いざ永遠の家へ
・・・・家が焼失して湧いた望み・・・・
                             高橋照男 2000・5・7

 (東京聖書読者会における御礼の言葉)
 

● 天国の家は焼けない

2000年4月23日(復活節)午後、若者の「聖書勉強会」の第1回目を講師陣4名と若者たち6名で開いた。夕方家に戻ると消防車が家の周りに何台も来ていて、鎮火寸前であった。内外とも左官仕上げであったために外形は残り類焼は免れたものの内部は全損で使いものにならなくなっていた。呆然、途方にくれていた時、ふと心に浮かんだこと、「天国の家は焼けない」。

第2コリント5章「口語訳」
1わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
2そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。

[塚本訳]
1(然り、患難は軽く栄光は重い。)何故(と言うの)か。もし私達の地上の家である(この脆い、一時的な)天幕、(すなわち私達の肉体)が壊れるならば、私達は(その代わりに、確[しっか]りした)神からの建物、(すなわち人間の)手で造ったのでない、永遠の家を天に有って(いて、それが私達を待って)いることを知っているからである。
2(見よ、)この(地上の)天幕(なる肉体)にあっては、(私達に悩みが絶えないではないか。そして)私達は天からの住居を(この悩みの天幕の上に上に着ようと、(ただそればかりを)思い焦がれて呻吟いているではないか。(これこそ永遠の家があることの確かな証拠でなくて何であろう。)
 

● 天からの火

「聖書勉強会」では聖書の本質は「永遠の命」であることを第一回目当番の私が話した。永遠の命を頂くためにはこの世のものに執着する心を捨て、一心に「救い」を求めなければならないことをマルコ10章17?25節「金持ちの青年」を通して力説した。しかしそのことを話す人はまず自分がそれを実行しなければならなかったのである。けれどもこのことは人間にはなかなかできないことである。家と財産を失ってみて初めて今回の事は、神に無理に火をつけられてこの世への「執着心」を焼かれたのだ思うようになった。実際のところ聖書勉強会を開いている時刻に家が燃えはじめたのである。「家に帰って」見たら(塚本訳マルコ10章21節)財産がなくなっていた。

マルコ10章[塚本訳]
17旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」"
18イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。"
19(するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──“殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、”奪い取ってはならない、“父と母とを敬え。”(ただこれだけである。)」"
20その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」"
21イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」"
22彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。23イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」"
24弟子たちはその言葉にびっくりした。(彼らは富むことが、神に特別に愛されているしるしと信じたのである。)イエスはかさねて言われる、「子供たちよ、神の国に入ることは、なんとむずかしいのだろう。"
25金持が神の国に入るよりは、駱駝が針の孔を通る方がたやすい。」"
26弟子たちはいよいよ驚いて互に言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」"
27イエスは彼らをじっと見て言われる、「人間には出来ないが、神には出来る。“神にはなんでも出来る。”」"
 

● 後ろを振り向くな

私が設計し生んで深く愛していた家は、明日5月8日解体撤去されこの世から姿を消す。失ったものに対して未練がある。4人の子供を育てた懐かしい思い出の家や品々。しかし未練がましく後ろを振り返ると私もロトの妻のように「塩の柱」になると思った。
「苦しみ(悲しみ)は瞬時にして、喜びは永遠なり」(ヒルティ・幸福論?)

創世記19章[新共同訳]
17彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」

24主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。
26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。

ルカ福音書17章[塚本訳]
26ちょうどノアの(洪水の)時にあったようなことが、人の子の(来る)日にも起るであろう。"
27 “ノアが箱船に入った”日まで、人々が飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていると、洪水が来て、一人のこらず滅ぼしてしまった。"
28ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると、"
29ロトがソドムから出た日に、“(神は)天から火と硫黄とを降らせて、“一人のこらず滅ぼしてしまわれた。"
30人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。"
31その日には、屋根の上におる者は、(何か大切な)家財道具が家の中にあっても下におりて取り出そうとするな。畑におる者も同じく“(家に)もどる”な。"
32ロトの妻のことを思え。"
31(この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。"

エホバ与えエホバ取り給ふなりエホバの御名は讃むべきかな
人生途方にくれるときヨブのことが思い出される。ヨブは慰めである。人間は裸で一人で生まれてきて、また裸でかえるのだ。

ヨブ記1章「新共同訳」
18彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
 

● 焼きつくす捧げ物

アブラハムが息子イサクを神に捧げようとしたとき、それは「焼きつくす捧げ物」であった。それがどんなに愛すべきものであっても神に与えられたものは自らの手で「焼いて」神に「捧げ」なければならないことがわかった。アブラハムの心も見えてきた。

創世記22章
2神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

9神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
10 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
11 そのとき、天から主の御使いが「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
12 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分ったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
 

● 虹が現れる

火災の翌日、焼け跡を片付けて帰るとき、息子が「お父さん虹が出ている」と教えてくれた。見ると南の空にきれいな虹が出ていた。このときわたしは神の約束を見た。創世記によれば、神は人間の堕落振りを見て人類を創造した事を後悔し(創世記6章5節)、人類を地上から拭い去ろうとして洪水を起こした。大洪水はノアの家族だけを残して人類を滅ぼした。しかしその後、神は「人に対して大地を呪うことは二度としまい」と心に言って(創世記8章21節・口語訳)、その約束のしるしとして空に虹を現した。救い主キリストの出現の神の計画はこのときにまでさかのぼることがわかった。

創世記9章[新共同訳]
9章
11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
14 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
15 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。16 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
17 神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」
 

● 救いの感謝、いざ永遠の家へ

今回の火災は、私の家族の者たち全員が「悔い改め」をすべきために天から「火」が下ったのだと各自が認識した。そして不思議なことが起きた。今までになかった変化が皆の心に起こったり、また大切と思っていたものに対しすっかり興味を失ったのである。

イザヤ書12章「新共同訳」
1その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが、その怒りをひるがえ翻し、わたしを慰められたからです。
2 見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった。」
3 あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む。
4 その日には、あなたたちは言うであろう。「主に感謝し、御名を呼べ。諸国の民に御業を示し、気高い御名を告げ知らせよ。
5 主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。
6 シオンに住む者よ叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方はあなたたちのただ中にいます大いなる方。」

第一コリント10章13節[塚本訳]
13(というのは、)君達が遭った試練で、人間的でないものは、(すなわち人間の力以上のものは一つも)ない(からである。この事は、君達が自分でよく知っているはずである。)神は真実であり給う(から、)君達の能力以上に君達が試練られることを、(決して)容し給わない。試練(を与え給う)と共に、(これに添えて、それが)忍耐出来るようにと逃げ道をも(きっと)作って(置いて)下さるであろう。

このたび、多くの皆様方からお見舞い、御協力、慰めのお言葉を頂きました。
衷心より感謝御礼申し上げます。