井上靖著  『猟銃』、『闘牛』
 

                   
2006-12-25

(作品は、井上靖著 『猟銃・闘牛』 井上靖小説全集第1巻 新潮社による。)

       

「猟銃」は、昭和24年10月、雑誌「文学界」に発表、第1作目の作品。
「闘牛」は、昭和24年12月、雑誌「文学界」に発表の第二作目で、第22回芥川賞受賞作品である。

2作品にまつわる芥川賞について

 この2作品は昭和23年下期の芥川賞選考委員会で候補に上がり、井上靖作品が決まることにはすんなりと決まったが、何れの作品とするかに議論があった。
結果的には、「闘牛」が多数であった。解説にあるその評価は興味深いものだった。
以下にその抜粋を示す。(解説より)

佐藤春夫:
 年若な読者でない限り「猟銃」は誰しもあまり好まない作品。「猟銃」をいいと思う読者は多分時代感覚はあるのであろう。その代わりにはきっと文学的教養、もしくはセンスの乏しい人に違いない。
井上は腕達者で作風も常識的ではあるが、すれっからしの下劣なものの無いのがよい。作者の人柄であろう。

石川達三:
 猟銃の欠点はかなりはっきりしているし、各選者の間でも同じような欠点が指摘されていた。なかなか巧みな技巧のある人で、小説を面白く構成していく技術を持っている。

舟橋聖一:
「猟銃」を推す。
 日本文芸家協会で編纂している「創作代表選集」には、「猟銃」が高点の得票を得、「闘牛」は「現代小説代表選集」の方に、高点が集まった。
「闘牛」の方には、取り立てて、欠点がない。その代わり、月並みである。

丹羽文雄:
「猟銃」を推す。
「闘牛」の推薦は一番無難。井上君の実力は「闘牛」に十二分にあらわれている。第二作のこれを読んだ時、正直なところ私は何の驚異も覚えなかった。もし「闘牛」をはじめに発表して、第二作として「猟銃」を発表してくれたら、もっとびっくりしただろう。

川端康成:
「闘牛」・・・うまさという点では図抜けていた。「猟銃」は「闘牛」を選ぶ支えにはなっていた。この練達の作者には計算の狂いがない。実に面白い作品だが、幾度かくりかえして読めるだろうか。詩精神が乾いてはいないだろうか。

読後感:

「猟銃」の方がおもしろい。筋の運び、謎解き、夫婦の間の心理の綾、感情、愛人と三杉の間の愛情、娘の立場での感情が読者に響いてくる。身近な問題として理解出来る。一方、「闘牛」は自分自身が“闘牛”という賭け事に興味がないテーマであるせいか、身近な世界になってこないことが一番。ただ、最後にきて、勝負を決める場面にきて、さき子が津上とのことにけじめをつけようとするところで、一段とぐっと来る物を感じた。


「猟銃」に関して

「人間は誰も身体の中に一匹ずつ蛇を持っている」。果たして三杉、みどり、彩子の蛇はどんなものだったのか?
 三杉穣介に宛てられた三通の手紙が、三杉穣介から私に送られてくる。私が三杉という人物のかかわりは、私が雑誌「猟銃」に投稿した詩の題材となった男の姿が、実は三杉なる人物であったことによる。
三杉からの手紙を読み進んでいると、出てくる人物の関係がよく分からず、あれっ?という感じであった。先のあすなろ物語の解説にあった作品の紹介を見て分かった。
薔子(しょうこ)から見た呼び名による。
おじさま(三杉穣介) みどりと世間体は夫婦。
みどりおばさま 三杉穣介の妻。
お母さま(彩子) おじさま(=三杉穣介)の隠れ愛人。
夫門田礼一朗とは、夫の過失により別れ、娘と二人暮らし。
薔子(しょうこ) 彩子の子。おじさま、おばさまと慕っている。

 しかし、関係が分かって読み出すと、推理小説もどきというか、ぐんぐん引きつけられていく。疑問に対する興味と、女性とは、夫婦とは、なんと恐ろしいものか。
表現力といい、井上靖の小説家として出発した処女作であることに末恐ろしさを感じる。
 好きな作家にまた出会えた。

印象に残る場面:

◇彩子の手紙より 三杉が彩子に言った言葉
 「みどりを一生二人で騙してくれないか」

◇みどりの手紙
・十三年前、熱海で思い出の羽織を着ている彩子と三杉の姿をみどりが見て知っていて、みどりが最後に見舞いに行った時に彩子に言う言葉

 「いいの、私、何とも思っていませんの、改めてお上げしますわ、あの人」 

・みどりが三杉に手紙でいう言葉

 「熱した鉄片が冷却するように、貴方が冷たくおなりになると、更に私が冷たくなり、私が冷たくなると、更に貴方の方が輪をかけて冷たくなるといった具合で、今日のように見事な、睫が凍った時のあの感触の、ひいやりとした家庭が出来上がりました。」

 
 「私は見るともなしに、硝子に映っている貴方の動作に眼を遣って居りました。銃身をきれいに拭き終わり、これもきれいに磨き上げた遊底をはめ込むと、貴方は二、三回銃を上げ降ろしして、肩に構える恰好をなさっていましたが、そのうちにぴたりと、銃が肩に構えられたまま動かなくなったと思うと、貴方は片眼を軽くつぶって照準なさつているのでした。ふと気付いてみると、銃身ははっきりと私の背に向かっております。私をお撃ちになる氣かしら。・・・・・・

 しかし、引金の音はいつまで経っても響きませんでした。・・・もし貴方が引金をお引きになったら、私の不貞をお許しにならなかったら、憎悪をはっきりと私の心臓の中に打ち込みなさったら、―――私は、案外、率直に貴方の胸に倒れ込んだかも知れないのです。」

  

余談:
「猟銃」に出てくるみどりのような女を妻にもった夫には同情を禁じ得ない。

                    

                          

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