萌木瑛 

The Moon メリクリウスの鏡(1)
仁王立ち倶楽部015(1987年4月発売)

 そこには山がありました。暗い暗い山でした。星が流れてゆく、村がありました。ざわざわと風の音がするのは気のせいでしょうか。暗闇に一条の光が走ります。
 私は歩き始めます。ダイヤがたくさん落ちている道を歩いて行きます。
「うさぎさん、どこへいくの」
 私は答えます。
「山の向こうの岬の果てに行くのです」
誰も信用しない話です。穴の中にはカエルが住んでいる。
「あなたは嘘つきだ」
カエルに五寸釘を打ちつければ、日がのぼります。
「うさぎさん、どこへ行くの」
私は答えます。
「あなたの来た道です」
 青いリンゴは消えてなくなります。ここであなたに気づいて欲しいのです。海の中へ飛び込みます、大きなザリガニがいたらどうしよう。
 私は街の小道を歩きます。あなたは突然あらわれます。
「私はびっくりしました」
「一緒にデパートへ行きましょう」
 あなたと私は街の小道を歩きます。
「あなたがたはどこへ行くのです」
「トンネルです」
 あなたは可笑しそうにしています。
「この子ったらいやだわ。トンネルを買いにデパートへ行くのでしょう」 同じことではないのでしょうか、私は思います。デパートの中に入ってしまったのだから、もう助からないのです。
「何階でお降りになりますか」
 エレベーター嬢が私の頭を撫ぜ撫ぜしています。同じことです。私も撫ぜ撫ぜしてあげましょう。
「クリスマスツリーは何階ですか」
「地下でございます」
「では一緒に参りましょう」
 やっぱり、トンネルの中へ行くんだ。うさぎさんの話は本当だったんだ。
「どのクリスマスツリーになさいますか」
 大きいのが三つ、小さいのが六つ並んでいる。
「このトンネルをください」
「毎度ありがとうございます」

 電車に乗るにはキップが入ります。赤い電車に乗るにはキップが入ります。あなたは私の腕を引っぱります。銀がみがあれば救われます。 「そこの坊や、キップを見せてごらん」
「僕はキップはいりません」
「そうでしたか、すみません」
 紺色の服を着た男の人は隣りの人に聞いてまわります。
「ここはどこでしたか」
 隣りの人は答えます。
「ここは電車の中です」
 僕は言ってあげます。
「トンネルの中ですよ。だからこんなにキップがいるんです」
 みんな一緒にうなずきます。私はいいことをしました。だから電車の中は好きなんだ。
「いやだわ、この子ったら。あなたはトンネルを買いにデパートに行くのでしょう」 あなたは私のお尻を抓ります。私は痛い。私は痛い。

 電話が鳴っています。時計を止めなくてはいけません。

 車は高速道路を走ります。右手には海がひらけている。夜のような気分がするのが不思議です。照明灯の数を数えなくてはいけない。七つまで数えるともと来た道に戻ります。
 そうか、私は納得しました。

「七人の子供の会に入ろうよ」

 (註)七人の子供の会とは、人間が恐怖に遭遇した場合、
    それを一時的に回避するために人間を瞬間ミキサー
    により液体化し、ガラスのボンベに詰める宗教団
    体。1814年成立、現在元に戻す装置を研究開
    発中。ガラスのボンベに七人の子供の明るい笑顔が
    印刷されている。

「行く道がわかりません」

 運転手はミラー越しに話しています。
「だから、言ったんだ。この人じゃだめだって」
 向こうから男の人が歩いて来ます。あの人に聞けばいい。運転手は窓ガラスを開けて煙草を吸っています。
「ガスタンクはどこですか」
 男は首を振ります。
「トンネルの場所ならわかるが、ガスタンクは知らない」
「すみませんでした」
 男の人は行ってしまいます。

 私は海の中へ飛びこみます。どんどんもぐってゆくと教会が見えて来ます。扉を開けると牧師さんが立っていました。

「海の中にも教会があるんですね」
「頭の中にも、岩の中にもあります」
「それは知りませんでした」

 私はうなずきます。

「うさぎさんはここに来ましたか」
「いいえ、くじらさんならありますが」
「では、それを包んでください」
 牧師さんはクジラをきれいな包装紙に包みます。水玉模様は白地に赤でした。
「トマトジュースが飲みたい」
「さっき買ってあげたばかりでしょう」
 親子連れが通りすぎて行きます。なんで買ってあげないのだろう。僕はさっき買ってもらったのに。
「上に参ります、お早めにお乗りください」
「ちょっと待ってください」
 私は目の前にあるエレベーターに乗り込みます。
「お金はありません」
「けっこうです」
「キップもありません」
 女の人は手を差し出します。
「それではこの薬を飲んでください」
 てのひらには赤い玉が五つ載っていました。これがキップになるのだろうか、一つずつ飲んでみます。とても甘い味がします。
「上に参ります」
「お菓子をください」
「くじらならありますが、お菓子はありません」
「では、それでもよいです」
「三階です」
 私ははクジラを食べながら誰かをさがしています。床には七人の子供がこちらを向いて笑っています。何か変だと思うのですが、よくわからない。

「これがガスタンクですか」
「いいえ、これが昔話した緑の灯台です」
「ということは、ザリガニもいるということですか」
「そういうことになります」
 灯台の明りが海面を照らし、きらきらと光っています。空には星が緑色に輝いています。
「これはいけない、もう戻る時間です」
 案内人は消えてしまいます。波の音だけが聞えてきます。そうだ僕も帰らなくてはいけない。
「おでんはいかがですか」
 片腕の無い人が屋台をひいています。私は帰り道を尋ねます
「どうやったら港へ行けますか」
「わかりませんが、おいしいザリガニならありますよ」
「僕はいらない」
「そうですか、私はたいへん残念に思います」
 片腕の人は、残っている自分の手を食べはじめます。おいしそうに食べていますが、音は聞えません。
 これはおかしなことだ。血も流れていない。ブランコのせいだろうか。先の方にはトンネルもある。
「あのトンネルはいくらですか」
「八百円です」
 ザリガニは答えます。私は十円玉をポケットから三つ取り出します。
「これでいいですか」
「高過ぎもしなければ安過ぎもしない」
私は一人でトンネルの中へ入って行きます。これで帰れるのかもしれない。

「終点です。お早くお降りください」
「はい分りました」
 私は電車から降りて、ホームの上を歩いています。真中に穴が空いています。穴の中からうさぎが出てきます。
「一緒にお風呂に入りましょう」
「ええ、いいですよ」
 私は十匹のうさぎと伴に穴の中に入ります。
「いいお湯加減ですね」
「当り前ですよ。これが最後なのですから」
「どうしてですか」
「あなたはザリガニを食べた」
 十匹のうさぎが続けます。
「だから、もう戻れない」
「大丈夫ですよ、僕は帰り道を知っています」
 私はうさぎさん達に言ってあげます。
「電車に乗ればいいんです」
 赤い電車がホームに入って来ます。止まってからドアが開きます。ほら来たじゃないか、私は電車の中へ入ります。
「いらっしゃいませ。四階は赤ん坊売り場でございます」
 赤い靴がいっぱい並んでいます。
「じゃあ、この赤ん坊をください」
 真中に置いてある 赤い靴を指さします。
「これは売り切れでございます。隣りのならありますが」
「それでは少し大き過ぎます」
「そうですか。ではまたいらしてください」
「そうします」
 私は非常口から外へ出ます。プラットホームには青い蛇がのたうっています。今日は夜にちがいない。海へ行かなくてはいけない。

 目が覚めます。杉の木がいっぱい生えています。合間から三日月も見えています。私はくつを買わなくてはいけないんだ。

「運転手さん、海へやってください」
 車はでこぼこ道を走り出します。
「ここはさみしところですね」
「そうですか。かしこまりました」
 向こうの方ににぎやかな街の明りが見えて来ます。
「運転手さん、あなたはどこへ行くのですか」
「あなたの来た道です」
「それは困ります」
 車は小川に沿って走っています。川の底には壊れたタイヤや水道管が落ちています。看板も落ちています。このままでは大変なことになりそうです。
「街はどこへいったのでしょう」
「あなたの来た道です」
 そうか、川の中に落ちてしまったのか、私は眠くなります。
「降りてください」
 銀色のフナが耳許で囁いています。もう海の中なのだろうか。大きなダイヤモンドが床に散らばっています。
 御来光!
 穴の空いたタイヤが一斉に唱えます
 海の上から大きな赤い玉が沈んできます。まわりでは七匹のアヒルが歌を歌っています。
「三番目のアヒルを下さい」
「あなたもバカね。その答え方は間違っているわ

 照明灯が点々と並んでいる高速道路が見えてきます。車は一台もいない。
「この道をまっすぐに行けば山あいの村に着くのです」
 私は隣りにいる友人に話しています。
「車で行けばすぐかもしれません」
「私達は歩いている」
 男はそう答えてカミソリを取り出します。指を一本ずつ切り落とします。
「痛くはないですか」
 道路に指が三本落ちています。
「ええ、仕事ですから」
 車が一台やって来ます。私達の前で止まります。窓が開き、カエルが顔を出します。
「ガスタンクはどこですか」
 私は思い出せません。友達が口を開きます。
「トンネルの場所なら知っているが、ガスタンクは知らない」

 夜空に星がいくつも緑色に輝いています。星屑さえ見えそうな夜の話です。道路は延々と伸びています。どこまでも伸びています。
「山の向こうには何があるのでしょう」
「湖です」
「僕も一度行ってみたいものです」
 星屑が降ればそこに教会があります。その十字架を空に投げれば赤い雨が降って来ます。
「だから、あなたは戻れない」
 夕焼雲がきれいです。川には太陽も住んでいるでしょう。
「お墓はどの駅で降りたらよろしいのでしょうか」
 線路はくねって山あいに入ります。左手には大きなダムに川がそそぎ込んでいます。その水は異様に青く透明です。青い毒のようにも見えます。しばらく行けば駅につくでしょう。
「痛くはないのですか」
 自分の手をよく見ると指が一本足りません。急に痛みを感じます。早く戻らなければ僕はザリガニになってしまう。
 血が道路にしたたり虹のように広がってゆきます。
「きれいだね」
「そうよ、あの子が死んだら、もっときれいになるわよ」
 親子連れは私を指さします。
 私は恥しくなってゆきます。まわりには人がたくさん集まってきます。みな親子連れのようです。じろじろとこちらを見ています。
「早く死ねばいいのにね」
 男の子が言います。
「そうしたらきれいなお花が見れるのにね」
 女の子が言います。
「大丈夫よ。見てごらんなさい、今に他の指も腐っていくわ」
 母親が言います。子供達はうなずいています。
 指がだんだん腐ってゆきます。ぽとりぽとりと指が落ちてゆきます。その音は青いリンゴのようです。早く無くならないのだろうか。切り口からザリガニが生えてきます。紅い花を咲かせています。どこかで見た光景だ。白い犬もまわりで吠えています。五本の指を食べはじめます、なんとかしなくてはいけない。
 白い犬はザクロの木に変化してゆきます。ザクロの実からは白い鳩が飛び出してゆきます。一羽、二羽……、これではない。半分に欠けた月が耳許でささやきます。
「耳がくすぐったい」
「それは、高速道路のせいだわ」
 あなたは私に囁きます。変ですよ、空にはピンポン玉が何個も飛び廻っている。

 暗いホームに赤い電車が入って来ます。ガタンガタンと音を立てて入って来ます。蛍光灯が付いたり消えたりしている。

「これからどこへ行くの」
「さ、わからないわ」
 あなたは答えます。
 コンクリートの柱にはひびが入っています。割れ目からムカデが出て来ます。口からは汁をしたたらせている。なにかおかしい。
 隣りのホームに男の人が立っています。ホームからレールへ落ちてゆきます。電車が入ってくる。
「ここはどこなの」
「さあ、わからないわ」
 男の人は赤い電車に轢かれます。人形のように車輪に呑み込まれてゆきます。髪の毛が車輪にからみついている。
 電車の扉が左右に開きます。
 うさぎが死んでいます。血を流して死んでいます。うさぎさんはこんな所に隠れていたのか、僕は知らなかった。
「お乗りの方はお早く御乗車願います」
 構内アナウンスが聞えます。私達は電車の中へ入ります。後ろで扉の閉まる音がする。
「ようこそ、いらっしゃいました」
 金魚が口を開けています。私は尋ねます。
「この電車はどこへ行くのですか」
「電車?」
「そうです、僕は切符を持っています」
 私はポケットからくじらの肉を出して金魚に見せてあげます。金魚は腕をくんで首を横に振ります。
「これは使えません」
「どうして?」
「これは電車のキップです」
「そうなんですか、僕はちっとも知りませんでした」
 僕は何も知らないんだ。どうしたらいいのだろう。私はクジラの肉をかじりながら考えます。何がいけないのだろう。何かがとちれている。
「心配しないでください」
 金魚は頭のまわりをくるくると廻っています。
「この子ったら、ほんとに無器用で、私恥しいわ」
「大丈夫ですよ、奥さん」
 電車は走り出します。ホームでは女の人がムカデに愛されています。気持ち良さそうにムカデに愛されている。私は羨ましいと思います。
 電車は音もなく加速されてゆきます。外は真暗になってゆきます。電車の中には誰もいない、ガランとしている。
「この電車はどこへ行くのですか」
「さあ、私にはわかりません」
 金魚も消えてなくなります。腕時計を覗いてみると針がなく、文字盤だけです。電話もない。
 きっとこれは、トンネルの中なんだ、外には星が輝いている。海の音だってしている。牧師さんだっているにちがいない。
「いらっしゃい」
「電話は置いてありますか」
「はい、赤いのと黒いのがありますがどちらにしますか」
「赤いのにしてください」
 店員はトンネルの中から赤い電話を取り出し、ダイヤルをまわしています。ダイヤルはゆっくりと返ります。
「どこへ電話をしているんですか」
「お家です」
「お家ってどこですか」
「地下を走る電車の中です」
 そうか、やっぱりお家は電車の中なんだ。僕は間違っていなかったんだ。うさぎさんに教えてあげよう。
「デパートまでの切符を一枚」
「どのデパートですか」
「どのデパートって?」
「ほら、あるじゃないですか。三角とか縞馬とか富士の山とかカメレオンとか」
「そうですね。では、ナポレオンを一枚ください」
「色は何色ですか」
「はあ、赤にしてください」
「赤いピンポン玉は十三階ですね。ここにはありません」
 困った。
 私は売店を後にして歩きはじめます。どこへ行けば十三階に行けるのだろう。とても不安な気持ちです。
 先の方に四角い窓があります。私は真直ぐに歩いてゆきます。床はタイル張りになっている。つるつるとすべります。すべって頭を打ちつけます。
 とても痛い。血が流れてゆきます。溝に沿って排水口に流れてゆきます。見上げると立札がある、
《出血は別れの始まり》
 私は起き上ります。気をつけなくてはいけないと思います。
「僕は金魚になりたくない」
「それは君がまだ若いからだよ」
 男の人は煙草を吸いながら排水口の中へ入ってゆきます。
 私は窓の外を眺めています。外は良いお天気です。電車がお天とう様に向かって走っています。レールがないのにどうして空を走れるのだろう。ちょっとした疑問が浮かんでは消えてゆきます。
「君、そんな所から外を眺めてはいけないね」
 真赤な背広を着たおじさんがやってきます。
「立札を見なかったのか、君は」
 立札? 何が書いてあったのかよく思い出せない。
「とにかく、万引をしちゃいかんね」
「えっ?」
「盗んだものを出しなさい」
 私はポケットから人形を取り出します。
「この人形は私のなんだ。黙って持って行っては困りますね」
「どうもすみません」
 なぜあやまらなくてはいけないのだろう。人形はこちらを向いて笑っている。
「今後とも気をつけます」
 サイレンの音が鳴り出します。
 電気が消えてゆきます。非常灯のランプが赤く点滅している。もう帰る時間だ。赤いランプが明滅するコンクリートの廊下を歩きはじめます。廊下はどこまでもどこまでも続いています。若干右に曲がっているような気がするのは気のせいでしょうか。向かいから人がやって来る。
「新聞はいりませんか」
「一枚ください」
 私はポケットから人形を取り出します。この人形、さっきのおじさんによく似ている。
「これ、あげます」
「ありがとう」
 私は新聞を読みはじめます。不吉なことが書いてあります。七人の子供の会が倒産したそうです。741体のガラスボンベを残したまま。僕には関係のないことだけれど、なんだか気になるのはどうしてなのだろう。私はふたたび廊下を歩き続けます。 お金がおちている。
 手をのばしてひろおうとしいます。
「窓から飛び降りるなんて、なんていう子でしょう。こんなに血を流して」
「電車に飛び込んだわけじゃないから」
「腕もちぎれそうじゃないの」
 こんなに血を流して。これは僕のお金です。ただ拾おうとしただけなのですから、ほうっておいてください。
 赤い電車が目の前を走り抜けてゆきます。もう手遅れです。腕がなくなっている。 お金を握った手首がアスファルトの上にころがっています。赤いピンポン玉が飛び交っているのは何かの暗示かもしれません。
「あなたの手首が海辺に打ち上げられたということですよ」
「何かの勘違いでしょう」
「そうだといいのですが」
 あなたは不安そうに手首を眺めています。左手で持ち上げ斜め後方からじっと眺めています。そういう見方は不吉ですからやめてください。
「これ、やっぱり君の手首だよ」
「どうしてそう思うのですか」
「蛆がわいている」
「なるほど……」
 確かに磯の匂いがしています。        

(次号に続く)


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