石川達三著 『風にそよぐ葦』、『蒼氓』



                   
2006-10-25

(作品は、石川達三著 『風にそよぐ葦』(上)(下)毎日新聞社 および 芥川賞全集 第一巻中の『蒼氓』文藝春秋による。)

           

          

『風にそよぐ葦』は1999年9月発行。
『蒼氓(そうぼう)』は昭和10年(1935年)8月、第一回芥川賞受賞作品。

 石川達三は、1905年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部中退。1935年「蒼氓」により第一回芥川賞受賞。戦後の新聞連載で話題を呼んだ「風にそよぐ葦」「人間の壁」の社会的な問題意識をはらむ文学に独自の領域を開く代表作。1985年没。

物語の概要:

「風にそよぐ葦」は、太平洋戦争終盤の時代を背景にして、ある出版社の戦中から戦後にかけて、時代の風圧に抗して生きた姿を、その出版社を経営する一族とその周辺の人々の動きを通して描いた社会小説である。
 戦争によって家族のこと、夫婦のこと、恋人達の引き裂かれた人生模様、戦争の機会をうまく利用して個人の利益を確保し、うまく立ち回ってきた人間たちを描きつつ、どういうことが起きてきたかを振り返って知らされた感である。

「蒼氓(そうぼう)」は、1930年(昭和5年)3月8日、ブラジル移民を希望して、神戸にある「国立海外移民収容所」に集まった家族の赤裸々な人間模様が展開し、そして1週間経ち、900余人の農民達が船で出発していくさまが綴られる。
 物語に綴られる状況からは、当時の家族の生活状況、時代の状況が読者の目の前に映し出される。落葉の集まりから、ブラジルで芽が出ることを期待する虐げられた農民百姓の思いがぶつけられる。


「風にそよぐ葦」の主な登場人物 

葦沢悠平とその家族

新評論社の社長。特高警察から共産主義のシンパと睨まれている。従業員の記者が何人も留置場に拘留される<横浜事件>。
妻 茂子(旧姓清原 清原節雄の妹)
長男 泰介(広瀬軍曹に蹴倒され、それが元で胸を患い死亡。)
泰介の妻榕子(ようこ) 夫泰介が亡くなってからは実家(児玉家)に戻る。広瀬に復讐の念を抱いている。
次男 邦雄 2年前、学生から飛行将校になり、戦場におもむく。

児玉博士とその家族

病院を経営。何事にも穏やかな人間。
妻 咲子、家族の不幸に、しだいに病んでしまう。
長男 知彦戦死。次男も戦死。
姉 榕子 葦沢泰介亡き後、児玉病院の薬剤師をしている。
妹 有美子 葦沢邦雄と恋仲。しかし邦雄は軍隊に入ってから気持ちが変化し、愛の精算を考えている。

清原節雄 外交評論家。葦沢悠平の親友。亡国の悲運から国民を救うためには、まず東条総理大臣を追放するしか道はないと立ち上がる一介の文筆の徒。
広瀬充次郎

東印刷会社の社長。軍隊にいた時、自分の班に注意人物として、上から目を付けられていた葦沢康介が入隊してき、厳しくしごいた。
東京大空襲の夜、焼ける町の火をを見ながら、杉山を買い占めて大儲けを企む。

宇留木武雄 同盟通信社新聞記者。葦沢泰介の友達。従軍中、広瀬軍曹と葦沢泰介との事件を目の当たりにしている。泰介の死後、榕子に思いを抱いている。
後、榕子と結婚。満州に出張で出掛け、敗戦に巻き込まれ、シベリアに抑留されてしまう。



読後感:
  宮本輝がエッセイ「命の器」の中で、小説家になる前に読んだ、十冊の文庫本の中の一册に石川達三の「蒼氓」が記されていた。この「風にそよぐ葦」の時代は終戦前後のことであるが、宮本輝の「泥の河」も終戦直後の大阪の北の模様が描かれていたが、文章から受ける調子が異なっているのが興味深い。石川達三の調子は、渇いてさらっとした感触、一歩下がって客観的に見ているのに対し、宮本輝の調子からは、泥っとして体にまとわりつくような感触、自分がその人物になりきっていると感じられるのはどうしたものか。文章を書くということの難しさ、表現の難しさを体験した。


印象に残る場面

新評論社社長と争議団(共産党の指導入る)との交渉で、悠平は会社の一時閉鎖を宣言し、対立、組合側が継続して雑誌を発行しようとしても原稿が集まらないことに対し、

「彼等は同じ共産主義を信じている同志でありながら、記者たちを信じていないのだ。彼等が刊行するという雑誌を信じていないのだ。主義の異なる悠平が社長として雑誌を主宰していたときは、喜んで寄稿してくれた左翼の評論家たちが、争議団の雑誌には寄稿を断るというのだ。

 そこに、人間の善意、人間の真実さを求めようとする、本質的な欲求があるのではなかろうか。主義よりも強く思想よりもふかいところで、人間と人間とがじかに心の肌をふれあうことのできる、何よりも一番正直で素朴な信頼を求めているのではなかろうか。学者たちはみな新円生活の窮屈さにあえいでいる。しかもその収入をすてて寄稿を拒むという。その拒否こそ、人間に残された最後の自由なる意志であるにちがいない。この拒否こそは、最後まで奪われることのない自由の表現ではなかろうか。」


宇留木武雄の榕子に対して告白する言葉

「・・・僕のいま居るアパートは家族ものが多くて、子供が騒いだりおかみさんが叱りつけたり、なかなか賑(にぎ)やかなんです。うるさい連中だなあと思って、僕は碌々つきあいもしないで居たんですが、よく考えてみると、あのうるさい煩雑な日常のなかに人生というものの姿があるんですね。親子夫婦がからみ合って、わめいたり怒ったりしていながら、そのがんじからめの中に人生があったんですよ。結局人生というのは人間と人間とのつながりですね。一人つきりの人生なんていうものはないんです。

 いまのような時代になって来て、何ひとつ本当に心を打ちこんでやれるものがないということになると、そんなものは一切空白なものに思われて来ますね。残るものは唯一つ、自分の人生がどのような愛情に支えられているかという、それだけになって来ます。

 愛情関係こそ本質なんです。民衆の幸福はその第一条件が、安定した愛情生活ということなんです。その条件に矛盾したことを要求する国家は、それは民衆の希望するような国家ではありませんよ。」

  

余談:

 時代背景を知るという意味では、最近読んだ半藤一利著「昭和史」(潮文社編集部編)が参考になった。この本は、数人の学生向けに寺子屋式に15回の講義をしたものを一冊の本に纏めたもので、読みやすく、特に昭和時代のものは殆ど知らなかったり、断片的にしか知らなかったので、大変参考になった。

背景画は江戸東京博物館「東京空襲60年犠牲者の軌跡」パンフフォトを利用。

                    

                          

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