2004-06-20 | |
(作品は、ほるぷ出版による) ![]() 『道草』は漱石の自伝的要素の強い小説とされている。
|
|
主な登場人物とバックグランド: ◇主人公健三とその細君 |
|
「道草」という題の意味について: 年の暮れが迫ったある日、幼い時に養父母として育ててくれた島田が、これを最後の無心として代理人をよこした。 困るからどうにかして欲しいと素直にお願いするのなら、昔の情義上少しの工面はしてあげると返事をし、帰した後、再び書斎に入り、半紙の山を綿密に読み通す作業に戻ったが、ペンを放り出し、寒い往来に飛び出した。 人通りの少ない町を歩いて、彼は、自分のことばかり考えた。 そこで記されている次のような文章。 「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ」 彼の頭のどこかでこういう質問を彼に掛けるものがあった。 彼はそれに答えたくなかった。 なるべく返事を避けようとした。 するとその声がなお彼を追窮し始めた。 何遍でも同じ事を繰り返してやめなかった。 彼は最後に叫んだ。 「分らない」 その声は忽ち(たちまち)せせら笑った。 生きるということは、誰もがこの作品で描かれているような道草を食っていることなのである。 という解説(桶谷秀昭)になるほどと納得。 |
余談: 『道草』の背景画に何の花を持ってこようかと考えたら、やはり六月の花としてはアジサイが似合う。アジサイの中では、この頃ガクアジサイの良さをちょっぴり感じられるようになった。 |
|