ストップ・ザ「むだな開発と環境破壊」
−神奈川の自然保護と財政再建をめざして−
報告4.川はだれのものか
相模川キャンプインシンポジウム
 

はじめに

 私たちが取り組んでいるのは、相模大堰という巨大公共事業の問題です。市民の声に耳を傾けることなく工事を強行し、1998年7月23日より、暫定的な給水事業を開始しました。この結果、既存の施設が遊休化する事態を引き起こしています。2重投資だったのです。この事業は、神奈川県内の事業ですが、きっとあな
たの身のまわりにも同じような構造の問題があるはずです。同じことが繰り返されないように、相模川の、日本の川の本来の姿を取り戻すために、みんなの力を合わせましょう。

相模大堰とは

 相模大堰は、相模川水系で水道用水を開発する「相模川水系建設事業計画」の一環でつくられる水道用水取水堰です。河口から12km、厚木市岡田と海老名市社家の間に建設されました。幅495mで、普段水の流れている低水路部を完全にせき止める構造です。上流の宮ヶ瀬ダム(建設省管轄、2000年完成予定)で貯めた水を、毎秒15トン取水する計画になっています。建設費用は4610億円、宮ヶ瀬ダムを合わせると8580億円という巨大事業です。堰本体は1995年10月に着工、1998年6月に完成しました。事業者は、神奈川県内広域水道企業団という特別地方公共団体で、1969年に神奈川県、横浜市、川崎市、横須賀市の出資によって設立されました。水道用水、設備の広域利用と国の補助金受け入れが目的です。

すべては過大な水需要予測から

 下のグラフは、1997年4月策定の「かながわ新総合計画21」に盛り込まれた、県内の水需要予測と実績、保有水源の推移です。これまでの予測は過大であったことが、現在の保有水源と、需要実績の差によく表れています。この予測は相模大堰の着工後に発表されたましたが、宮ヶ瀬ダム、相模大堰がなくても水は足りることを示唆しています。実績の推移に比べて過大であることは同じですが、予
測を下方修正したのです。
 もっとも、これもまた不思議な予測で、人口がピークを過ぎても増加し続けていますし、宮ヶ瀬ダムが完成しても、なぜか保有水源は下降しています。このことに対して県の担当者は、人口と水需要のピークが一致しないことには触れず、水源の減少は地下水の枯渇と述べるのみです。しかも、その地下水を使っている
市町村は、枯渇を予測していません。無駄な事業だと追求しても、「渇水対策にはダムがもっとも有効」と答えるのみです。まして節水はもっと当てにならないそうです。

水のたまらない宮ヶ瀬ダム 

 宮ヶ瀬ダムの基本計画は1978年に作成されました。この計画で建設省は、ダムの運用シュミレーションを1949年から25年間の流量データに基づいて行っています。「毎秒15トン欲しいという地元自治体の強い要望」(法廷での建設省職員証言)を計画化するために、通常は10年に1度やってくる程度の渇水に耐えられるように計画するところを、基準を6年に1度程度にして安全度を下げたり、河川維持用水を毎秒12トンから8トンに変更したりしています。さらに、1974年以降のデータ−をもとに、私たちが計算したところ、少雨傾向もあって、毎秒15トン取れば年によっては相模川水系の3つのダムすべてが半年近くも水が貯まらないこ
ともあるという結果がでています。これは建設省も認めてるところです。このように渇水に弱いことがわかっていながら、渇水時の対策は、「具体的な動きはないもない」(同じく法廷証言)というありさまです。毎秒15トン取れるという根拠の提示を求めると、県や水道企業団は建設省がそう言っているからとしか答えず、結局責任の所在は宙に浮いたままです。議会の承認を経るとはいえ、事実上官僚の裁量でこのようなことが行われているのです。

海へ届かない相模川の水 
―相模川からはもう水は取れない―

 前掲の地図にも載っている寒川取水堰下流では、河川維持用水が確保できない日が180日あり、このうち90日は流量が0です(1991年)。この結果寒川下流の河川環境は著しく悪化しています。これは、水需要の急増に対応するために、河川維持用水毎秒12トンを1972年から全量取水しているからです。川の流れがなく海水が入り込み、河口から7km入った場所で、海の魚が釣れたという話もあります。河口にも砂がたまって航路が確保できなくなったり、たまった砂が干潟を変質させ、生物の生息環境に悪影響もでています。この河川維持用水の取水は、あくまで緊急避難的措置なので宮ヶ瀬ダム完成後は消滅するはずなのですが、継続すると言い続けていました。ところが、相模大堰の完成が見えてくると、「更新できないのはわかっていた」という見解に切り替え、現在暫定ながら相模大堰が稼動し始めると、それに見合った量だけ寒川取水堰の設備が遊休化しています。既設設備の有効利用ではなく、まず新設ありきだったようです。

失われた自然 
―絶滅危急種が何十種も―

 私たちは、不必要な水道設備を得た代わりに大きなものを失いました。それは、相模大堰が建設された場所の自然環境です。相模川も他の都市近郊河川と同じように「開発」の波に洗われてきました。それでもここには、かろうじて川らしい環境が残っていました。1994 年5月の写真は、着工前のものですが、土手の
上には小さいながら河畔林があり、土手下の草地や、ヨシ原につながっていました。キャンプでもしてみようかという場所が残っていました。この一帯には約1000種の動植物が生息し、その中には絶滅が危惧されているものが約60種含まれていました。その河原の今の姿が左下の写真です。計画では、緑化やビオトープ
の建設が予定されていますが、以前のような多様性のある環境はもはや望めません。仮に、緑は戻ってきたとしても、そこにいた獣、鳥、虫は元通りにはなりません。工事と湛水で川の中も大きく変わってしまいました。流れがないと繁殖できない水棲昆虫やアユは、いつか姿を消すでしょう。環境アセスメントは実施されましたが、水道企業団はは自分で決めた保全策すら守れていません。県も黙認です。

大きい負の遺産 
−国民負担一人あたり3000円以上!?

 相模大堰と宮ヶ瀬ダムの建設費を合わせると8580億円になることはすでに述べました。これは、すべて税金と水道料金でまかなわれることになります。単純に計算すれば、全国の納税者一人あたり3000円、神奈川県内の納税者はさらに3000円と水道料金で一世帯あたり現状の金額に13000円上乗せされます。神奈川県は大規模公共事業を見直さなかったつけで、民間企業ならば、倒産寸前です。

私たちの活動―自然の権利訴訟と円卓会議―

 以上相模大堰計画の問題点と現状を挙げてみました。ここに述べた以外にもまだまだ問題点はありますが、別の機会に譲ることにします。私たちはこれまで、さまざまな手段で、計画の見直しを訴えてきました。観察会などの啓蒙活動もさることながら、裁判と円卓会議が私たちの活動では特徴的です。裁判のほうは、形式的には公金支出差し止めを求めるものですが、日本の法廷ではじめて動植物の生きる権利を主張しました。1994年に始まり、現在も横浜地方裁判所で継続中です。円卓会議は、相模大堰水利権申請の保留を求めて、憲法に保証された請願権を行使し、建設大臣に直接請願した結果始まりました。神奈川県、水道企業団、市民が公開の場で意見を戦わせています。行政と市民が継続的に話し合いの場を持っていることは特筆すべきことだと思います。水道企業団には情報公開制度がないので、情報開示という点では大きな成果が現れています。堰はできてしまいましたが、事業自体は計画の半分しか進んでいません。私たちは、これからもあらゆる機会を捕らえて、行政は何をしてしまったのか、市民は何を得たのか
を訴えていくつもりです。

相模川キャンプインシンポジウム 
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http://www3.justnet.ne.jp/~kanaoken/
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タイトル揮毫:野田知佑 English phrase by Risa Ito