倫理の自習課題から

 

 もう十年も前になってしまったが、高校三年生が「どうしても社会を選択させなければならない」「しかし、受験に社会は使わない」という生徒諸君のために、「受験は目標にしない倫理」という科目を置いていた。これぞ、私にとっては道楽の時間みたいなものだったのだが、今はそんな科目は無い。本当は、「倫理」に限らず「哲学」の時間というものが、私は本当はとても必要だと思っているのだけど、そんな事は言うだけ無駄・・・というのが現在の「学校」である。

 さて、そんな倫理を担当していた年に、高校2年の研修旅行引率で一週間ほど留守にする事になった。そこで、「課題」という奴を作ってでかけた。倫理という科目のテーマ性をどこに求めるか、という事もあるのだが、この頃はこんな課題を出すと、面白がってやってくれる生徒諸君がいた。今だとどうだろうなぁ。もちろん、一年も私の道楽的な授業につきあっている中での事ではあるのだが。

 

 

 

課題@  正義は存在するか

 2002/11/6

 

次の文を読んで、「正義は存在するか」について、あなたの考えを述べなさい。(15行以上、できるだけ根拠を示して書くこと。) 

 

太郎 「なあ、ロシアのテロ事件はひどい結末だったな。120人も死んだらしいぞ」

次郎 「確かに悲惨だったな。でも、あの程度の事で驚くことはないさ。だって、毎日、一万人以上の子どもがたいしたこともない病気などで死んでいるそうじゃないか。毎日、戦場で死ぬ子どもだって、120人なんて数ではきかないぜ。」

太郎 「だけど、それは戦争の話だろう。ロシアの事件は『普通の市民』が死んだ事件だろう。それは一緒にはできないよ。」

次郎 「バカを言うなよ。飢餓で死んでいる子どもは『普通の市民』ではないとでも言うのかね。それに、ロシアが制圧したチェチェンでは、もっとたくさんの人たちが抑圧されて殺されているんじゃないかね。俺はああいうやり方はダメだと思うけども、テロに正義がないのと同じく、鎮圧したロシアにも正義なんてないと思うよ。」

太郎 「確かにロシアはチェチェンでたくさんの人を殺し、抑圧しているのかもしれない。だけど、やはりテロを認めないという点では、ロシアに正義があったんじゃないのかね。」

次郎 「そういう考えがおかしいんだ。国家によるものだって立派なテロだよ。北朝鮮がやったとされるラングーン事件なんてその最たる物だろう。拉致だって、殺しはしなかったとしても、人生を奪うのだから同じ様なものだ。だけど、アメリカが各地でやってきた戦争や介入も同じだ。イスラエルがやっているパレスチナへの行動なんて侵略じゃないか。」

太郎  「でも、そんな事を言っていると、国際政治には結局は正義はない、という事になるのではないかい。俺は、やはり国家関係にも正義があるし、国際政治にも正義が、たとえその時々のものであってもあると思うよ。」

次郎 「いや、それがおかしいのだ。勧善懲悪みたいに、正義の国家が悪の国家を裁くなんてあり得ないさ」

太郎 「そこまで言うかい。だって、ファシズムとの戦争に連合国が勝利しなかったら、戦後に世界の平和も自由もなかったんじゃないか。やっばり、正義は存在すると思うよ。」

次郎 「そうだろうか、俺には正義とは結局はその時々の、『自国の利益』をきれいに主張しているだけのものに見えるんだがねぇ」

 

 

課題A 人間にとって理想とされる社会とは??

2002/11/8

 

次の文を読んで、「21世紀に人間にとって理想とされる社会はどのようなものだろうか」について、あなたの考えを書きなさい。

 

一郎 「昨日は11月7日だから、ロシア革命の記念日だったね。」

次郎 「ああ、そうだね。でも、もはや社会主義でもあるまいし、何を言っているんだい。ソ連も崩壊したし、社会主義なんて時代おくれだぜ。資本主義がすでに最終的に勝利したことはあきらかだろう。」

一郎 「何を言っているんだ。確かにソ連のゆがんだやり方で、国家としての社会主義はつぶれたさ。だが、20世紀をふりかえると、『平和と自由とパン』を求めた社会主義の思想や運動をぬきには考えられないではないか。社会権(生存権)、反ファシズムなどの考え方も社会主義なしには生まれてこなかった。20世紀の初め、世界は帝国主義の支配にあえいでいたが、今や植民地は基本的に一掃された。この変化も社会主義の思想と運動なしには考えられないではないか。」

次郎 「確かに20世紀にはそういう時代もあっただろうさ。だが、もともと社会主義というのはユートピア(理想)をおいかけすぎたんだ。人間がマルクスやレーニンの言うように『どのような暴力も強制もなく共同で生きられる社会』を作ったり、『各人の自由な発展が全体の発展の条件であるような社会』を作るなんてありえないね。そしてそのきれいごとの一方で、独裁と恐怖政治が行われた。やはり、人間の進歩は市場での『自由競争』によってこそ成し遂げられるものだ。」

一郎 「そうだろうか。君の言う自由競争は、結局は『強い国・資本』のむきだしの支配を世界にもたらすだけだ。実際、この十年でアメリカでも、世界でも貧富の格差は拡大している。それがテロを容認する雰囲気にもつながる。環境問題を考えても、市場経済万能の資本主義では行き詰まっているではないか。」

次郎 「確かに問題はたくさんある。だが、ホッブズが言うように人間はやはり他人を支配して自分だけは自由でいたい動物なんだ。滅びるものは滅び、強い者が生き残ることが、残念だが人間の進歩のためにもかかせない。」

一郎 「冗談じゃない。人間の歴史の中では、原始共同体のすべての人が平等だった時代が一番長いんだぞ。今の日本は自殺で三万人も死んでいる。こんな狂った社会は、やがて克服できるに違いないんだ。」

次郎 「君もいつまでもユートピアが好きだねぇ。ま、そのうち現実がわかるさ」

 

 

課題B 本当の私を生きるとは??

2002/11/9

次の文を読んで、「私にとって本当の自分を生きるとはどのようなことか」についてあなたの考えを書きなさい。

 

次郎 「おい、またビデオを借りてきたのか。なんだ、まだエヴァかよ。」

太郎 「うん。ちょっと第六話を見直したくなってな。これを見ていると、『自分と他人とのかかわりにはどんな意味があるのだろうか』という事を落ち着いて考えられるんだ」
太郎 「まったくお前はオタクだなぁ。第一、自分という人間は客観的な存在としてそこにあるんじゃないのか。つまり君の場合は、長男で受験生のくせにアニメばかり見て居て、浪人しそうだ、というのが客観的な存在だろ。もう少し言えば、君はこの世界で日本という国に生きていて、今、この時にもアフガンでは飢餓や戦争で子どもが死んでいるというのに何もしないで、アニメを見て『自分の意味』なんてことをほざいているんだ。」

太郎 「おいおい、ひどい物の言い方だな。君だって日本に生きているのだから、客観的には似たようなものではないか。それに君の言うのはあくまでも『外から見た』『客観的な見方』にすぎない。でももっと大切なのは、『私にとって自分として生きるとはどんなことか』という問題ではないのかね。」

次郎 「自分として生きる、だって??そんなものは、今を生きていることによって結果責任として問われているものだ。だから自らが社会にアンガジュ(参加)するという姿勢を持つことでしか、自分という人間を何者かにすることは、決してできない」
太郎 「いや、私の言うのはそんなことじゃあないんだ。人類のためとか、社会のためとかと君は言うんだろうけど、そんなものは僕にはむなしいんだ。自分が他人や社会の求めるものに振り回され、人にあわせる事で生きていくことで、かえって自分という人間が見えなくなってしまう。私という人間はいったい何なのか、これをもう一度、考え直したいだけだよ。」

次郎 「そんな事を言っている間に、時間はどんどんすぎてしまうぞ。ハイデッガーじゃないけど、『死はあらゆる瞬間に可能的』なんだ。君はそんな事では何者にもなれないね」

太郎 「ちょっと待ってくれよ。私は人類という見えないもののためではなくて、自分と自分にかかわる人たちの関係を、つまり『交わり』もう一度見つめ直して、自分の姿をもう一度求めたいと思うな。そのための『エヴァ』なんだ…。」

次郎 「いやはや、やっぱり君は根っからのオタクなんだ、という事だけはわかったよ」

 

C 以下はコメントのために資料として考えた事・・・

 

*倫理 課題 解題 ・・・コメントとして

 

1.「正義は存在するか」

@「相対的に物事をとらえる」ことと「相対主義」との違い

「法と正義」の視点を持つ

国際関係における「正義」

相対主義は思考の放棄に他ならない

A「勝てば官軍、負ければ賊軍」をどう見るか

  ex・ヒトラーに「正義」はあったか

日本の「大東亜共栄圏」は「正義」たりうるものだったか

では「十字軍」はどうだったか

テロリズムの「大義」に「正義」はあるのか  「テロリスト」とは??

「悪の枢軸」とアメリカの「正義」

B何をもって正義の基準となすべきか??

歴史の発展と「普遍的な価値」

人間にとっての正義 

自然と人間 生態系における諸問題と社会体制〜「もののけ姫」をどうみるか

 

2.「21世紀に理想とされる社会」

@「社会主義」は終わったのか

ブラジル大統領選挙が示したもの

「思想」「運動」「体制」の区別 〜社会主義を客観的に見る視点

A「資本主義」は「成功」しているのか

貧富の格差拡大 〜 グローバリゼーション アメリカ 日本 途上国etc

地球環境と経済 「持続可能な発展」という目標と現実

「カジノ資本主義」の拡大 資本主義とカルバニズムはカルト教団か?

B「人類」という言葉のあやうさと可能性

単一の「人類」は存在するか??

「人類」を形成され・発展してきた観念としてとらえる

 

3.「本当の私を生きるとは」

@「人生は固定的か可変的か」という問題

「うそのわたし」というものは客観的には存在しない

「意思の自由」はいかなる時も可能的である

A「わたし」という人間をどう引き受けて生きるか

わたし という人間のもつ「社会性」「時代性」をどうみるか

わたし という人間を「まじわり」の中でとらえる

わたし が わたしをどのようにつくろうとするか

わたし の中の 見えないわたし とどう向かい合うか

B「わたし」になっていくものとしての「わたし」という視点は??

 

 ・・・さて、みなさんだったらどう書きますか。