ストップ・ザ「むだな開発と環境破壊」
−神奈川の自然保護と財政再建をめざして−
報告3.自然公園法地域に県の環境アセスの適用は可能か
−箱根のブナ帯における美術館建設計画をめぐって
田代道彌・蛯子貞二・川崎英憲(箱根を守る会/グリーンタフ

□自然保護運動の原点「ケンペル・バーニー碑」と箱根

 箱根町元箱根の興福院の裏、旧街道に面しバーニーの碑が建つ。箱根の自然をこよなく愛したイギリス人バーニーは、元禄3年(1690)に来日して日本の美しい自然と絢爛たる文化を世界に紹介したケンペルの「日本誌」序文から「本書は隆盛にして強大なる帝国の歴史なり、本書は勇敢にして不屈なる国民の記録な
り、其人民は謙譲勤勉敦厚にして其拠れる地は最も天恵に富めり」を引用し、自らの言葉「新旧両街道の会合するこの地点に立つ人よ、この光栄ある祖国をば更に美しく尊くして、卿等の子孫に伝えられよ」を添えてこの碑を建てた。

 大正11年に建てられたこの碑は40年の間人知れずして眠り続けたが、昭和34年の全国レクリエーション大会の際、日本山岳界の重鎮「槙 有恒」が特別講演で「箱根の杉並木の中に、日本の自然保護の原点ともいうべき碑があることを知っているか?」と問い、翌年日本自然保護協会機関誌「自然保護」創刊号に日本山岳会副会長「松方三郎」が「御存知ですか」と題しての紹介でこの碑の存在が知られるようになった。地元箱根町はこの碑文を前に毎年勤労感謝の日に「ケンペル・バーニー祭」を開催し、箱根の自然保護を誓い合う。

□ケンペルが驚嘆し、バーニーが愛した箱根の景観とは

 仙石原ススキ草原、大涌谷硫気荒原、駒ヶ岳や二子山・金時山の風衝地草原、清水平や上湯のブナ林などそのそれぞれに箱根の顔がある。しかしそれら箱根の景観を構成している背景に常にブナを指標とする夏緑広葉樹林がある。白神山地が世界遺産に登録されてブナ林の貴重性が認識されたが、冷温帯の極相林である。
 ブナを私たちがもし平地で見ようとしたら青森県の尻屋崎まで行かなくてはならない。首都圏におけるブナ林とはそういうもの、神奈川県でブナ林を見ることの出来るもう一つの場所「丹沢」では2時間くらいの急な山登りが必要だが、幸い、箱根ではバスを降りればすぐにブナの木にお目にかかれる。
 日本の気候の代表が冷温帯であるからそれが造る植生としてのブナ林はそれほど珍しいものではない。しかし、箱根のブナ林は、日本列島に最も新しく付加した地質体の上に出来上がった箱根火山の生業と相模湾と駿河湾に屏風のように突き出した地形の発達に併せて出来上がったものであるから、そこには気候条件のみでは計れない箱根特有の貴重さがある。箱根のブナ林の中にはフォッサマグナ要素と呼ばれる固有な植物種など、この地方のみにしか生息しない生物種が桁外れに多く見られるのがその証左である。ブナ樹だけが大切なのではない。ブナ樹を取り巻く生物社会全体が大切なのである。またブナ林がもたらす効用は森の生物群に留まらない。

 そこから流れ出る水系、それはヒトが好んで住む地域となるが、その水系の効用は海に至るまで続く。近年、漁民による森作りが盛んに話題に上るような事態に至って、人間も森を中心とした、特に冷温帯に住む日本人にとっては、ヒトもまたブナ林が造る生物社会の一員であることを思い知らされている。調和ある生
物社会は一生物体の突出を許さない。都市に見られる人間だけが目立つ社会が異常なことを森は教えてくれる。
 ところが、箱根のブナ林を伐開し、大量の土砂を掘削して大規模な美術館を建てる計画が着工に向かって歩き出している。ポーラ化粧品本舗(株)は、数年来神奈川県と環境庁に対して水面下の交渉を続けていたようで、県は本案を神奈川県環境影響評価条例(以下「アセス」)に乗せた。アセスは所定の手続きを順次終了し、事業者は今「自然公園法に基づく国立公園特別地域における行為の許可」を環境庁に申請、環境庁長官の対応を待つ段階にある。国の自然公園行政を揺るがせかねないこの成り行きを、私たちは全国の自然公園を愛する人々と共に注目している。

□国立公園内で県条例によるアセスがまかり通る

 本アセスに関しこれまで自然公園法に基づく審査は全くなく、ただ開発を前提とする、それも極めて杜撰な、また欺瞞に満ちた事業者によるアセス(案)が公表された。自然公園法地域、すなわち国立公園内にアセスが持ち込まれるなどという事態を想定してアセス法は作られていないからであろう。これでは箱根の自
然など戦車に踏み砕かれる草原の花でしかない。
 もちろん県知事はアセス(案)に対する住民意見の聴取、審査委員会報告を受けての是正を指摘し、その上で環境庁がこれを審査するという手続きは踏んできた。しかし環境庁に都道府県の意向にまともに対処して、自然公園法の精神を貫徹する姿勢があるのであろうか。箱根を守る会は会長以下、環境庁に自然公園課長を訪ねこの点を質したが、都道府県の決定を環境庁が完全に否定した前例はないという。自然公園法地域に何故にアセスが持ち込めるのか。環境庁は否定した前例はないとしながら、何故に国の審査より先にアセスを進行させたのか。博物館法の公益性に守られた美術館は本当に自然保護地域に優先する施設なのか。箱根を守る会はこれを単に箱根の事例としてとどめず全国の今後の自然や文化財の保全のために、今これらの点を明らかにする運動を続けている。

□国・県・町による保全慣行をみずから放棄する県の真意は?
 
 自然公園法地区の箱根に、神奈川県がアセスを持ち込んだ時、箱根町も同調し、両者は「私権の制限は困難」を繰り返した。しかしそれでは過去の努力を捨て、多くの問題を積み残したまま、県と町は箱根高地の自然景観の保全から逃げ出すことになる。これまで規制に従ってきた企業や個人に、行政としてどう責任
を果たすのか。箱根の今後にどう対処するつもりなのか。
 この地域がこれまで開発から守られてきたのは世論も大きく貢献してきたが、法的にも、第2種地域でありながら特別保護地域に準ずる扱いが周知の事実としてあったからである。例えば「自然公園法第17条に対する審査指針とその運用通知」に係わる審査指針(昭50・3・18環自企148号)7項は、『特別保護区、第1種
特別地域に準じて取り扱う地域』として、「定着した地域的慣行、公の学術調査の結果極めて高い学術的価値があると認められた地域」として例外的な認め方を規定しているが、美術館建設計画地はまさに第7項が求める2点を満足させてきた。法的にも私権の制限は理由にならないのである。

 首都圏にとっての箱根の高地のブナ林の貴重さについては前述したが、それ故にこの地の大部分は特別保護地区に指定され、またそれに準じて扱われてきた。当該地域の取り扱いの経緯もまさにこれであった。自然景観上ブナ帯の下縁に近い箱根小塚山の南側の肩、大涌谷との中間に位置する当美術館建設予定地は、久しく開発が危惧されていたので、箱根を守る会は昭和50年、環境庁長官にこの地域を特別保護地区に編入することを要望し、開発計画の安易な容認は陸続として連鎖的な開発申請を招く危険のあることを指摘した。これに対して昭和52年1月、環境庁は環自保第14号をもって「(この地域は)厳しい姿勢で自然公園法第17条の運用にあたっている」ので現行第2種地域であっても、特別保護地区に準じた扱いをすること、また会の憂慮には「この地域の(開発行為については)連鎖的開発現象は今後起こらないと思われる」との確固とした認識を示した。

 これらが空文でなかったことは、この通達以後、箱根の各地域の開発計画については、環境庁・神奈川県・箱根町の三者による定期協議が久しく行われ、特に小塚山周辺の第2種地域については、特別保護地区に準ずる扱いが貫徹され続けた。例えば同じポーラが場所も今回と同一の地に計画した社員寮は、同じ箱根でも早川中流域の宮城野に変更して建設された。また隣接地一帯にあった幾つかの開発計画は1件も実現していない。これは何よりも国・県・町の三者協議の結果であった。

 こうしてこの地域は箱根のブナ帯の保全地域の下縁として開発から守られることが周知の事実となった。昭和50年以来すでに20年以上もの間・・・である。これは、この地域のブナ帯の保存意識が、第7項の「定着した地域的慣行」となっていることの証左と言えよう。顧みて神奈川県や箱根町の弁解を逃げ口上という
所以である。

□ブナ帯の意義とこれに逆行する大規模美術館建設計画

 次に、「公の学術調査の結果極めて高い学術的価値があると認められた地域」にも触れねばならない。これまで幾つかの公の調査とその報告書があるが、そのいずれも同一の見解である故、一例のみを掲げるが、この地域のブナ林について、「小塚山南東の緩斜面には小沢沿いに(計画地が該当)自然度9と自然度の高い、垂直分布的に低海抜分布型のヤマボウシ〜ブナ群集が比較的纏まった面積で生育している。このため本地域では、早川沿いに低海抜地のヤブツバキクラス域から上昇してきた自然植生と、高海抜地のブナクラス域から下降してきた自然植生とが移行帯を形成している状況が明らかに認められる。今日の箱根地域では、これらの低海抜分布型のブナ林の殆どは開発により破壊されており、本地域に残存するブナ林は貴重な植物生態学資料といえる。」(宮脇 昭 1992年 横浜植生学会)

 このようにこの一帯のブナ林の貴重性は周知の事実であり、その保存の認識は環境庁・神奈川県・箱根町ともに共通した定見となっていた。だからこそポーラ社員寮は、場所を他に移して建設されたのであり、これは自然公園法地域における開発行為が通常の手続きによって審査された一例であるといえる。ところが社員寮は自然公園法によって規制されたのに、県がアセスに乗せたため、社員寮とは比較にならぬ大規模開発が今着工に向かって歩き出している。利用者年間数1,000人を出ないであろう社員寮に対して美術館は、観客数年間60万人、審査会答申を受けて30%縮小したとはいえ大型車を含め200台の大駐車場スペース、さらに驚くべきは、当初計画直径63m、深さ24m、搬出土量5.3万立米であったものを40%も拡大した7.4万立米もの巨大な穴をこのブナ帯に穿ち、地下三階、地上二階を建てる設計である。この狂喜じみた工事計画は、ひたすら自然公園法による建造物の高さ逓減に迎合したもの、そしてここにも特別保護地域に準じて扱われるブナ帯に、自然公園法の皮を被ったアセスが、あまりの場違いに戸惑いながら、仕方なしに尻尾を出している姿が見え隠れするのである。いったいこれだけ広範囲にブナ帯を伐開し、それがどうして美術館であろうか。自然に調和しながら印象派絵画を展示するというが、ブナ帯の地下に7.4万立米の土砂を掘り、その結果ブナ帯の地下水流路を堰止め、貴重な生物相を駆逐して、それがどうして自然との調和であろうか。年間60万の人と車をこのブナ林に誘致すれば、大気は汚染され気温など微気象を撹乱させ、低海抜域のブナ帯を枯死させてしまうであろう。それを憂慮する良心が当事者にも行政にも本当にないのであろうか。

 箱根と美術館とが本質的に違背するものとはもちろん考えてはない。箱根が現在高所の建造物を山陰に移転し、送電線の地中埋設を急いでいるなど自然景観への配慮もまた美術的な要請によるものである。誰からも賞賛される場所に建つことが、箱根における美術館計画の前提ではなかろうか。           

 (田代道彌・蛯子貞二・川崎英憲1998:法と民主主義No.326 44〜48頁改変)

 ●本誌12,13号もご覧ください ●箱根を守る会