特集「環境連続講座 1998」(その1

 

かながわグリーンネット「環境講座−1998.4」
日本のブナ林の特徴と自然保護問題
 
小川 潔 

 

■はじめに

 今日は自然保護の話をということでしたが、最終的に日本のブナ林の特徴と自然保護問題というテーマを与えられまして、困ったなというのが正直なところです。私自身が専門にやっている研究はブナではありません。昔ブナをやろうと思って2年ほどやったことがあるのですが、ちょっと手に負えなくてやめて、現在はタンポポという植物の研究をしています。

 前回お話しをされた平塚の博物館の浜口さんとは大学時代に一緒に山を歩いたり、動物や植物を追いかけた仲間で、彼も神奈川県でタンポポをやっています。私自身は自分の住んでいるところが東京の中心部分にありまして、そこで都市の中での自然保護というのをやっています。ブナ林へ2年ほど潜り込んでいた時代がありまして、そんな話を今日はさせていただこうと思います。

 実は大変困ったなと思うのは、この標題の中でブナ林の特徴と自然保護問題をどうやって結びつけるかということです。正直言ってこの二つの言葉は結びつかないだろうと思いますので、今日はちょっと切り離して、はじめにブナ林の話、そのあとブナ林の自然保護問題の例を紹介しようと思います。

 

■ブナの木とは

 私は高校のときにブナという木の名前を知らなくて、生物の試験で出てきたときに、誤植ではないか、鮒じゃないかと思った経験があります。昔はそれくらい都会の中に住んでいる人にとっては、ブナなんていう植物はまず縁のない木でした。ところがいまはほとんどの人が、日本の自然保護問題のブナ林といえば、白神山地とか丹沢とかいうだろうと思います。それくらい日本国民にもお馴染みになってきた林、あるいは木だろうと思います。

 ブナというのは落葉広葉樹といいます。葉が冬に落ちるといいます。落葉広葉樹は、日本では冬に葉が落ちますが、たとえばヒマラヤの麓へ行きますと、冬ではなくて乾燥期に葉が落ちます。だから冬に葉が落ちるというのが全世界的な共通認識ではないのですが、日本の場合には寒い冬に葉が落ちるというふうに考えられています。ちょっと余談ですが、寒いから落ちるだけではなくて、乾燥に対しても落とすというのは、植物が一般的によくやることです。さて、ブナの木とか林の特徴を紹介いたします。

〈スライド〉

・秋の紅葉したブナの林です。これは八幡平のちょっと東側の岩手県なので、山の頂上が緑色のと ころはブナではなくて、その下のほうの紅葉している部分がブナ林になります。林の中に入りま すとこのようなブナの木で、一般に地肌が白いという感じを持ちます。実際には白い上に地衣類 がくっついて白く見えているというのが多い。

・ブナの林というのは落葉広葉樹、冬に葉が落ちる木ですから、ブナだけではなくて、多くの樹種 がそういう落葉樹ですので、秋になりますと紅葉します。

・これがブナの木で、肌が白くて、ところどころ苔がついて黒っぽく見えています。それから葉の ほうは茶色っぽい紅葉です。紅い葉ではないのですが、茶色くなります。

・ブナの林というのは太平洋側と日本海側で植物の構成とか構造が違っています。日本海側のブナ の林へ行きますと、このような小さな常緑の木ですが、数十センチとか1mとかいう木が生えて います。中央にあるのがヒメユズリハですが、その右側にちょっと小さいハイイヌガヤでしょう か、いくつか常緑の木が生えているのが日本海側の特徴です。

・太平洋側のブナの林で、これは秩父ですが、やはり紅葉しているピンクがかった部分がブナの林 です。秩父の山はいちばん高いところは少し針葉樹がありますが、あとはほとんどブナの林にな っています。

・林の中の特徴としては、このように林の下にササが生えているのが特徴です。このササの種類が 太平洋側と日本海側で違ってきます。

・林の中で、人間の高さとササの高さを見てください。中央にいる人間の後ろに斜面ですが、ササ 藪の高さが見えると思います。人間の背丈、あるいはそれ以上ぐらいの背丈をしたササが生えて います。

・ブナ林の中のカエデの類の紅葉です。

・ブナの林を切って道路を作っているところですが、実はこうやったときに初めて山の土の深さと いうのがわかります。地上部が10m、20mという木がありますが、山の中で木の根が占めてい る空間のうちの深さというのが数十センチあるいは1mあるかないかというところです。それだ けのわずかな深さのところに降った雨を山は蓄えていることになります。

・秩父のブナ林の中の様子です。

・ブナの実を見ていただこうと思いますが、実といっても枝の先端に何かもやもやとしたものがく っついています。

・ブナの実の殻です。この中にドングリを潰したような感じの実が入っています。

・ブナのドングリが芽を出したところです。5月ぐらいにブナ林へ行きますとこういう状態が見ら れます。

・最後に、これは皆さんもたぶんご存じだと思います。カタクリという植物ですが、こういう小さ な植物がブナ林の中には多いというのも特徴です。スライドはここまでですので、あとはOHP を使って話をしていこうと思います。

 

■ブナ林の構成

 日本海側と太平洋側でブナ林の構造が違うという話をしました。ここに模式図がありますが、落葉広葉樹のブナがあって、その下に木とササがあります。このササが日本海側では一般にチシマザサと呼ばれているササになります。それから太平洋側ではスズタケと呼ばれています。後ほどその具体的な話になりますが、それ以外に日本海側では小さな常緑の木が生えています。ヒメユズリハとかヒメアオキといったものがあります。

 それに対して太平洋側のほうはスズタケというササがあって、その下はほとんど何も生えていないという状態になります。この違いは主として冬の間の雪による作用だと考えられています。日本海側では雪がたくさん積もって、それによってササが潰されます。ササもそれ以外の植物も雪の下になって冬を越します。翌年雪が解けますと、ササは竹の弾力でピンと元へ戻ります。しかしびっしりと太陽の光が入らないくらいではないものですから、そこに常緑の木、小さな木が成育できる空間があります。これに対して太平洋側では雪がほとんど降りませんので、ササが密生してしまって、中にほかの植物が生えるような空間がない。あるいは光が入らないという状態になっていきます。こういった基本的な構造の違いがあります。

ブナの林は局地的にいくつか樹種とか、下にあるササの種類によってかたちが分けられていますが、主としてこの線を境にして、こちら側が日本海側のブナ林、こちら側が太平洋側のブナ林にな

ります。それからもう一つブナ自身、日本海側のブナの木の葉と太平洋側の葉は、並べてみると大きさの違いがあります。よく太平洋側のブナの木のことを小さな葉のブナという意味でコバブナと

いう名前で呼んだりします。このコバブナにあたる太平洋側のブナは盆栽の対象になってきますので、いちばんいいのが富士山の山麓のブナだといわれています。したがって盆栽業者はブナの木があると芽生えを採取するのに血眼になるわけで、太平洋側のブナというのは人間の圧力によってもかなり危機を迎えることがあるようです。

■ブナとササ

 今度はササの話です。太平洋側に生えているササであるスズタケというのは、地下茎があって、そこからまっすぐに茎にあたる部分が出ます。タケとかササの仲間の場合には茎とか幹にあたる部分を稈(かん)と呼んでいますが、稈が直立しているのが特徴です。直立していて雪に合いませんので、桿が大変硬いのですがもろいです。たまに太平洋側で大雪が降りますと、ササがどんどん折れてしまいます。それからもう一つ、翌年の年が明けたときに新しく出てくる芽がどこから出るかというと、地下茎から次の年の稈を作る芽があります。それ以外に前の年の稈のこういうところに芽がついています。

 これが太平洋側のササの特徴です。日本海側ではチマキザサとかチシマザサと呼ばれているものがあります。こちらのほうももちろん地下茎があって、そこから大きな芽が出てきますが、それ以外に地上部からも芽が出ます。このときに冬場はこの上に雪が積もりますから、チシマザサなどは雪によって潰されます。これが寝てしまって、この上に雪が積もります。そうしますと雪の下ではわりと温かいといっては変ですが、マイナス何十度なんてことにはなりません。私も一度ここへ行って、雪を掘って中に温度計を突っ込んで、次の日にまた掘って何度だったかという記録を取ったことがありますが、たしかプラスの2度ぐらいだったと思います。下がってもマイナスの数度ということで、植物にとって凍死をするほどの害はありません。気温がどんどん下がっても雪の下にあると寒さを防ぐことができる。山へ行って雪洞を掘るというのがありますが、あれと同じような原

 

理です。

 それに対して太平洋側ではふだん雪が積もりませんので、気温の寒いのがもろに植物にあたります。寒さにあたりますと、スズタケのほうはこういうところの芽が死んでしまいまして、地下茎からだけ翌年出てくることになります。それから日本海側の場合には毎年雪に埋もれますので、桿自身がもともと斜めに出ている。さらにこれに弾力性があって、雪で潰されても解ければまたもとに戻るという性質があります。太平洋側のほうは残念ながらそれがありませんので、雪が積もればポキッと折れてしまう。この二つの形態は、雪がどれくらい降るか、あるいは積もるかということによって分布を制限されています。

 中間的なものとしてミヤコザサというのがありますが、これは地下茎がちょっと深いところにあって、稈の地下に埋まっている部分から大きな芽が出てきます。この二つのグループのすみ分けがちょうど関東地方の北側から東北地方にかけて、図のようなラインです。

 植物が一般的に生育するのは摂氏の温度で5度以上といわれています。そのある場所で1年間に5度以上の日がどれぐらいあるかというのを足し合わせていった数です。これを暖かさの指数(温量指数)と呼んでいます。簡単にいうと毎月の平均気温を取りまして、5℃よりも高い部分だけを足し合わせます。5度がここの線ですから、これより低い温度は足さないで、5度を越えたときだけを足し合わせていったのが暖かさの指数です。ブナが生えている場所は、この暖かさの指数が45から85までになっています。

 一般に関東地方などにある常緑の木などは温度指数で85度という線まであって、それよりも暖かいところ、暖かさの指数の数字が85よりも大きいところに生えています。山をどんどん登っていくと、これが小さくなって45という線がここですから、ここよりも暖かいところに落葉の広葉樹林ができます。日本の山を南から順番に取っていきますと、北へ行けば行くほど寒くなりますから、暖かさの指数が85になる高さは北へ行くほど低くなっていきます。最終的に盛岡のあたりへ行きますと、平地でも85を切ってしまって常緑の林はできなくなってきます。

 一方45という線は東北地方を全部覆ってしまいます。平地は全部入りますから、ブナの生え得る範囲は東北地方よりも北まで生えることになります。今度は45よりももっと寒いところ、山でいうと高いところですが、これについては15という線までが、針葉樹林が成立する範囲になります。たとえば富士山とか日本アルプスとかの高い山へ行きますと、シラビソなど針葉樹の林がありますが、これはこういう線の間に入ってきます。

これでどんな範囲に植物が生えているかというのをちょっと見ていただこうと思います。ブナは85から45という範囲に入ってきます。5℃よりも温度が高い月の平均気温を全部5度よりも高い部分を足していくと、85から45までの間にブナが生えることになります。それから先ほど言いました常緑の広葉樹、たとえばシラカシを取りますと 140から 100、80ぐらいまでは出てきますが、 100を超えればよく育ちます。それから45よりも寒くなったところでは、シラビソ、トウヒといった針葉樹になります。ブナというのは日本では比較的涼しいところです。私たちが温帯に住んでいるからでしょうか、涼しいところの植物だと考えられていまして、これを盆栽で東京とか横浜で育てようとしますと、普通は夏は暑すぎるといっています。それはたぶんこのギリギリか、より暖かいところにきてしまったときに、比較的涼しいところに生えている植物は、夏になって暑くなると一生懸命呼吸をして、エネルギーを使ってしまいます。ところが本来生えているところではそんなに暑くないものですから、エネルギーロスが少なくて生活しているのですが、ふだんの生活とは違うエネルギーの使い方をしてしまうためにくたびれてしまいます。よく山の植物を取ってきて平地で育てるとうまくいかないというのはこれですが、夏の暑さをどうしのぐかというのが、ブナにとっては重要な問題になってきます。

 逆に南のほうに生えている植物にとっては、冬の寒さをどう防ぐかというのが問題になります。さっきの常緑広葉樹でいえば、この線よりも寒くなったときに生育できないですから、何とか北のほうへ分布を広げようという場合でも、北のほうの暖かいところを目指していきます。

■北限のブナ、南限のブナ

 北海道の大部分はブナが生えていてよい気候ですが、実際にブナはどこまであるかというと、林としてはここまでしかありません。黒松内というところがブナの北限だといわれています。

 なぜ気候的には生育ができるはずのブナがここよりも北へ行っていないのだろうか。これはもう環境と植物との直接の問題ではなくて、歴史上の問題だと言われています。いまから数万年前に資料で確実なのは8万年ぐらい前でしょうか。寒い時期の氷河期に、寒いときというのは、植物はやや南のほうへ移動してきます。ですからブナは全体的には本州へ南下してきます。氷河期は陸地が全部つながっていました。植物や動物は北海道から本州へどんどん移動してきます。ところが暖かくなってきて海面が上がってきますと、最終的にここが海に沈んだ時期があります。ブナはここから先へは行かれなくなってしまう。今度は暖かくて北へ逃げようとする。涼しいところへ移動しようとしても、海のためにそこで移動ができなくなってしまう。そのためにブナは黒松内までしか行っていないのだというのが、現在の見解です。

 ただ、過去においてはこれを超えて、こちらへ広がった時代があったという説を取っている人もいます。それはここの海の中の泥を取って調べると、昔のブナの花粉が出てくる。そういうことからブナは、かつては北海道の南部全体に広がっていたかもしれないということが考えられるらしいのですが、まだそれが定説にはなっていないようです。

 氷河期と暖かい時期との変動によって動物や植物が移動したときに、氷河期に寒くなって北の動植物が南へ移動する。そのときは海面が下がっていますから陸続きになって移動ができますが、暖かくなって動植物が北へ帰ろうとしたときには海面が上がってきますから、海で移動ができなくなります。そうすると動植物はどうするかというと、寒いところはもうそこでは山へ登るしかありません。ですから現在本州で高山植物と呼ばれているものの多くは、過去に北から移動してきたものだといわれています。

南のほうの限界ですが、ブナの木は九州の高隈山というところが南の限界、南限と呼ばれています。先ほどの暖かさの指数の85を取りますとピンクのラインですが、中国山地のてっぺんとか四国のてっぺん、それから阿蘇とかのてっぺんの部分はそれよりも寒くなってブナの生育が可能ですが、その最後の拠点がこの高隈山になります。実際にこれとほとんど合ったかたちでブナが存在します。ですから九州に関しては、現在の気候とブナの生育地とはほぼ対応した関係にあります。

 

■人間とブナ

 ブナは現在東京に住んでいる私たち、あるいは関東に住んでいる私たちから見れば比較的涼しいところの生き物です。ところが涼しさというのは縄文時代ぐらいまで戻ると、かなり寒かった時代があったといわれています。よく言われるのは、鎌倉時代の最初の頃の義経が兄の頼朝と仲違いをして奥州へ逃げていきます。藤原氏に囲われますが、奥州藤原氏の文化というのがブナ帯文化だとよく言われます。それに対して関東地方は常緑広葉樹の文化である。かつて縄文時代ぐらいにはブナ林がもっと南まできていて、日本列島の人たちはかなりブナの林、あるいはブナやミズナラのドングリに依存した生活をしていたかもしれないということがいわれています。

 その頃の名残りがカタクリだといわれています。落葉樹ですので、冬場は木の葉が落ちています。春の初めの頃、木がまだ葉をつける前にカタクリは林の下で葉を広げて、太陽の光を受けて光合成をやって、5月になると地上部を枯らしてしまいます。こういうブナ帯にうまく密着した生活をしていた植物が、それから暖かくなるので北へ逃げますが、なかなかうまくいかないときに、人間が焼畑によって作った雑木林の中で生育を続けることができたというのが、ブナとカタクリとの関係の後日談だそうです。いまはブナが気候的には生えられないところにも、カタクリなどが雑木林という人間が作った環境の中に居残って生き続けているといわれています。ブナ自身にとって人間の影響というのは、最近になって木を切る、道路を作るということがいちばん大きいのでしょうが、林の下に生えている植物たちにとっては、地球レベルでの気候の変動に対してブナの林がなくなったときに、人間が作った林を利用して生きていく。縄文時代、あるいはそれよりちょっと前でしょうか、そういう時代から人間との付き合いの中で生存が可能になってきたものがいくつかあっただろうといわれています。

 

■ブナ林と自然保護の問題

 ブナの林と自然保護問題というのはどう考えたらいいのか。実際自然の中のサイクルとか、自然の動きとは無関係に自然の破壊というのは起こっているのが実状だろうと思います。そのときに一度壊したら復元しにくいという自然の中の一つにブナの林があるだろうと思います。というのはブナの林は先ほど言いましたように、たいていのところにササがあります。このササを突き破ってほかの植物が生えるというのは大変困難です。特に太平洋側ではそういう問題があります。そうしますとササというのは90年に1回ぐらい花が咲いて枯れるといいますが、そういうチャンスを待ってほかの植物は一生懸命育たなければいけないのかなという問題があります。

 それからもう一つブナの側からいいますと、ブナの実は先ほど芽生えのスライドを見ていただきましたが、あれは毎年見られるものではなくて、数年おきにしか出てきません。ブナの木はまだ理由はわかりませんが、全国一斉に実がなる年とならない年があります。大豊作というのが7年から8年に1回あって、その中間に1回ないし2回の小豊作があります。落葉樹林の中というのは植物だけではなくて、動物もたくさん住んでいますが、特に哺乳類などの動物の餌としてブナの実は大変重要なものです。小豊作ぐらいですと動物によってほとんど食べ尽くされてしまうというケースが出てきます。ブナは動物による影響を免れるために、わざわざ大豊作の年を何年かに1回作っているんだとすら言えそうな状態になっています。この大豊作の年とササが枯れる年とうまく合うのは何年に1回だろうかと考えますと、たとえば90年と7年の最小公倍数をとると 630年という馬鹿なことが起こってしまう。実際にはブナの林がブナで置き代わるためには、親の大木が倒れて、そこに空間ができる必要があります。ですからササの変わり方は必ずしも同調しないのですが、大木が倒れてから数年間の間にうまくその大豊作が来て、ブナが芽生えて、空間で伸びていくチャンスがうまく得られるかどうかというのは大変大きな問題になってきます。

 たとえば現在の丹沢、特に中央部から西側のようにシカが鳥獣保護区に全部逃げ込んでしまって、人口過剰になってササがほとんど食べられてしまっている状態の中では、もちろんブナの芽生えも食べられてしまいます。あそこの場合には動物のそういう圧力が大変強いですから、ブナに限らず樹種の芽生えが生き残るチャンスは大変少なくなってきます。有名な実験が金華山というところで行われましたが、シカがたくさんいて木が全然生えていないというので、何平方メートルかを柵で囲ってシカが飛び越えられないようにする。そうやって数年おきますとそこに草が生えてきて、やがて木が生えてくるということが実際に目の前で起こってきます。それによっていかに動物が植物をコントロールしているか、食べているかというのがはっきりわかります。言い換えればブナに限らず、そういう林の植物たちはそれだけの動物の生活を支えていることになります。

 ところがそこで大規模に森林を壊した場合に、一つは、次にもしそこが放ったらかしになったときに同じ林ができるだろうかということです。皆さんのご存じの歌に『どんぐりころころ』というのがあります。原則的にはドングリというのは転がってしか分布を広げられない。そうするとこの計算でいきますと、ブナの林からドングリが落ちるのは木が枝を張っている範囲ぐらいしかないとよく言われます。風が強く吹いて、少し遠くまで行くかもしれません。せいぜいブナの木の高さと同じぐらいとか2倍といいますと、数十メーターです。それよりも遠くにしか親の木がなければ、ある空間というのはブナが生えるチャンスがありません。

 そうすると天然にブナの木が日本全体をかなり広く覆っていたということは考えられなくなってしまいます。寒くなったらブナが南のほうへ行って、暑くなったら北のほうへ移動するなんてことは『どんぐりころころ』からいけばほとんど起こり得ない話ですが、これを支えているのが逆に動物です。つまりドングリを集めて動物たちは貯蔵するのですが、冬になっていざドングリを食べようというときに、動物たちがドングリをどこへ埋めたか忘れてしまうというケースがよくあります。これによってドングリを作るようなブナとかミズナラとかは、ドングリ自身の移動能力ではなくて、動物によって分布地を広げてもらっていることがわかっています。実を食われてしまうというのは大変困った話ですが、その中のほんのいくつかは遠くへ運んでもらうという、持ちつ持たれつの関係でブナや落葉樹、ドングリを作る木と動物とが存在していることになります。

 この動物と植物との関係みたいなものをセットで残しておかないと永続的な森林の存続はないですが、人間がそこで何かをやれば、動物のほうは逃げます。木のほうは逃げられないから最後までいるけれど、そうすると邪魔だから木を切ってしまう。ですから大規模に木を切った場合には、ドングリを作るような植物に関しては、自力でそこで復元することができなくなります。種子が風で飛ぶようなものですと、あるいは土の中に長く保存されているような植物ですと、あとを放っておいたときに自然に林とか植物群落が復元することがあり得ますが、ドングリを作るような植物の場合はそれができません。そういったことを計算して林を作ったり、木を切ったりしているかというと、そういうことはまずありませんで、人間の側の完全な経済的な理由、あるいは労働力の理由で木は切られてきたことになります。

 

■自然保護問題の考え方

 自然科学と自然破壊との問題は自然保護を考えるというところでは関連のあることですが、実際問題としてブナ林で保存か開発かで問題になっているところを見ますと、もうそういうレベルではなくて、本当に経済的な理由あるいは政治的な理由で切るか切らないかが決まってしまうという状況になります。残念ながらそこではもう自然科学の出る幕がありません。世界的には10年ほど前から保全生物学という名前で生物学者が生物保全の研究をやっていますが、対象になる生物を保護するには生物だけのことをやってもしようがないから、政治も経済も、哲学も倫理も全部やらなければいけないということを言い出しました。

 日本ではまだそこまで行っていないのですが、外国の生態学者はかなりそういう社会科学のほうへ踏み出している。あるいは人文科学のほうへ踏み出した研究をし始めています。2月に東京で環境教育の国際会議があったのですが、そこでほとんどの人は自然の仕組みを教えるなどという話はやりませんでした。持続可能な社会を作るためにいかにして社会を変えるかということが大事だとか、アメリカの学者は文部省後援の国際会議で堂々と共和党が悪いとか何とかと言い出す。そういう人たちがみんなもとはというと生物学者です。そういう時代になってきまして、自然科学だけやっていても自然は守れないというのはもう明らかです。
 

■白神山入山問題

 日本のブナ林が危ないと、1980年代の半ば頃に大騒ぎになってきました。そのときにいちばん問題だったのは、山の地主はというと、ほとんどが国だったという部分があります。林野庁が持っている国有林だった。国有林の保護自体、国有林をどうするかということは、また専門の方がよくやっていらっしゃるのですが、そこで自然保護運動は私たち、ここにいる何人かの方もかなり活躍されたと思います。林野庁に対してブナ林を、あるいは自然を守ろうということを働きかけたときに、88年か89年に林野庁が内部で検討委員会を作りまして、ずいぶん見掛け上は方向転換をしました。自然のよく残っているところは保存地域にして、その周辺は人間が徐々に、緩やかに利用する地域にする。そんなプランを立てました。

 自然保護をやっているほうの人は、やれやれよかったと言ったわけですが、そのあと問題になったのが白神山地でした。これは地元や全国から林を守れという声があって、林野庁はそこでの伐採および林道計画をストップしましたが、そのあと出てきたのが、それでは自然を守るのだから、ここには人を入れませんという入山制限という話が持ち出されました。今度はこれをめぐって林野庁と国民との間、あるいは国民の中で自然保護をする立場の人たちの間で見解の違いが表面化してきました。その問題は現在まで続いていて、林野庁がそのあと入山制限を少し緩やかにするという妥協点を出したことがあったのですが、人が入らなければ自然が守れるかというところが、一つ問題だろうと思います。守るというのは二つありまして、自然が痛められないようにするという意味では人が入らないほうがいいだろうと思います。ところが自然を壊そうという人がいるときには、守るというのはそこへ行って、場合によったら体を張るし、あるところでは政治的な活動をしなければなりません。それから理解者を増やすためには、現地へ人を連れていくという必要があります。ここらへんがなかなかうまく理解されていないところだろうと思います。

 林野庁はいちばんいいところを保護地区にして、そこには人を入れないといいますが、周辺部ではどんどん林を切ったりしています。周辺部の保存はまったく考慮されなくなってしまうという問題もあって、特定な場所だけ守ればいいのかという問題が逆にまた突き付けられてきます。そうするとブナ林だけではなくて、当たり前の林、皆さん方がふだん目にしている街路樹まで含めて、自然というのが人間にとってどういう価値があるのかというところまで問い詰めなければいけないのかもしれません。

 こうなると自然科学の話ではなくて、価値観とか哲学とか倫理とかという部分になってきます。そういう話はまたほかの時間にやっていただけるかもしれませんが、自然保護をやるときに、自然科学の話から社会経済、そして人間の心の問題まで含めて相手にせざるを得ない時代になっているということだろうと思います。そのへんは以前70年代は心の問題まではいかなくて、運動で行政なり大きな企業活動みたいなものと市民という対立で済んだのですが、いまは身内の側の説得をどうするかというのも重要な問題になってきているような気がします。言い換えれば社会的な合意、あるいは価値観の形成、倫理といった共通の物差しをみんなが持てるかどうかというところにあると思いますが、これは大変難しい問題のようです。

 千葉大学の井上さんという人が白神問題についてはかなり詳しく本を書いていますが、その中で入山規制については二つの基本的な社会価値観の違いだというようなことを述べています。つまり原則自由であって、例外的に規制を作るのか。原則規制であって、例外的に入山を認めるのかというのは、民主主義の中の基本的な立場の違いなので、自然保護問題という部分に押しとどめる問題ではないと思います。自由というのが先にあって、その中でこれをしては困るから、ここだけはやめましょうというのか。絶対駄目ですよと言っておいて、しかしある人にはいいですよと言うのか。それは基本的な社会体制というものの価値観の違いではないかということがあります。そこまで自然保護をやっている人が考えなければいけない時代なのかもしれません。

 

■終わりに

 ブナ林の話は、自然そのものの話というのは現在の自然保護の中で出る幕がほとんどないという状況があります。しかしもし本当にその林を維持しようと思ったら、その仕組みを知って、それなりのためにいろいろな規制をかけたり、あるいは場合によっては人間が手を加えていかなければならないということがあるだろうと思います。そういう点では自然科学が維持管理の部分では役に立つだろうと思いますが、そのもっと前の開発をするかしないかとか、ここのブナ林を保存するのか、それとも消滅させてしまうのかという価値判断は国民レべルでの合意、環境観みたいなものにかかっているのだろうと思います。

 

資料のうち、引用のない出典は「宮脇,1967」より
 

小川 潔 おがわ きよし

1947年生まれ/東京学芸大学助教授・しのばず自然

観察会代表幹事/生態学・環境教育・環境科学

著書:「たんぽぽさいた」新日本出版社、1979年/

「環境科学への扉」(共著)有斐閣、1984年/

「環境教育事典」(共編著)労働旬報社、1992年/

「環境教育概論」(共著)培風館、1992年
 

 

■質疑応答

−− 丹沢ブナの枯れ死の原因はどういうところにあるのでしょうか。

小川 正直言ってわかりません。私が実際に見ているのは蛭ケ岳の周辺だけですが、あそこはたしかにまとまって枯れています。しかし木は自然に枯れるものですから、中腹のほうへいけば、林の中でもちろん枯れている木があります。そのへんはたぶん自然の状態だろうと思うんですが、尾根筋で枯れるのはどうしてか。少なくとも私が学生の頃、丹沢に入っていた頃にはそういう話はほとんどなかったですから、枯れたのはここ10年とか20年とかのレベルだろうと思います。そうしますと尾根だから枯れるというのは理屈に合わないです。何かしら原因がありますが、ふつう可能性としては酸性雨だ何だというのはありますが、これを証明するのがいまのところできない状態です。

 一つ考えられるのは、覚えている方がいらっしゃるでしょうか。70年代の初め頃に東京あたりですと、6月の末くらいになると一斉にケヤキの葉が落ちたという現象がありました。6月から7月頃です。あれは公害のせいだといわれたのですが、結局はっきりしないまま終わりました。私の先生だった人がいうには、あれは水問題だといいます。梅雨の時期に十分水を吸っていた植物が、梅雨が明けた途端に乾燥になって水不足になってくる。それで体の水を失う。先ほどちょっと言いましたが、落葉は乾燥期にも起こります。それで葉を落としたといいます。それと同じことがあるとすれば、山ですから継続的に水不足は起こらないと思います。霧もあれば雨もあります。

 もう一つ植物にとって水不足があるとすれば、植物は水を吸って出している。葉の気孔というところから水を出していますが、気孔が開き放しになっているということがあるかもしれません。そうするとしょっちゅう水が出てしまいますから、吸うのが足らなくなってくるということがあるかもしれない。とすれば気孔の開いたり閉じたりする機能を壊すような毒ガスが植物にあたったという可能性がありますが、だれもまだ証明していません。もしかして気孔の開閉状態をうまく調べて見つかれば、落葉現象と同じようなことで、木の地上部がやられてくるということがあるかもしれません。おそらく植物にとって地上で影響があるとすれば、気孔を通してガスが体内に入る。その場合に低濃度ですと窒素にしろ硫黄にしろ、肥料そのものになるので良いのですが、高濃度になると体の中で害を起こしてきます。有名なのは足尾の煙害がそうです。私も当時調査に行きまして、1ppm というすごい濃度の亜硫酸ガスを人体実験で吸って息が止まったことがあります。そういう中では植物は駄目になりますが、そんなに急性毒性があるような濃度のガスがあのへんにくるかなというのも疑問です。

 そういうわけでよく分からないのですが、原因が何かはわからないけれども、もし何本か倒れたときには、そこに空間ができます。そうするとそこでは本来ですと先ほど言いましたように森林の更新といいますか、次の世代が伸びていくのですが、それがうまくいかないとき、たとえば林の下が踏み荒らされたり、あるいは動物によって食べ尽くされたりしてしまうと地面からどんどん水分が逃げていきます。そういう状態になったときには周辺にある木もかなり影響を受けるだろうと思います。吸うほうの水が減ってくる。それから地上部のほうで少し弱ってきて、葉から出る水がどんどん出てしまうという状態で木が枯れていくというケースがあり得ると思います。そうなってくると今度は虫の害だとか、いろいろなものがどんどん相乗効果のように出てきますので、きっかけが何だったのかというのはよくわかりませんが、途中段階ではいま言ったようなことがいくつか同時進行していたんだろうと思います。原因がわからなくて申し訳ありません。

 

−− 岩波新書で『山の自然学』という本が出ていますね。これに水分がないということが書いて   ありますが、それではないのですか。

小川 小泉さんは自分で測定をしてやっているわけではなくて、彼は地理学なもので、もっと大きなスケールで乾いている、湿っているというレベルでの現象を本来扱っていたものですから、一本の木が乾いているか、湿っているかというところまではやっていないでしょう。私がいま紹介したのと同じことしか、たぶん彼もわかっていないと思います。小泉さんは私の同僚で、大学院時代も隣の部屋にいましたので、ずっとお付き合いをしていますが。

 

−− 県の丹沢大山の報告書を読むと、酸性雨の影響ということは、いまやもう避けられない原因ではないか。そう感じるのですが、いかがでしょうか。

小川 私がいうのも変ですが、酸性雨が原因だというならなぜ学者はやらないのでしょうね。酸性雨が原因であるならば確かめる方法がたぶん専門の人はあるはずなんです。いまの丹沢の報告書でもそこは抜けているわけでしょう。それから先ほど私が言いました、実際に植物にとってのメカニズムもよくわからないのがまだあります。もう少し狭い範囲ですと大気汚染がどこで止まるかというのは、よくあります。昔の60年代でいえば沼津・三島の話から始まって、裏高尾のほうもそうです。あのへんは頭の中で簡単にシミュレーションできるのですが、なぜ実測したり、ちゃんとした実験ができないのかが不思議でしようがありません。

 研究者の批判をしては申し訳ないけれども、研究者の側はどうしても自分の仕事に役立つような調査をしたいということがあります。何か調査をしてくれと言われても、本来自分の仕事がある上に、そういうものをやらなければいけないという面があります。しかも1年とか何年かのうちに論文をいくつ書かなければいけないということがあって、どうしても自分の研究に関係のあるかたちでしか調査ができないという面があります。本来ですとそういう環境の問題について、それ自身を目的にして調査をしてもらわないといけませんが、そういうことができるような状況にある研究者がいないというのも実状だろうと思います。それから本当にやってもらうべき人のところに行っているかという問題もあるだろうと思います。いま言われたようなことですと、まずは気象学者が取り組むというのが第1ステップのような感じですが、実際には植生調査のほうが先に行ってしまっている感じです。

 あとは量的な問題をきちんと押さえるというのがないのです。道路を作る立場からいけば絶対そんなことはやりませんが、もっと客観的な立場からどれくらい道路からものが出て、それがどこまで移動するのかというのは、それ自身ちゃんとしたテーマになるはずですが、残念ながらいまのところそれも出てきません。私も今年文部省の関係でそういう調査研究でどんなものがあるかというのを調べる機会があったのですが、いま言われたようなことを環境科学として取り扱っているというのはほとんどできません。学者にとっては非常にやりがいのない仕事なのかもしれません。

 

司会 私は法律畑なものですから、いまの話に対して何も言う知識はありません。ただこの問題は、特に丹沢に関心のある、あるいはかかわりのある方の中でいろいろなかたちで潜在的にもやもやしたものがあるかのように私は感じています。

小川 いまの最後のことで、私も丹沢に関しては自分で研究をやっているわけではなくて、年に1回学生さんを連れてシカを見にいって、今年は減ったなとか、そんなことを見ているだけですが、いま言われたような感じのことをきちっと記録をして、いろいろな人の討論の材料にするのは必要だろうと思います。みんなが不安に思ったり、これかもしれないと思っていても、それが肝心の対策のときに取り上げられないというのはうまくない。もしかしたらそういうところに非常に重要なキーが隠されているかもしれません。それを専門の違う人が一堂に会したところで議論をすると、思いも寄らぬところでそれが重要だというのが出てくるのではないかという気がします。ぜひそういうチャンスを今後持っていけたらと思います。