京都府のホームページ内に上の写真が掲載されていることを知り,丁度写っている地域一帯が法禅院,後の檜尾寺のあったところで

京都市の遺跡地図に載っている「おうせんど廃寺」に相当します。この時点でもかなり粘土は採掘され様子は変わっているが

現在の平成19年よりも面影はある。今は住宅が建ち並んで全体像は判らなくなっている。

この写真をもとに記憶している心礎や礎石のあった場所 発掘されていた場所などを指示してUno氏にイラストを描いてもらったのが一面の図です

あくまでも想像図であって平安ー白鳳時代のことだから勿論不明の部分が多い。場所については沢山の遺物が発掘された場所だから間違いない。

京都府 そして石田様にも電話にて了解を得ている。石田さんの話では何枚か撮影してつなげたと話しておられ,その場所は遺跡地域と

偶然にも一致しているので掲載した。石田様は長年の間地質を研究されている方です。

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