開高健著『輝ける闇』






                 
2011-09-25

(作品は、開高健著 「輝ける闇」  新潮社による)

         

 本書 1987年(平成 )7月刊行。

 開高健(たけし):

 1930年(昭和5年)大阪市生まれ。「寿屋」(現サントリー)宣伝部に勤務中の1957年「裸の王様」で芥川賞を受賞。小説以外にもルポ、エッセイを多数執筆。趣味人で釣り名人、美食家としても知られた。代表作に、小説「パニック」、「巨人と玩具」、「輝ける闇」、ノンフィクション「ベトナム戦記」、「オーバ!」等がある。
 1989年12月、食道癌に肺炎を併発し逝去。享年58歳。

◇  物語の展開: 図書館の紹介文より

  ヴェトナムの戦場を肌で感じ生と死の異相を鋭く凝視した『輝ける闇』。

◇  主な登場人物: 

日本人の従軍記者であり小説家。

ウェイン大尉
・ヘインズ伍長
・バーシー軍医
・キェム大佐
(ベトナム人司令官)

ウェイン大尉にダナンの近くにある河港、フェイフォの町はずれで出会う。《魔法の魚の水》作戦を展開中。
温厚、慎重で忍耐力に満ちた人物、両替にも闇をしたことがない「こんな脆弱な国だから、私が闇をしたらたちまち潰れちまうかもしれん」と言った男が、変わってしまった。

チャンと素娥

ベトナム人の兄妹。
チャン:山田氏が雇う助手のベトナム人。サイゴン支局に出入りして通訳兼助手として働いている。私は彼から情報を聞いたり、地元の新聞記事を訳したりしたもらったりする。彼は情報はいくらでも見せるが、決して自分を見せたことがない。そして彼に徴兵令状が届く。
素娥は太板(タイパン)が雇っているチャンの妹。客を取る。

山田氏

日本新聞社の香港支局から来る。私を臨時特派員として雇ってくれる。

◇  読後感: 

 読むきっかけは角田光代のエッセイ 「いつも旅のなか」 に “Rさんのこと” としてベトナムに関する話の中に本作品のことが記載されていたのと、サンフランシスコでタクシー運転手をしていて、毎年3ヶ月ベトナムに来て海辺で何をするでもなく好きな音楽を聴いて本を読み日々やり過ごすというRさん (ベトナム戦争に従事した) のコアに関することがどうも気になって。

 本作品を読む内に、何とはなく惹きつけられて最後まで読んでしまったという感じ。
 ところどころに胸にズシンと来る描写が出てきて離さない。
 従軍記者としてそして小説家でもある記者のベトナムでの生活模様は、何かのほほんとした様子であったが、顔なじみになり、親しくなった友人の死を知り、ついに前線に付いていく決意をし、死と直面する思いをする最後の場面。

 ウェイン大尉から普通の日本人はこの戦争をどう見ているかとの問いに 「ベトナム戦争はフェアでない」 と周囲の意見を伝えると 「自由は失ってからはじめて貴重さがわかるんです」 といいながら 「考えなければいけないな」 とうなだれる。 ウェイン大尉もキェム大佐の命令に逆らえない苦渋に悩みながらの姿も切ない。
 
 ベトナム戦争の戦闘場面はごく一部しか描かれてなく、残酷なシーンはほとんどないけれど前線での生活模様や会話にその場の雰囲気が伝わってきて、悲惨さがうかがい知れる。
 ・チャンに徴兵令が届いてチャンが 「誰も殺したくないんだ、ぼく」 といって指を落とす。
 ・若い青年が二人、処刑される時の様子。
 ・ウェイン大尉と老人の語る話。まるで「白鯨」の船長エイハブの末裔ではないかと。
 ・虚栄心の強い私が14歳の時、戦争が終わって貧しかった頃の学校で昼食時教室を抜け出して水を呑んで戻り、あるとき友人が新聞紙にくるんだパンが突っ込んであって 「気にしないで食べてくれ」 と言われた時の絶望感など
 「いつも旅のなか」(角田光代著)の “Rさんのこと” の一部でも感じられたようである。

◇  印象に残る表現:

・カービン銃を手にして銃眼からゴム林を覗く。

 細い銃身は強靱であり、どんな内部の爆圧にも平気で耐えられそうである。 引き金はしなやかで、柔らかく、快い抵抗が指の肉に食い込んできた。 もう一ミリ力をかければ弾丸が疾走するにちがいない。 ・・・・
 私はただ引き金をひいてみたかった。 満々たる精力をひそめながらなにげない顔をしているこの寡黙な道具を私は使ってみたかった。 憎しみからでもなく、信念からでもなく、自衛のためでもなく、私はらくらくと引き金をひいてかなたの人物を倒せそうであった。 100メートルか150メートルくらいのものである。 たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形とおなじに見えてくる。  渇望がぴくぴくうごいた。 面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだ。 たった100メートル離れただけでピールの缶でもあけるように私は引き金がひけそうだ。 それは人殺しではない。 それはぜったい罪ではなく、罰もうけない。とつぜん確信があった。 かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。 この道具は虚弱だ。 殺人罪すら犯せぬ。

・食事を取りながら山田氏たちとの話で 「前線でいちばんイヤなの何だね?」 

「弾丸でこわいのは跳弾といって、何かにあたってはねたやつですよ。 一直線にくるやつは弾丸の直径の穴をあけるが、跳弾はくるくる回転しつつとびついてきますからな。 とてつもない大穴をあける。 一発で腹をひっかきまわしてぐしゃぐしゃにしちまうんです。 はらわたがドサッと一度におちてしまうことがある。腹のなかにはたいへんな圧力があるから、皮膚と腹膜を裂かれたらなだれおちるんだ」

   
余談:

 たまたまこの作品の原稿作成では、「大菩薩峠ーその4」 の原稿を背景に選んでしまった。 作成したのが2004年11月であった。 ほぼ7年前である。最近の原稿とは少し違っているみたいだが、当時も結構色々考え、工夫して作っていたのだなあと感慨にふける。 そして「大菩薩峠」は中でも最長編物ではなかったかと。 よく読んだものである。そういえば、大菩薩峠に仲間と行ったことがなつかしまれる。
 

            背景画はベトナム周辺地図。                

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