平和記念碑と戦闘機
 昭和20年の戦争中にアメリカ軍が沖縄に上陸を受け、本土最南端にあった陸軍の航空学校が特攻基地となりました。それがこの地である知覧なのです。
各地から集められた20歳前後の兵隊さん達は二度と生きて帰ることのない激戦地沖縄へ飛び立っていきました。それから数ヶ月後に日本は敗戦・・・
彼らの死は一体何だったのでしょうか・・・


ここに特攻隊の兵隊さんがまつられています
この場所に敵に特攻をし亡くなった兵隊さん達がまつられています。私も手を合わせて拝んできました。
これとは別に左側にも戦争中に戦死した兵隊さん達をまつっている場所があります。その場所には昭和18年10月8日にフィリピン沖で戦死した私の祖父もまつられています。


三角兵舎
 この三角兵舎は特攻隊の宿舎で、敵の目を欺くために松林の中に半地下壕をを作り地上には三角の屋根しか見えない兵舎になっていました。
出撃の前夜にはこの三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌み交わしながら隊歌を歌い薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたためて戦地に赴いたのでした。


平和記念館
 この記念館には是非とも入って下さい。あまり気持ちの良い物ではありませんが戦争で犠牲になった兵隊さん達への今ある平和に感謝と供養のためにも見学して下さい。
中には特攻で戦死した数多い兵隊さん達の写真と遺書や最後の手紙が展示されています。これを読んで私は涙が出てしまいました。あまりにも悲しい現実がここにあり、20歳前後で死を覚悟して出撃した兵隊さん達の思いが心の中で何とも言えない悲しさを実感することが出来ます。その他には遺品や戦闘機が展示されており、エンジントラブルで海に不時着した戦闘機が戦後引き上げられ、その実物が展示されています。
見て回るのに1時間以上は掛かり遠方から見に来る価値がある場所です。


特攻平和記念館の入口
 特攻平和記念館の入口です。
春になると桜が満開になりとても綺麗な風景になるんでしょうね・・・


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