「飛鳥資料館」の館内に、山田寺の遺構についての部屋があります。
山田寺は、蘇我石川麻呂が649年謀反に問われ、孝徳天皇に兵を差し向けられたときに逃げ込んだところです。当時の寺はそういう場合、軍事拠点としても使われました。しかし石川麻呂は「天皇と戦うことはできない」とみずから命を絶ちます。当時の石川麻呂は、孝徳朝の重臣でした。その石川麻呂が懇意にしていた寺なので、立派なものだったでしょう。
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山田寺の回廊の一部です。寺のだいたいの構造としては、本堂・塔の周りを回廊が囲んでいました。回廊は壁付き屋根付きの高級渡り廊下ですね。 焦げ茶色の窓枠とスリットが実際に発掘されたもの。樹脂で保存加工してあります。その周りは支えるための枠です。 |
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上の回廊の屋根にも、こういう瓦が使われていたのでしょう。瓦はじつは重要な発掘品で、瓦の様式によっていつごろの建物かもわかるそう。 |