京都市伏見区深草

所在地の地図 
    



浄土宗   公式ホームページ  http://jodo.or.jp/


知恩院  公式ホームページhttp://www.chion-in.or.jp/

金戒光明寺   公式ホームページhttp://www.kurodani.jp/



「歴史」


拾遺都名所図会によると

常安寺深草筋違橋五丁目にあり,浄土宗にして,本尊阿弥陀佛。又門外の南に小堂あり,

    十一面観世音
を安置する,行基の作なり。又脇壇に元三大師自作の像

地蔵尊春日の作を安ず。



深草誌によると

常安寺違橋五丁目にあり浄土宗金戒光明寺末寺である。

往昔延暦寺末長巌寺と号したが後に荒廃し

慶長十五年源譽詮盈上人が再建したところから開山となつて居る。

境外には長巌寺川の地名が残っている。





長巌寺川は「ジョウガンジ」と呼ばれていて,平安初期に,嘉祥寺の西に

藤原良房の援助で,真雅が建てた大寺貞観寺「ジョウガンジ」と同じ発音をする。

長巌寺川は深草地域一帯に南側の大きな谷川の七瀬川と同様東西に流れている。

長巌寺の直違橋五丁目の敷地も江戸時代に「内垣外」の地名で,貞観寺の境界域地内にあったと推測する。

元三大師像があることより大師の生存されていた西暦912〜985年の頃以後

天台宗内には承元元年(1207年)熊野三山検校に補せられ,

建保六年(1218年)に法務大僧正になつた長巌がおり,その人物と関係のある寺院と推測する。

天台宗末寺としの長巌寺の開基は西暦13世紀から14世紀頃と推定されるが

あくまで推測であって決して正確なものではない。


行基作の仏像は全国いたるところに伝承されているので確実なことはいえない。

また浄土宗開基は慶長十五年(西暦1610年)のことで,

大体天台宗長巌寺として約400年から350年

浄土宗常安寺とし約400年を経て

常安寺寺院としては約750年から800年,経過していると推定される

延暦寺末寺としての長巌寺についての記録を延暦寺・叡山文庫に調べにいったが,

その記録は認められなかった。

応仁の乱に続く信長の比叡山焼き討ちで書類などは焼却消滅し,天台宗自体の衰退もあったと考えられる。

十一面観音菩薩が行基の作となっていることは,黒谷の金戒光明寺の吉備観音堂に祀られている。

その千手観音菩薩が行基作で,近くの四十九院の一つ吉田院(寺)からは寛文八年に移されている

そのような来歴からして法禅院の十一面観音菩薩長巌寺に移って,常安寺に引き継がれたとも考えられるが。









:「現在の常安寺



























本尊阿弥陀佛









十一面観世音菩薩









元三大師像






地蔵尊春日の作か?

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