井上靖著 『星と祭』、『欅の木』



                 
2007-09-25

(作品は、井上靖全集第20巻  『星と祭』、『欅の木』 文藝春秋による。)

             

◇星と祭:
 昭和46年(1971)5月11日より昭和47(1972)4月10日までの朝日新聞朝刊に三浦綾子「氷点」に続く新聞小説として333回に渡って連載。

◇欅の木:
 昭和45年(1970)1月1日より8月10日までの日本経済新聞朝刊に新聞小説として224回に渡って連載。

平成8年(1996)12月井上靖全集第20巻刊行

星と祭り

物語の概要:
 琵琶湖でのボート事故という若い命を失った二人の父親が、遺体も上がらずじまいで7年という年月を経る間に、次第に見方、考え方が変わってきてお互いを理解できるようになってくる、生と死、命の大切さを考えさせる物語。

 ◆主な登場人物:

架山洪太郎 中堅の貿易会社社長。みはるのことが気になって悩む。
時花貞代 架山の先妻、性格の違いから離婚。フランス刺繍の仕事で生計を立て、次第に世間に認められるようになる。
時花みはる 先妻の貞代との間に出来た娘。みはるは架山の母が手放さず、加山が冬枝と結婚した時、みはるを連れて郷里(伊豆の山村)の家に別居。母親が亡くなった後、生母の貞代に引き取られる。ボート転覆という突発事故によって、琵琶湖で亡くなる。17歳であった。
架山冬枝 架山の後妻。架山は貞代と離婚1年後、冬枝を迎える。
架山光子 みはるとは4歳下。みはるとは仲良し姉妹であったが、みはるが貞代に引き取られてからは、音信不足がちとなる。
大三浦老 一人息子(21歳)と架山の娘みはるの二人、ボート転覆事故で亡くす。その後は仕事の時間を裂いて琵琶湖畔にある十一面観音拝みに熱中する。
佐和山 貸ボート屋の主人。事故後、ボート貸家を止め、民宿のみ営む。
読後感

 架山にとって、大三浦は自分の娘みはるが年端もいかぬのに、大学生である大三浦の息子によって殺されたという思いがある。従って、相手の大学生を許す氣になれないし、ましてや息子が以前自殺をほのめかしたことがあるような話を聞くと、とても大三浦が二人のために葬儀を一緒にやろうとか、弔おうなどということにちょっと待てよと言いたくなるのは無理からぬ事。どうも大三浦と行動を共にする気になれないでいる。そして、その言動に反感を抱いてしまうのも無理からぬことである。

 そして二人とも遺体が上がらぬまま、7年という年月が経っても、大三浦は相変わらず、二人の供養のためと、十一面観音菩薩を尋ね歩いて拝ませて貰い続けている。
 その間、架山の方は、湖に近づくことも避けていたが、徐々に事故を受け入れられるようになる。

 二人の父親が、自分の子供の若い年頃で、突風によるボート転覆事故で亡くし、遺体も上がらず7年という年月を苦しみながら過ごす姿が語られている。立場と、対応する方法は違うけれど、十一面観音を拝み、さらに架山はヒマラヤの観月旅行を経験することで考え方、見方が変わってきて、大三浦の事を理解できるようになってくる。そんな死というものに対する心の移り変わりが理解でき、考えさせられる作品であった。

欅の木
◆物語の概要:
 中堅の建設会社社長の潮田旗一郎、新聞のコラムを引き受け、日頃思うところを書いている。でも中には記事に批判的な人もいて、傷つくこともある。そんな中記事にお礼を言いに来たケヤキ老人と付き合うことに。
 後書きに作者の言葉として、「私も明けると63歳の春を迎えます。まさしく老境にはいっているわけですが、静かに老いの感懐を綴るような落ち着いた心境にはありません。時代が烈しく揺れ、烈しく移り変わりつつあるからでしょうか。私がいま一番強く感じているのは、この時代に対して私なりに発言したい意欲です」とある。
 
◆主な登場人物:

潮田旗一郎 57歳、新聞のコラムを引き受け、日頃思うところのことを書いている。何回か掲載しているが、新聞社の竹村からは好評と言われている。しかしあるとき、旗一郎の意見に真っ向から反発しているある雑誌社の記事を眼にして、おおいに反発する。
妻 光子 旗一郎と対等に話をまじわす、機転も利き、主張もする賢母。旗一郎とのやり取りはなかなか面白い。
新聞記者竹村 旗一郎のエッセイの編集を担当する若い青年。
けやき老人 「けやきの木を切るな」という新聞のコラムの随筆を見て、旗一郎を尋ねてきた欅のことに関して情熱を燃やしている老人。

読後感:
 
著者の後書きにもあるように、現在(当時でもいまでもあまり変わっているとは思えないが)の世間の吹聴に対して、著者の言いたいことが言われているという感じ。意見の違いは多少あるが、感じるところはよく似た所が多いので、読んでいて痛快である。
 また、旗一郎と妻光子のやり取りは誠に微笑ましいやら、おかしいやら、こんな所も読んでいて楽しい。

きらりと光るところ:
「ゆるさざる心」という題の島木赤彦なる詩人の随筆。伊藤左千夫に師事、しかし“左千夫の予の歌をゆるさざること久し”の書き出しで、自分の歌をいつまで経っても認めたてくれなかったこと。そして、自分が腹痛で左千夫の叱責に充分申し開きできなかったその後間もなく、左千夫の死を知る。同じくもう一人正岡子規門下の長塚節が、自分の歌のことについては見向きもしてくれなかったこと。 
 この歌の世界の厳しいこと、人生に対する厳しさを知り、旗一郎がただやたらと人を許し、人からも許されてきたことに衝撃を受ける旗一郎。何か人生における大切なことを考えさせられたとあるのには、自分も考えさせられた。
 伊藤左千夫、長塚節のことについては、以前藤沢周平著『白い瓶』、長塚節の『土』を読んでいたので、なおさら身近に感じられた。


余談:
 井上靖作品は直木賞受賞裏話にもあるように、物書きとしての技量は全員に認められていた如く、どの作品も読むに好ましいもので、読む作品を思いつかない時には、井上靖作品を選べば間違いないと思う。
 

                    

                          

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