神奈川の自然と環境を守る連絡会 創立2周年記念講演

大雪山のナキウサギ裁判



八 木 健 三
(北海道大学名誉教授・原告代表)


 みなさん、こんにちは。今日は、ナキウサギ裁判の話をする機会を与えられたことを、うれしく 思っています。3年前、青山学院大学を会場に、日本の森と自然を守る全国連絡会」の第7回全国集会が行われました。この会は、神奈川の方が大変に努力され、すばらしい集会になりました。その集会をきっかけに、神奈川の方がネットワークをつくろうと運動をして「神奈川の自然と環境を守る連絡会」が結成され、今日、こうした催しをされることになったとうかがっております。
 私は3日ほど、帯広で自然観察指導員講習会に参加してきました。これは、自然観察を通じて自然保護に取り組む人たちを育てようと、今日ここにみえている金田平さんたち、日本自然保護協会が始められたものです。それを受け継いで、北海道では今回で11回を数えます。

■開発の発端

 さて、今日お話させていただくのは大雪国立公園・士幌高原道路建設計画に対して起こされたナキウサギ裁判についてです。大雪山の東に然別湖という湖があります。このあたりは、いくつもの火山の周辺に広がる恵まれた自然を持っています。しかし、この中に道路をつくるという計画が、1962年、もう35年も前に起こりました。最初は、山火事があるのでその対策を大きな目的として道路をつくる、ということであったのです。それが、1965年、道路が大雪国立公園内に入ったため、この計画を厚生省が国立公園の公園計画に認定したのです。環境庁のできる前は、厚生省が国立公園を所管していたのです。
 そして、1969年、この道路は、町の道路から北海道の道路に昇格しました。しかし、この計画が進むにつれ、見事な自然の景観にジグザグの道路の傷痕が刻まれ、それは遠く35キロ離れた帯広からもわかるようになりました。
 また、計画地内にナキウサギが生息するなど、貴重な自然環境をもつことが判明し、自然保護世論の高まりにより、1972年に2.6キロ(図のA-B間)を残したまま道路建設は中止されました。
 しかし、その後北海道に計画再開の動きが起きてきました。そこで、1979年から81年の3 年間かけて、北海道自然保護協会が、北海道からこの計画の環境調査を請け負った北海道開発コンサルタントの委嘱を受けて調査に当たったのです。
 私達は開発という観点ではなく、このすばらしい環境を守るという立場から環境調査をすすめま した。そして、この地域に道路計画は認められないという結論に達しました。もしどうしても山火事などから必要であれば、裾野にある自衛隊演習地との境界の笹原につくるならよい、との調査報告書を出しました。ところが、この報告書の結論を変て、1987年に「ナキウサギに影響が無いように」ということで駒止湖をトンネルで通す案(駒止トンネル案)を推進する方向を道が打ち出しました。
 その4年前の1983年の選挙で、北海道知事が横路孝弘氏にかわりました。この時、横路氏は社会党でしたが、私達の出した自然保護に関する公開質問状に対して「士幌高原道路は、国立公園内なので、問題解決まで着工しない」「私は全ての自然保護団体と話し合う」「アセス条例は道民の立場から不満なので改善する」など、自然環境を重視する姿勢を打ち出しており、私達も期待したのです。ですから自然保護の人たちの中にも、選挙の時に勝手連として応援した人もいました。その結果、横路氏が当選し、3期続けて知事をやったのです。ところが、当選した後になると、自然保護についての姿勢は非常に後退をしました。堂垣内前知事より進められていた日高横断道路計画についても、1983年に当選すると「行政の継続性」を理由に認め、84年に着工されてしまいました。今も続く、いつはてるともない大工事がはじまったのです。

■計画の問題点

 さらに、1988年には士幌高原道路計画について公聴会を開き、私たちの反対意見にも係わら ず計画推進の方針を決定し、「自然環境に与える影響は最小限である。地元の自然保護団体の同意をえて工事を行いたい」と議会に提案しました。この発言で下駄を預けられた地元の十勝自然保護協会は、不幸にも元から反対している派と賛成に回った派とに分裂してしまったのです。分裂した推進派はこの道路計画に賛成していますが、私たちが正統派と認めている協会は強く反対しています。
 この駒止トンネル案に対しては、学会も問題点を指摘し、データーを出して批判しました。私た ちは、駒止トンネル案に対しては反対署名運動をしまして、全国12万人の署名が集まりました。 これによって、道もついにこのトンネル案はだめだということになりました。そして、今度は全線 トンネル案を出したのです。実はこの全線トンネル案については、報告書のアセスでは、「三つの 計画の中で全線トンネル案はトンネルが大変に長い、安全性、費用などについて、問題があっり、駒止トンネル案よりの劣る」として否定していたのです。
 最近、北海道自然保護協会副会長の佐藤教授の詳しい調査によって、士幌高原地域には日本最大規模の風穴地帯が存在することが確認されました。その風穴の存在による低温が、比較的に高度の低い士幌高原に多数のナキウサギが生存することを可能ならしめ、また、天然記念物のカラフトルリシジミやその食草の高山植物も低い標高に生息する、きわめて特異な生態系を作る原因となっているのです。トンネルの掘削はこのような風穴の微妙な作用に影響を与える恐れはきわめて高いと推定されます。そのため、我々はこの全線トンネル案に対しても強く反対しました。
 しかし、その問題点か指摘されると、北海道は「地中に潜っていけば問題がないだろう」として、 94年、横路知事の退任直前に道議会で公表し、これを環境庁にも送りました。
 1995年には横路氏のあとを次いだ掘達也氏が知事となり、この計画をすすめようとしたので す。同年、環境庁では「自然環境審議会の意見を求める」ことになり、5月末に、審議会は現地視 察を行いました。しかし、この視察は、トンネル出口付近を見ただけで、地域全体の自然の状況を 調査しませんでした。
 この地域では、風穴による低い気温がナキウサギを生かしているのです。ナキウサギは元々はシベリアなどの寒冷な地域にいたのですが、氷河時代にシベリア・樺太・北海道がつながっていたので、日本にわたってきました。しかし、最終氷期が終わると北海道・樺太は島となって帰ることのできなくなりました。こういう動物を、レリックまたは生きている化石と言っています。もともと 、ナキウサギは非常に冷たい環境に生きる可憐な動物です。ですから、気温が高くなると生存できないのですが、大雪周辺など高山地域だけに生きているのです。こういうことから地域全体を見ることが必要だったのですが、審議会はトンネルの出口を少し見ただけで、あっさりと計画を認めたのです。
 そもそも、国立公園内の道路に関しては、「社会的にぜひ必要な道路に限り、代替ルートのない場合に限られる」「貴重な自然環境は避ける」という「林談話」があります。これは、1972年 、大雪縦貫道路計画がみなさんの反対のおかげで北海道開発局が取り下げたときに、当時の環境庁自然環境審議会の林自然公園部会長の談話の形式で発表された原則で、以後「国立公園内の道路に関する憲法」とまでいわれたものです。今の審議会には大学教授や自然保護に熱心な方々がいるのに、こうした原則に反して計画を認めたのを見ると、審議会が行政の代弁者になっている現実が浮かび上がってきます。その結果、1996年トンネル掘削のための調査ボーリングが行われています。 そこで、私たちは直接環境庁長官に会って話すことが必要だと考えました。岩垂長官は日高横断道路問題で国会運動をしたときに、自然保護議員連盟の事務局長として、大石会長とともに支援してくださったことがあったのです。なかなか時間がとれなかったのですが、大石さんの尽力で会談が出来ました。そこで私たちは強く計画の見直しを求め、「審議会はどういう内容の討論で、許可の結論を出したのか」と尋ねました。しかし、岩垂長官は「正式な手続によって慎重に審議したので認めていただきたい」と言うだけで、全然進展はありませんでした。
 こうして、計画がどんどん進んでいく、やむを得ず、7月に工事への支出差し止めを求める住民 監査請求を出しました。しかし、これもあっさりと却下されてしまったのです。こうなると、もは や残っているのは住民訴訟だけとなりました。

■ナキウサギ裁判

 さて、ナキウサギを原告に、という考えもありましたが、アマミノクロウサギが原告適格がない とされた前例もあり、「ウサギではなくヤギでないと駄目だ」ということで、私が原告団長に祭り 上げられたのです。(笑−)
 こうして、原告団は21名、弁護団は全国的な支援が組まれ、57名で参加しています。ちょう ど50年前、ともに東北大学の助教授であったとき新設された教職員組合で協力した仲間である大石さんに補佐人をお願いしたところ快諾され、87歳のご老体にも係わらず第一回公判で意見陳述をされました。

「私は初代環境庁長官になったとき、命を大切にするヒューマニズムこそ、行政の根本になるべきだと考え、水俣病患者は「疑わしきは救う」方針で認定を広げて助け、県道計画の中止を3県の知事に要請して、尾瀬の自然を守りました。この見地から見ると、士幌高原道路は貴重な自然を破壊し、わずか10分の短縮のために100億もの税金を使うのは国民に対する冒涜であります」と喝破し、全法廷の人々に感銘を与えました。

 私は口頭弁論で「今日、士幌高原道路問題が最悪の事態に陥った原因の半ばは、横路前知事の環境保全知識の低さと公約を守る信義に欠けていることにある」と断罪し、「堀知事は道政改革フォーラムの提言に従い、士幌高原道路は直ちに中止するよう決断すべきである」と要望しました。
 これに対し、次回は道側が反抗するというので、どんな理論を展開するのかと期待(?)してい ました。しかし、生物多様性条約に違反するという指摘に対しては「この条約は国内法的効力はないから違反にはあたらない」、環境基本法に違反するという指摘に対しては「環境基本法は宣言的なものであって自治体を拘束するものではない」というのです。さらに、北海道自然環境保全指針に反するという指摘に対しては「指針は法律でも条令でもないから拘束力はない」と述べ、まったく肩すかしの弁論なのに呆れた次第です。
 6月19日の第四回公判では、原告側としては「生物多様性を守ることの意味と条約の拘束力、 環境基本法は決して単なる宣言ではないこと、自然環境保全指針を自ら制定しながら拘束されないとは言えないこと」を明確に述べることにしています。
 さてこうした流れの中で、堀知事が「長年月へても実現しない公共事業は「時のアセスメント」 の名の下に見直すべきだ」という、新しい施策を提唱し、「その中に士幌高原道路を含める」と公 表する段階になり、自民党の道議員の反対のよって、発表を見送ったのは誠に残念です。
 我々は、裁判で勝訴するとともに、「時のアセスメント」で士幌高原道路計画を中止に追い込み たいと、さらに努力しています。
 「ナキウサギ裁判を支援する会」には初代環境庁長官大石武一さん、前衆議院議長土井たか子さん、元日本学術会議副会長岡倉古志郎さんなどを始め、現在、1092名の方々がメンバーになってくださっています。どうか皆様方からも暖かいご支援をお願いいたしまして私の講演を終わらせていただきます。