥ったが、粘って聖書をベンガル語に翻訳し、その地に骨を埋めた。これまた英国のディビッド・リビングストンはアフリカに伝道。行方不明になって米国のスタンレーが救出に乗り出して発見したが、母国の英国に帰ることをしないでアフリカで死んだ。3人ともキリストの愛に応えて命を捧げた。讃美歌214番「きたのはてなる」を思い出した。

 

讃美歌214番

1・北のはてなる こおりの山 てる日にやくる まさごの原、 叫びもとむる 声ぞひびく、「迷いのくさり 解きはなて」と。

 

●ノボテルロンドンウェストに泊

 

060321(火)経由地ロンドンで終日自由行動●念願のウェストミンスター寺院での礼拝に出席。7:30の早朝礼拝。礼拝堂付属の小礼拝堂で10名程での礼拝。妻と同行の山口喜代子さんの3名が日本から。あとは英国人。聖書を朗読した助祭の女性はなぜか故ダイアナ妃に似ていた。●我々が明日からイスラエルに行くというと司祭が喜んで、特別に教会堂内部を案内してくださった●ニュートン、ダーウィン、リビングストンの墓を見せてくださった。教会堂の床に遺骨が安置されている。●リビングストンだけはその心臓が「アフリカ」に埋葬されているという。

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ウェストミンスター寺院での早朝礼拝 2006.3.21 ウエストミンスター寺院正面入り口。左から高橋トミ子 ウエストミンスター寺院の司祭の一人 山口喜代子。撮影は高橋照男。

 

●ウェストミンスター寺院で大声で讃美歌を歌うことが夢であったが、それが早朝礼拝という別の形で満たされた。

 

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英国国会議事堂とビッグベン 2006.3.21

●妻がロンドンでベストの景観を見たいというので案内した。この建物はゴシック建築の最高傑作。手前はテームズ川

 

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ヴァッキンガム宮殿 2006.3.21 セントジェームズパークより。撮影は山口喜代子。

●タクシーの運転手に「衛兵の交代式」を見に来るのは日本人が多いと笑われた。我々は時間の都合で見なかった。

 

 

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大英博物館 2006.3.21 大英博物館正面玄関 トミ子撮影

 

●人類全体の至宝が集められている。かってこの博物館は英国の略奪品の展示と感じたが、今回は貴重品が戦禍で失われるのを英国が未然に防いで保管していたものと感じた。ロゼッタストーンを見た。イスラエル旅行の準備として関係の品々を見た。人類の至宝が手で触れるように展示してあることと入場料が無料なのには驚いた。

 

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ロンドン塔 2006.3.21 撮影は高橋トミ子

●数々の歴史や物語の舞台となった城。あとで見るエルサレムの城壁に比べてはるかに品格がある。ヘブライの文化は建築デザインにおいて劣る。山口喜代子さんは内部の宝石館を見学して大そう喜んでおられた。

 

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美しいデザインのロンドンブリッジ 2006.3.21 

●経済性を最優先しないデザイン。こういう建物が歴史に長く残る。風が強くて風邪をひいてしまった。

 

060322(水)

 

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地中海上空をテルアビブへ向う途中の朝日 2006.3.22

 

●サモス、パトモス島上空。パウロが伝道の旅をした場所を僅か2.5時間で飛ぶ。それも機内食を食べながら。パウロは川の難、海の難に会って非常に苦労した。パウロの労苦を思って感慨にふけった。

 

新共同 Uコリ11:26-27
11:26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
11:27 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。

 

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ユダヤ教信者が現われた 2006.3.22 イスラエルテルアビブのベングリオン空港

 

●ユダヤ人パリサイ派の面々。ヘー、これがユダヤ人か。神の子が人の子の姿をとったのはユダヤ人。そのユダヤ人が福音を受け入れなかった。パウロの心痛はいかばかりだったか。

 

塚本訳  ロマ 9:4-5
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。

 

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美しいテルアビブヨッパの港 2006.3.22

●テルアビブとヨッパが一つの町になっている。遠方のテルアビブの町にはバウハウスの世界遺産の建築群があると月本先生が教えてくださった。●こちらヨッパの町ではペテロが活動した。ここでペテロはタビタを生き返らせた。また皮なめしシモンの家に泊まっていた。●またカイザリヤのコルネリオから呼ばれて出かけていって福音を説いた。その説教が福音書の基礎となった。それは次の通りで、@洗礼者ヨハネの出現、A数々の奇蹟、B十字架、C復活の4段からなる。これはとりも直さず「福音書の基本構成」である。つまり福音書というのはペテロの説教が基礎になっていると指摘したのは英国の聖書学者のドッドである。そのとおりだと思う。

 

塚本訳  使  10:34-43
10:34 口を開いてペテロが言った、「本当に』神はえこ贔屓をするお方でなく、』
10:35 神を恐れ、正しいことを行う人でさえあれば、どんな民族であろうと歓迎されることが、わたしにはよくわかっています。
10:36 『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──
10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。
10:42 そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。
10:43 預言者たちは皆、彼を信ずる者はことごとく、その名のゆえに罪の赦しを受けることを、彼について証明しています。」

 

 

 

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聖地の花 アザミとからしな 2006.3.22

 

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聖地の花 ポピー 2006.3.22

 

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ベエル・シェバの遺跡 2006.3.22 ベエル・シェバ

●雨水を確保した水槽。砂漠では水の確保が生命維持の条件。

新共同 創  21:30-31
21:30 アブラハムは答えた。「わたしの手からこの七匹の雌の小羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください。」
21:31 それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。

 

●多くの遺跡を見ての疑問。イスラエルはあるときからヤーウェの神に「祈ることを始めた」。多くあった神々の中からあるときヤーウェの神だけを拝するようになった。それはなぜか。旅行中にその創世記の記述について、経堂聖書会の月本昭男先生、小島拓人氏、吉野隆治氏らと意見交換した。イスラエルにとっては初めからヤーウェを自覚してはいなかった。

●これに対する私の意見は次の通り●生徒が先生を「センコー」と思っているうちは「先生」は存在しない。子供が父親を「クソオヤジ」と思っているうちはその家に「父親」は存在しない。 信仰は聖霊によって誕生する関係概念。マタイ26章64節の塚本訳「御意見に任せる」は深い訳。

新改訳 創  4:25-26

4:25 アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」

4:26 セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた

口語訳 創  4:25-26

4:25 アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。

4:26 セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた

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ベエル・シェバの周囲に広がるネゲブ砂漠 2006.3.22

●アブラハムが仕え女のハガルとその子供のイシマエルを追放したのはこのような砂漠であったと思うと感慨一入であった。●イシマエルの子孫がアラブ人となった。イスラエルとアラブの争いはここにまで溯る。厳しい砂漠。●アラブとイスラエルの争いは終末の日まで続くのか

新共同 創  21:9-14
21:9 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、
21:10 アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
21:11 このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。
21:12 神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。
21:13 しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」
21:14 アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。

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アラッドの都市遺跡 BC3000年 2006.3.22

●パレスチナにおける最古の都市遺跡。人間は太古から集まって生きることをしていたことの証拠。深い感動を覚えた。人間は一人では生きていけない。しかし都市は悪の巣。都市はカインが作った。人間が都市にあこがれるのは「カインの末裔」(有島武郎)だからか。

口語訳 創  4:17
4:17 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。

●神は都市を好まなかったのでバベルの塔は壊された。

口語訳 創  11:4-7
11:4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
11:5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
11:6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
11:7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
 

 

●ノボテル・デッドシーホテル泊

 

 060323(木)

 

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妻と「死海のほとり」を早朝散歩 2006.3.23 死海南西岸のエンボケク

●死海は熱帯のような植物が生えている。死海は年々水位が下がってしまい今は二つの湖になった。聖書では「塩の海」という名で出てくる。塩分30%で魚は生きられない。ソドムとゴモラはこの辺だったといわれる。聖書には低地一体とある。神に喜ばれない地であった。ロトの妻が塩の柱になったのはこの地。

 

新共同 創  19:24-26
19:24 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
19:25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。
19:26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。

 

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妻と「死海のほとり」を早朝散歩 2006.3.23 エンボケク

●塩が固まっている。水はどんよりとしている。標高マイナス400メートル。空気は濃いというのだがあまり感じなかった。死海は聖書では「塩の海」という名前で出てくるが、ガリラヤ湖ほどは出てこない。

 

新共同 民  34:11-13
34:11 シェファムからアインの東側のリブラに下る。更に境界線は、キネレト湖の東斜面を経て、
34:12 ヨルダン川を下り、塩の海に達する。以上の境界線の内側があなたたちの土地である。
34:13 モーセはイスラエルの人々に命じた。「これは、あなたたちがくじを引いて、嗣業として受け継ぐべき土地である。主はこれを九つの部族と半部族に与えよ、と命じられた。

 

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死海での浮遊体験 左は高橋照男 右は高橋トミ子 2006.3.23

●ナルホド確かに簡単に浮く。異次元の不思議な感覚。心がリラックスする現象。●妻と私が入ったために年々水位の低下している死海もわずかながら一時上昇した(??!!)

 

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形の良いマサダの砦 2006.3.23

●ユダヤ人がローマ軍に抵抗して最後は約1000人が全員自決した砦

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マサダをローマ軍が攻め上るために築いた坂道 2006.3.23

●あの高い砦をどう攻略したか建築技術者としては疑問であったが、坂道を作って頂上に近づいたことがよくわかった。

 

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ローマ軍が投石機で投げた石。2006.3.23 マサダ頂上

●坂道で近づいてそこに投石櫓を建ててこの大きな石を投げ込んだ。持ち上げようとしても重くて持ち上げられなかった。

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エンゲディ  ダビデがサウルの衣を切った洞窟 2006.3.23

 

新共同 Tサム24:1
24:1 ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害にとどまった

 

●この物語はサムエル記上24章。ダビデはサウルを殺せば殺せたのにそれをしなかった。それを知ったサウルは声を上げて泣いた。こういう優れた人物のダビデは後に国民に慕われる王になる。

 

新共同 Tサム24:17-21
24:17 ダビデがサウルに対するこれらの言葉を言い終えると、サウルは言った。「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」サウルは声をあげて泣き、
24:18 ダビデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。
24:19 お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されたのに、お前はわたしを殺さなかった。
24:20 自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか。今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう。
24:21 今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。

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死海写本発見の第4洞窟 2006.3.23

●死海写本の発見によりそれまでの写本よりさらに1000年も溯った。●20世紀考古学最大の発見。1948年、イスラエル独立と同じであったことに意義がある

 

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イスラエルの少女たち。小学校高学年 2006.3.23

●目が大きくてきれいである。

 

塚本訳  マタ 6:22-23
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。

 

060324(金)

 

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ピリポカイザリア地方の岩山 2006.3.24

●イエスがペテロに「あなたはペテロ[岩]」と語ったのはこのような場所ではなかったのか。思想というのは周りの状況が生み出すものだ。このマタイ16章18節の岩という言葉も唐突に出たのではないだろう。

 

塚本訳  マタ 16:13-20
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」
16:20 それからイエスは、自分が救世主であることをだれにも言ってはならないと、弟子たちを戒められた。

 

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ヘルモン山の麓にあるヨルダン川上流 2006.3.24 ピリポカイザリヤ

右は同行の一員、吉野純子さん。撮影は同行の丹野きみ子さん

●この地は日本人好みのする実に美しい風景である。水が澄んでいた。街の中より離れた静かなところ。ここは「しかが谷川を慕い仰ぐ」と歌われた場所。詩編42−43編の舞台

 

口語訳 詩  42:1-12
42:1 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
42:2 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。
42:3 人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
42:4 わたしはかつて祭を守る多くの人と共に/群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
42:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
42:6 わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
42:7 あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波は/ことごとくわたしの上を越えていった。
42:8 昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる/祈がわたしと共にある。
42:9 わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか」と。
42:10 わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
42:11 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

 

口語訳 詩  43:1-5
43:1 神よ、わたしをさばき、神を恐れない民にむかって、わたしの訴えをあげつらい、たばかりをなすよこしまな人から/わたしを助け出してください。
43:2 あなたはわたしの寄り頼む神です。なぜわたしを捨てられたのですか。なぜわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか。
43:3 あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に/わたしをいたらせてください。
43:4 その時わたしは神の祭壇へ行き、わたしの大きな喜びである神へ行きます。神よ、わが神よ、わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。
43:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

 

 

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ピーターズフィッシュ(聖ペテロの魚) 2006.3.24 ガリラヤ湖畔エンゲブでの昼食

●長さ25センチメートル程のかなり大きな魚。味は鯛のようであった。木山靖子さん(経堂聖書会)が醤油を持ってきておられ、かけて下さった。添乗員の佐藤淳一さん(テマサトラベル)が、「食べてみて、口の中に銀貨が入っていたら税金として支払って欲しい」と笑わせた。マタイ17章27節のこと。

 

塚本訳 マタ 17:24-27
17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」
17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

 

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ガリラヤ湖北岸付近 2006.3.24 エンゲブから貸切の観光船に乗る。

●イエスの水上歩行や嵐を静めたのはこの辺。ゲラサの豚の記事の場面は対岸の付近。

 

塚本訳  マタ 14:22-33
14:22 それからすぐイエスは弟子たちを強いて舟に乗らせ、向う岸に先発させられた、群衆を解散させる間に。
14:23 そして群衆を解散させると、祈りのため自分だけ山に上られた。暗くなってもひとりそこにおられた。
14:24 (弟子たちの)舟はすでに幾スタデオも(一スタデオは約五分の一キロ)陸を離れていたが、向い風のため波になやまされていた。
14:25 第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼らの所に来られた。
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」
14:32 そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。
14:33 舟にいた人たちは、「あなたは確かに神の子です」と言ってイエスをおがんだ。

 

塚本訳  マコ 4:35-41
4:35 その日、夕方になると、「向う岸に渡ろう」と言われる。
4:36 弟子たちは(岸に立っている)群衆を解散して、イエスが舟に乗っておられるのを、そのままお連れする。幾艘かほかの舟もついて行った。
4:37 すると激しい突風がおこり、波が舟に打ち込んできて、もう舟にいっぱいになりそうになった。
4:38 しかしイエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちが「先生、溺れます、構ってくださらないのですか」と言って起した。
4:39 イエスは目をさまして風を叱りつけ、湖に言われた、「黙れ、静かにしないか!」(たちどころに)風がやんで、大凪になった。
4:40 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」
4:41 弟子たちはすっかりおびえてしまって、「この方はいったいだれだろう、風も湖もその言うことを聞くのだが」と語り合った。

 

塚本訳  マコ 5:1-20
5:1 かくて湖の向う岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟からあがられると、すぐ、汚れた霊につかれたひとりの人が墓場から出てきて、イエスを迎えた。
5:3 この人は墓場を住家としていたが、もはやだれも、鎖ですらつないでおくことが出来なかった。
5:4 幾たびか足桎と鎖でつないだが、鎖を引きちぎり、足桎を打ちこわして、だれの手にもおえなかったのである。
5:5 どなったり、体を石でなぐったりしながら、夜も昼も、いつも墓場や山にいた。
5:6 遠くの方でイエスを見ると、駆けてきてひざまずき、
5:7 大声で叫んだ、「いと高き神の子のイエス様、『放っておいてください。』後生だから、どうぞわたしを苦しめないでください。」
5:8 これはイエスが「汚れた霊、その人から出てゆけ」と言われたからである。
5:9 「あなたの名はなんというか」とお尋ねになると、「名は軍団です、大勢だからです」とこたえる。
5:10 また、この土地から追い出さないようにとしきりに願った。
5:11 折から、そこの山の中腹で豚の大きな群が草を食っていた。
5:12 霊どもは、「わたしどもをあの豚の中にやって、あれに乗り移らせてください」と願った。
5:13 お許しになると、汚れた霊どもは(その人から)出ていって豚に乗り移った。すると二千匹ばかりの群はけわしい坂をどっと湖へなだれこみ、湖で溺れて死んだ。
5:14 豚飼たちは逃げ出して、町や部落に知らせたので、何事がおこったのかと人々が見に来た。
5:15 彼らはイエスの所に来て、前に一軍団の悪鬼につかれていた者が着物をき、正気にかえってじっと座っているのを見ると、恐ろしくなった。
5:16 また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者におこったことや豚のことを、その人々に話してきかせた。
5:17 人々は聞いて(気味わるくなり)、イエスにその土地からでて行ってもらいたいと頼んだ。
5:18 そこで舟に乗られると、悪鬼につかれていた者が、ついて行きたいと願った。
5:19 しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」
5:20 すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、デカポリスに言いふらし始めた。皆が驚いた。

 

●船の中で全員が讃美歌228番と317番を歌った。

 

讃美歌228番

1・ガリラヤの風 かおるあたり 「あまつ御国は 近づけり」と、のたまいてより いく千歳ぞ きたらせたんまえ、主よ、み国を

 

讃美歌317番

1・ガリラヤの湖畔(うみべ) 山みどりに 風かおるあたり 主イエス平伏して 祈りましぬ

 

 

 

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カペナウムのシナゴーグ跡 2006.3.24 カペナウム

●説明しているのは今回旅行現地ガイドの福地波宇郎(パウロ)さん。ヘブライ語に堪能で聖書に精通している。このような実力のある日本人は7〜8人きりいないという。彼はキブツでの生活体験者。●イエスはここカペナウムで数々の奇跡を行った。カペナウムは首都エルサレムから3日路の辺境。イエスは首都のエリートたちを相手にしなかったのだなーと感じた。

 

塚本訳  マタ 4:12-17
4:12 イエスは(洗礼者)ヨハネが牢に入れられたと聞くと、(郷里)ガリラヤ(のナザレ)に引っ込まれた。
4:13 それから(間もなく)ナザレを去って、(昔)ゼブルン(族)とナフタリ(族)との(領地であった)地方にある、(ガリラヤ)湖畔の(町)カペナウムに行って住まれた。
4:14 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。──
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』
4:17 この時から、イエスは「悔改よ、天の国は近づいた」と言って、教えを説き始められた。

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山上の垂訓教会よりガリラヤ湖を望む 2006.3.24 カペナウム付近

●カペナウムの丘の上にあるこの地は景色の美しいところ。マタイ6章25〜34節を思い出した。●イエスは首都やエリートを相手にしないでこの辺境の貧しい人に御国を説いたのだなーと思った。

 

塚本訳 マタ 6:25-34
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

 


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パンの奇蹟の教会 2006.3.24 ガリラヤ湖北西岸の町タブハ

●床のモザイクは五つのパンと二匹の魚。6世紀。この見事なデザインに感動した。

 

塚本訳  マタ 14:13-21
14:13 これを聞くと、イエスは自分(と弟子たち)だけ、そこから舟で人里はなれた所へ立ちのかれた。すると群衆はそれと聞いて、町々から陸を歩いてついて行った。
14:14 イエスは(舟から)上がって多くの群衆を見ると、かわいそうになり、その中の病人をなおされた。
14:15 夕方になると、弟子たちはイエスのそばに来て言った、「ここは人里はなれた所、それにもう時間も過ぎました。だから群衆を解散させ、村々に行って自分で食べる物を買わせてください。」
14:16 イエスは言われた、「買いに行くには及ばない。あなた達が自分で食べさせてやったらよかろう。」
14:17 彼らが言う、「ここにはパン五つと、魚二匹しか持ちあわせがありません。」
14:18 イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい。」
14:19 それから群衆に命じて草の上に座らせ、(いつも家長がするように、)その五つのパンと二匹の魚を(手に)取り、天を仰いで(神を)讃美したのち、パンを裂いて弟子たちに渡されると、弟子たちは群衆に渡した。
14:20 皆が食べて満腹した。そして余ったパンの屑を拾うと、十二の篭に一ぱいあった。
14:21 食べた者は、女、子供ぬきで、男五千人ばかりであった。

 

ホリデーインティベリア泊

 

 

 

060325(土)

 

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ガリラヤ湖の朝 2006.3.25 早朝散歩で妻を写す

●対岸が見える。ガリラヤ湖は思っていたより小さい。山から吹き降ろす突風で嵐になることがあるという。ガリラヤ湖はイエスの奇跡活動の舞台

 

塚本訳  マタ 4:18
4:18 ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄弟アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。

 

塚本訳  マタ 15:29-31
15:29 それからイエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりにかえり、山に上ってそこに坐られた。
15:30 大勢の群衆が足なえ、片輪、盲人、唖、そのほか多くの者をつれてイエスの所に来て、足もとに置いたので、それをなおされた。
15:31 群衆は唖が物を言い、片輪が直り、足なえが歩きまわり、盲人が目が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を讃美した。

 

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ナザレの受胎告知教会のステンドグラス 2006.3.25 

●イエスが育たれた町ナザレは小さかった。地方都市という感じ。そこの受胎告知教会にあったステンドグラスの色彩は見事であった。カトリックフランシスコ会の教会

 

塚本訳  ルカ 1:26-28
1:26 (エリサベツがみごもってから)六か月目に(同じ)天使ガブリエルが、神からガリラヤのナザレという町の一人の乙女に遣わされた。
1:27 この乙女はダビデ(王)家の出であるヨセフという人と婚約の間柄で、名をマリヤといった。
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」

 

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タボル山を見ながらの散策 2006.3.25 ミズラ付近

●聖地の花々を見ながら全員での散策は楽しかった。妻の希望でこの景色を撮影。後方はタボル山。詩編89:12にある。

 

口語訳 詩  89:11-14
89:11 もろもろの天はあなたのもの、地もまたあなたのもの、世界とその中にあるものとは/あなたがその基をおかれたものです。
89:12 北と南はあなたがこれを造られました。タボルとヘルモンは、み名を喜び歌います。
89:13 あなたは大能の腕をもたれます。あなたの手は強く、あなたの右の手は高く、
89:14 義と公平はあなたのみくらの基、いつくしみと、まことはあなたの前に行きます。

 

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団長の月本昭男先生がこれから20年かけて発掘調査するアナハラトの丘 2006.3.25

●ここはヨシュア記19:19の場所。BC1300年代、バビロニア、アッシリア、エジプトのファラオとの交流があったらしい。発掘調査で歴史が証明される考古学の面白さを伺った。

 

新共同 ヨシ 19:18-19
19:18 その領域は、イズレエル、ケスロト、シュネム、
19:19 ハファライム、シオン、アナハラト

 

 

 

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聖地の花 ポピー  2006.3.25 

●イエスもこの様な花を見たのであろう。マタイ6章を思う。

 

文語  マタ 6:28-29
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。

 

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カイザリアの円形劇場 2006.3.25 カイザリア

●カイザリヤの建築はギリシャローマ風。建築士として血が騒いだ。建築はヘブライズムには見るべきものがないが、ここカイザリアで久しぶりに「建築」を見た。建築はヘレニズム。●この円形劇場の客席は海に向いている。舞台の背後には壁はなくてすぐ地中海。その潮騒を聞きながら演劇を見るような設計。韓国の観光客の一人が舞台に立って大声で歌っていた。

 

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カイザリアの港 2006.3.25 カイザリア

 

●パウロはこの町に2年間軟禁された後にこの港からローマへの旅に出発した。ここがその死出の旅路の港だったと思うと泣けてきた。美しい港。パウロの出発のときもこのような波であったのだ。●この町でパウロは復活のキリストに出会ったあの証をした。第2回目。また有名なやり取りが行われたのもこの町であった。パウロがキリストを弁明したハイライトの町がここカイザリア。

 

塚本訳  使  24:24-26
24:24 数日の後ペリクスは、ユダヤ人であるその妻ドルシラと一緒に(監禁の場所に)来て、パウロを呼び、キリスト・イエスに対する信仰の話を聞いた。
24:25 ところがパウロの話は、義と、節制と、来るべき(最後の)裁きとについてだったので、ペリクスは恐ろしくなって、「本日はこれで帰ってよろしい。よい折があったら、また呼びにやるから」と言った。
24:26 彼はまた同時に、パウロから(釈放願いの)金がもらえると望みをかけていた。そのため何度も何度もパウロを呼んで、話をした。

 

塚本訳  使  26:1
26:1 アグリッパがパウロに、「自分のために陳述しても差し支えない」と言うと、パウロは(演説家のように)手をのばした姿勢で弁明した。──

 

塚本訳  使  26:19-20
26:19 アグリッパ王よ、(こんな栄光ある職を受けたのです。)それゆえ、わたしはこの天からの示しにそむかず、
26:20 まずダマスコとエルサレムとの人たちに、ユダヤ全国に、それから異教人に、悔改めて神に帰り、悔改めにふさわしいわざをするようにと告げました。

 

塚本訳  使  26:24-25
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。

 

060325(土)

 

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エマオ 2006.3.25 エルサレムに向うバスの中から

●エマオには単独行動で訪れたかったが、エルサレムから17キロ程度もある上に危険な時期なので断念。バスの中から見るに留まった。エマオに向かう二人弟子が復活のイエスに出会ってその胸が熱くなったのはあの森だったのか。私もかって聖書の「空の墓」の所(ヨハネ20:1-10)読んで胸が熱くなったことがある。それが原因でイエスの「有体的復活」を信じられるようになったのだ。エマオを訪れたかったのはそのためである。

 

塚本訳  ルカ 24:13-16
24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。

 

塚本訳 ルカ 24:28-32
24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、
24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

 

060326(日)

 

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エルサレム4泊のプリマキングスホテル 2006.3.26 エルサレム

 

これは人気の高級ホテル。旧市街見学に便利なところにある。●大ホールで夕食のとき、ウクライナの巡礼団が突然讃美歌312番「いつくしみふかき友なるイエス」と続いて聖歌480番「輝く日を仰ぐとき」を合唱した。●これに対して日本の一行は「サクラ、サクラ」を歌った。キリストにあって世界は一つとの感じがして泣けた。ウクライナ人のリクエストであったが、無教会者のグループとしては的を得ていた。内村鑑三かいたら喜んだであろう。ウクライナの人と固い握手を交わした。「キリストは我等の平和」である。平和は人間による平和運動によっては実現しない。

 

口語訳 コロ 3:15
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。

 

 

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オリブ山からエルサレムの神域を望む 2006.3.26 オリブ山から

●イエスはエルサレム神殿の祭司階級による神殿宗教の堕落を嘆き、そしてこの大建築をも批判した。この神殿と城壁を見たときイエスは既に自分がその祭司階級たちから殺害されることを予感していたのだ。

 

塚本訳 マタ 23:37-38
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。
23:38 そら、『お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。』

 

塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」

 

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ゲッセマネの森のオリーブの老木 2006.3.26 オリブ山

●この老木の祖先はあのイエスの苦闘の祈りの声と逮捕の場面を知っていたのだ。

 

塚本訳  マタ 26:36-46
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
26:43 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。
26:44 イエスは彼らをのこして、もう一度向こうに行き、また同じ言葉で、三度目に祈られた。
26:45 それから弟子たちの所に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。そら、人の子が罪人どもの手に渡される時が近づいた。
26:46 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」

 

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イエスがゲッセマネで血の滴るような祈りをした岩 2006.3.26 オリブ山にある教会

●ゲッセマネの苦闘の祈り。イエスはどたん場になって死におびえた。この岩を前にして米国人と思われる婦人が泣いておられた。マルコ14章36節の「アバ、お父様」で始まる祈りは「とうちゃん勘弁してくれよ」というのがその真意である。このとき一番辛かったのはイエスより父なる神であった。人類を罪から救うためにご自分の独り子を見殺しにしなければならなかったからだ。

 

塚本訳  マコ 14:32-42
14:32 やがて(オリブ山の麓の)ゲッセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子たちに言われる、「わたしの祈りがすむまで、ここに坐って(待って)おれ。」
14:33 そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら
14:34 彼らに言われる、「『心がめいって、』『死にたいぐらいだ。』ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
14:37 やがて来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。
14:38 あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
14:39 それからまた向こうへ行って、同じ言葉で祈り、
14:40 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。イエスになんと答えてよいかもわからなかった。
14:41 三度目に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。もうそのくらいでよかろう。時が来た。そら、人の子は罪人どもの手に渡されるのだ。
14:42 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」

 

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嘆きの壁 2006.3.26 エルサレム神殿の西の壁

●下から6段がヘロデ時代、その上にさらに歴史的に2回積み重ねられている。●壁に近づくときは男女が分けられる。妻は仕切りの右側に行った。

 

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「嘆きの壁」で熱心に祈るユダヤ教徒 2006.3.26 エルサレム神殿

●多くのユダヤ人が体を振って壁に向かって祈っていた。神に願い事を紙に書いて石の間に差し込むとそれが叶えられるという。●私はせっかくここに来たので、岩に頭をつけてみた。同行の女性に冗談に「どうかもっと痩せられますように」と祈ったのだ言うと、その女性から「奥様の分と二人分をお祈りしましたか」と冷やかされた。あの祈りで痩せられたらユダヤ教に改宗しなければならないかなー。

 

 

 

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エルサレム神殿南の壁の前の階段に立つ妻 2006.3.26 エルサレム神殿

●この階段は、1974年にエルサレム神殿城壁の南側で発掘された。イエス時代のもの。団長の月本昭男先生(日本旧約学会会長)はこのとき日本人として初めてここに立たれた。イエスは多分この南の階段をも通ったのかもしれない。ここからオリブ山は近い。●選挙が近づいてテロの危険があるので神域には入れなかったのは残念であった。●大きな爆発音がしたのでスワ戦争かと思ったがジェット戦闘機が音速を超えたときに起こる衝撃波であると説明されてホッとした。

 

塚本訳  ルカ 21:37
21:37 イエスは(毎日)昼のあいだは宮で教え、夜は(都を)出ていって、いわゆるオリブ山で夜を過ごされた。

 

 

 

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シロアムの池 2006.3.26 ダビデの町

●あの盲人はこの池で目を洗ったら見えるようになったのだ。どんなにか嬉しかったであろう。人が盲人で生まれたのは、誰の罪のせいかとの問いに、イエスは答えた「神の御業がこの人に現れるためである」と。人の不幸は神が先刻ご承知。不幸は真の幸福のもと。

 

塚本訳  ヨハ 9:1-11
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。
9:8 近所の人や、彼が乞食であったのを前に見ていた人たちは、「これは坐って乞食をしていた男ではないか」と言った。
9:9 「あの男だ」と言う者もあれば、「いや、似ているだけだ」と言う者もあった。本人は「たしかにわたしです」と言った。
9:10 すると人々がたずねた、「では、どうして目があいたのか。」
9:11 答えた、「あのイエスという方が、泥をつくってわたしの目に塗りつけ、『シロアムに行って洗いなさい』と言われた。そこで行って洗うと、見えるようになったのです。」

 

●プリマ・キングス・ホテル泊

 

060327(月)

 

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イエスが振り向いてじっとペテロを見た階段 2006.3.27 鶏鳴教会

●恩人を裏切ったペテロ。それを赦したイエス。その時のイエスの目は神の子の目であった。最高の目であった。人を赦すときの目であった。ルカはよく書いてくれた。●ルカ22章61節塚本訳「主は振り向いて、じっとペテロを見つめられた」。塚本訳の「じっと」という翻訳には深いものがある。それは赦しの目。神の子の目。

 

塚本訳  ルカ 22:54-62
22:54 彼らはイエスをつかまえると、引いていって、大祭司(カヤパ)の屋敷につれ込んだ。ペテロは見えがくれについて行った。
22:55 そして彼らが中庭の真中であかあかと火を焚いて一しょにすわったので、ペテロもその中に坐った。
22:56 ひとりの女中は彼が火の所に坐っているのを見ると、しげしげと眺めならら、「この人もあの人と一しょだった」と言った。
22:57 しかしペテロは、「女中さん、あんな人は知らない」と言って打ち消した。
22:58 ほどなく、ほかの男がペテロを見て、「あなたもあの仲間だ」と言った。ペテロは言った、「君、人ちがいだ。」
22:59 一時間ばかりたつと、(また)ほかの男が、「実際この人もあの人と一しょだった。この人もガリラヤ人だから」と主張した。
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた。

 

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ベテスダの池は深かった 2006.3.27 エルサレム旧市街内

 

●ヨハネ福音書にのみある「ベテスダの池の奇跡」は、私の最も好きな場面。池の水が少しでも動いたときに飛び込むと直るという伝説があって皆が飛び込むのだが、体が動かせなくて飛び込むことさえ出来なかった男がいた。その男に「直りたいか」と声をかけたイエス。そして病気を直した。体が悪いので人に遅れをとった者に声をかけたイエス。●人生に遅れをとった者にイエスは声をかける。「直りたいか」と聞いたイエスのその目を思う。きっとじっと見つめたのだろう。その目を思う。神の子の目を思う。

 

塚本訳 ヨハ 5:1-9
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

 

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音響効果抜群の教会 2006.3.27 聖アンナの教会

●この石の教会堂は音響が非常によかった。カナダの一行が「アメイジンググレイス」を歌って天井に大きく木霊した。次にナイジェリアの一行もお国柄の歌を歌った。多分讃美歌。両国の人たちが固く握手していた。「キリストは我等の平和」という言葉を思い出した。

 

口語訳 エペ 2:14-16
2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。

 

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ヴィア・ドロロサ(悲しみの道行き)の途中にあるエッケホモ教会 2006.3.27

●この石畳はイエス時代と同じと考えられる。ここを歩いてイエスが十字架を担いで歩いたときのゴトゴトという音が聞こえてくるようであった。ゴトゴトゴトゴト。重い十字架、痛い十字架。イエスよ、あなたのその痛みは私のためだったのです。

 

塚本訳  ルカ 23:26-32
23:26 (兵卒らが)イエスを(刑場へ)引いてゆく時、シモンというクレネ人が野良から来(て通りかかっ)たので、つかまえて(イエスの)十字架を背負わせ、イエスの後から担いでゆかせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。
23:30 その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。
23:31 (罪のない)生木(のわたし)でさえ、こんな目にあわされるのだ。まして(罪にくされた)枯木は、どうなることであろうか!」
23:32 ほかに二人の罪人も、処刑されるためイエスと共に引かれていった。

 

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イエス埋葬の墓 2006.3.27 聖墳墓教会の地下

●どうもピンとこなかった。聖墳墓教会内部のきんきら金の飾りは仏教寺院に似ていて良い感じがしなかった。そのためにこの地下にあるイエスの墓も本当らしく思えなかった。

 

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ゴードン将軍の指摘する十字架刑の場所 2006.3.27 園の墓の隣り

●1860年にオットー・テニウスが、十字架の場所は現在の聖墳墓教会の場所ではなく、城壁の外部にあるこちらではないかと言い出し、第一次世界大戦中に英国軍人のゴードン将軍がこれに同調した。●なるほど、目と口のところが空洞になっていてしゃれこうべに似ている。「髑髏(しゃれこうべ)の所」という言葉は4福音書で一致。

 

塚本訳 ヨハ 19:17-18
19:17 イエスは自分で十字架をかついで、いわゆる「髑髏の所」──ヘブライ語でゴルゴタ──へと(都を)出てゆかれた。
19:18 そこで彼らはイエスを十字架につけた。またほかに二人(の囚人)が、イエスを中にしてあちらとこちらで、一しょに十字架につけられた。

 

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園の墓 2006.3.27 

●ゴードン将軍が指摘した十字架の場所の隣りにある。隣りに園がある。園の墓と呼ばれているこの墓のほうが本物臭い。●墓の前の溝は墓を閉じる丸い石を転がすためのもの。私はその溝の中に立っている

 

塚本訳  ヨハ 19:41
19:41 ところがイエスが十字架につけられた場所(の近く)に園があって、園の中に、まだだれも納められたことのない、新しい墓があった。

 

 

 

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空の墓 2006.3.27 園の墓の内部

●今回の旅行の主目的はこれを見るためであった。歴史の内と外の接点ピンポイントの場所を見たかった。イエスが有体的に復活した場所。イエスはもう「ここにはおられない」と言った天使の言葉を思い出した。

 

塚本訳 ヨハ 20:1-10
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
20:10 それから二人の弟子は家にかえった。

 

塚本訳 マタ 28:5-7
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」

 

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マリヤの訪問教会の中庭 2006.3.27 エンカレム

●これはすばらしい教会であった。最高。日本人に人気の教会と説明された。特に中庭がすばらしい。マリヤは受胎の告知を受けて不安になり、親戚のエリサベツを訪問した。それがこの場所。そこに建つ教会。ユダの山里にある。ルカ1章45節の言葉がすばらしい。「主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう」。これに続くマリヤの賛歌であるマグニフィカトが各国語で書かれてあった。

 

塚本訳  ルカ 1:39-45
1:39 その後間もなくマリヤは立って、大急ぎでユダの山地のある町に行き、
1:40 ザカリヤの家に入ってエリサベツに挨拶した。
1:41 エリザベツがマリヤの挨拶を聞いた時、児が胎内で躍った。エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高らかにさけんだ、「あなたは女の中で、(一番)祝福された方、あなたの胎内のお子さまも(だれより)祝福されたお方です。
1:43 主の母上がわたしの所に来てくださるとは、まあどうしたのでしょう。
1:44 そら、あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ると、児が胎内で喜んで躍りました。
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」

 

060328(火)

 

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聖誕教会のうちアルメニヤの教会 2006.3.28 ベツレヘム

●木造の梁、床と壁のモザイクが古くてすばらしい。妻が好んだ。イエスが生まれたのは洞窟。そのモデルが地下にあった。イエスはこんなうす暗いところで生まれたのか。神の子が・・・・。産院ではなかった。

 

塚本訳  ルカ 2:1-7
2:1 そのころ、全(ローマ)帝国の人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た。
2:2 これは(ローマ政府)第一回の人口調査で、クレニオがシリヤの総督であったときに行われたものである。
2:3 すべての人が登録を受けるために、それぞれ自分の(生まれた)町にかえった。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。
2:5 すでに身重であった妻マリヤと共に、登録を受けるためであった。
2:6 するとそこにおる間に、マリヤは月満ちて、
2:7 初子を産み、産着にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には場所がなかったのである。

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ヒエロニムスが聖書をラテン語に翻訳する作業をした洞窟 2006.3.28 ベツレヘム聖誕教会

●ヒエロニムス(340〜420年ごろ)はここで30年間聖書をヘブライ語ギリシャ語からラテン語に訳した。それがカトリックのヴルガダ版。ルターのドイツ語訳が出現するまで1100年間西欧文化に根源的影響を与えた。

 

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ヒエロニムス像 2006.3.28  ベツレヘム聖誕教会

●ヒエロニムスの像の足元には頭蓋骨がある。翻訳助力者の女性が亡くなると、ヒエロニムスはその遺骸の頭蓋骨をそばにおいて自分を励まし、翻訳を続行して完成した。

 

 

 

 

 

 

 

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イスラエル博物館の写本館 2006.3.28 エルサレム

死海写本が展示されていた。すばらしい現代建築。死海写本が入っていた壷の蓋のデザイン

 

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さようなら イスラエル あなたは神に愛された国でした。2006.3.29

 

 

 

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サクラ サクラ 2006.3.31 あきる野市 普門禅寺

●日本に戻るとサクラが満開であった。アー日本はいいなー。日本食、日本語、おだやかな気候、安全。やはり人間にとっては「祖国」というものが一番良いものだ。これはどこの国の人も同じであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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