記念講演 「アマミノクロウサギは、なぜ、裁判をおこしたか」

講師 弁護士 籠橋 隆明 氏(京都法律事務所)

 以下は、6月18日の設立総会での記念講演の内容を、当日のノートを元
に事務局でまとめたものです。従いまして、内容上の責任は事務局・担当熊
野谿にあります。

鹿児島地裁に提訴
 こんにちは。さて、去る2月23日、鹿児島地方裁判所に対してアマミノ
クロウサギ他三種を原告とした裁判を提訴致しました。もちろん、今回の裁
判の原告には人間も並んでいるのですが、訴状では原告は一か所に並べて書
かねばならないという事はないので、本日も販売しています訴状の最初には、
アマミノクロウサギ他三種だけを書き、人間は後の方へ回しました。

 この裁判には代理人として80人の弁護士がついていますが、裁判を提訴す
る少し前にFAXで知人に「やりたい人を求める」と流したら、たくさん集ま
ってきました。そして、この事件の弁護団は、自分でお金を払って参加してい
ます。
 さて、裁判が提訴されると同時に、この裁判は「野生静物を原告とした最初
の裁判」としてセンセーショナルな扱いを受けました。これに対して裁判所は
どのように対応するかが注目されていましたが、本日の資料にもあります様に、
鹿児島地裁の裁判官は補正命令を出しました。普通は民事裁判ですので、裁判
所は代理人の私の所に連絡するのですが、裁判所はアマミノクロウサギに対し
て「当裁判所へ出頭する」様に求め、それが当然なされないと、「訴状中の原
告を野生生物とする部分を却下する」との決定を行ったのです。さらに、この
決定にはおかしなことに、「アマミノクロウサギなる人間が仮にいるかも知れ
ないので、それに対して却下命令を下す」という形式をとっています。架空の
人間に対して命令を下すなど、今までの裁判ではありえないことです。
 裁判は原告に人間が入っている事もあり、7月3日鹿児島地裁で始まります。
却下命令を下した裁判官は転勤したため、新しい裁判官となります。裁判所も
盛んにこの裁判のことを気にしている様で、「何人くらい傍聴がきますか」な
どいろいろと打合せに行くと話しています。

なぜ「自然の権利」裁判がおこされたか  さて、今回の裁判の舞台となって奄美諸島について、みなさんはあまり御存
じないかも知れません。屋久島のへんですかとか、小笠原の方ですかなどとも
言われます。奄美は鹿児島から飛行機で一時間、船だと24時間もかかる、南西
諸島の少し北に位置する島々です。亜熱帯性の気候で、島が他の地域から分断
されて孤立しているために、アマミノクロウサギ、オオトラツグミやルリカケ
スなど、多数の希少な種が生存しています。この奄美諸島での二つのゴルフ状
開発がこれらの希少な種の生息地域を奪う事への反対運動が、今回の裁判のき
っかけとなりました。
 この奄美という地域は、「安徳戦争」で有名な政争の激しい地域です。さら
に、米軍による軍政と占領の歴史があるという事から特別対策事業があり、「
土建の島」でもあります。こうした困難な中で、激しい迫害に耐えながら反対
運動をすすめたが、万策つきて開発許可が下りてしまった。
 さて、そこでいよいよ裁判を起こすという事になったのです。
 さて、そこでどのようにするのか、という事で相談を受けたわけです。私は
ゴルフ場開発対策弁護団に参加しており、その関係で相談を受けたのですが、
ゴルフ場開発差し止めの訴訟というものは、開発法規の欠点をつめる中でその
矛盾を引き出して追い込むという事が基本なわけです。それで、そうした方法
をとっても良いのだが、もっとわかりやすい方法は無いのか、という事が話題
になりました。何かの時に「アメリカでは野生生物が原告になった裁判がある
よ」という話をしていたのですが、住民の方が「アマミノクロウサギを原告に
した裁判をやろう」と言いだしたのです。それを聞いて最初は、「訴状は三日
で書けるから書いてあげる。でも、すぐに却下されるだろうから弁護士なしで
やったらどうか」と話したのです。そして、おおざっぱな訴状を書こうとして、
いろいろ調べだしたらこの問題は実に奥が深いのです。アメリカにも問い合わ
せてみたらさらに奥が深い。とても冗談でやるにはもったいない、という事に
なり、大阪で研究会を二年半やってようやく書き上げたのです。
 この間に奄美の地域での運動の方も大変な時があり、どうなるかと思いまし
たが、盛り返して提訴にこぎつけました。

自然の権利とは
 さて、「自然の権利」という事ですが、これは「自然と僕らがどれだけ近い
のか」という事を同じ生態系に生きていると言う観点からとらえなおそうとす
るものです。近くに川が流れていた。ところが三か月たって行ってみたら、コ
ンクリで三面張りになっていた。こんな経験をみなさんはお持ちでしょう。林
や森、川が消えてしまった経験、山が削られてしまった経験〜これに対する悲
痛な気持が自然保護を言う人たちの原点です。しかし、裁判となれば、これま
では「この自然には高い公共性がある」「稀少で学術的価値がある」など、人
間にとっての利益を主張してきました。これに対して、「自然の権利」という
考え方は、素朴な原点を大切にすることはできないだろうか、という事から始
まったものです。
 ゴルフ場開発反対運動の中で聞いたことです。
バブルの初め頃でしたか、中学生の女の子がたぬきの観察をしていました。し
かし、山に行ってみると、もうそこには入れなくなっている。これを見てその
子は「山のお葬式だ」と言ったそうです。ここには「山の身になって考えてい
る」という視点があります。こうした視点を裁判の中にも活かしていこうとい
う事なのです。

 さて、「自然の権利」について、訴状では自然観の問題から始めました。こ
れもギリシア・ローマの「自然の法」という考えから始めようかとも考えまし
たが、直接的な所でキリスト教的な自然観から説き起こしています。キリスト
教的自然観の基本は、「神が人間のために自然をつくった。自然は人間のため
にある」というものでした。さらに、その後、近代合理主義の流れが加わります。
ここでは、「理性のある人間が、理性のない自然を支配する」という考え方が
基本となりました。今でもこの考え方は基本的には、産業の構造、さらには経
済の構造の中で、変わらずに生き続けています。例えば、法律では野生生物は
「無主物」と扱われています。誰のものでもないのないので、誰が何をしても
よい」というのです。
 誰のものでもないのならば、誰も勝手にとってはいけないはずなのに、逆に
扱われています。ゼニガタアザラシという稀少な動物について、「無主物だか
ら誰がとってもよい」という様なことになるのです。ここには、人間が中心に
いて生物を支配する、人間にとって利益があるかどうかだけが問題である、と
いう流れがあります。

 さて、「自然の権利」に関係して、「理性や科学、文明の発達は、人そのも
のを滅ぼすもので悪だ」という人もいます。私はそうではなく、科学の発達は
ヒューマニズムと自然への愛情を高める働きをすると考えます。残虐な動物実
験に反対する人たちがいます。これもヒューマニズムの一つの現れです。進化
論によって人も他の動物も、かつての様に元々違うものなのではなく、進化の
中で生まれてきた同じものとしてあるという事がわかってきました。進化論は
、他方では「強者が生存して弱者が淘汰される」という考えにもつなげられま
したが、人間と自然との間の境をかつての様な絶対的なものではなくしたので
す。また、文明の危機、種の多様性、人間の危機といった問題をとらえ、豊か
な社会とは何かを考える上でも、科学の発達は役立つと考えます。
 人間と自然の関係について、訴状の中でもふれていますが、中世ヨーロッパ
には動物への裁判というものがありました。例えば、まだ猪に近いものであっ
た豚が少年を食べてしまったという事件がありました。普通ならばこんな害獣
はすぐに屠殺されてしまうのですが、豚が裁判にかけられたのです。領主裁判
ですが、検察役、被告の豚、そして弁護する役の人もついたのです。結論とし
ては、母豚は口に血がついていたので有罪、しかし子豚は証拠がないので無罪
、有罪となった母豚だけが逆さづりで死刑になりました。こうした例は他にも
あり、畑を荒らすネズミに困った農民がネズミを宗教裁判に訴えたという記録
があります。執行官が畑に行って呼び出すのですが、三回呼んでも来ないので
裁判をやることになります。そして、驚いた事にはネズミに後にパリの高等法
院の裁判官となったシャサレーさんという方が弁護人としてついているのです。
 さて、ここには当時、まだ人間と自然の関係では自然の方が強くて、キリス
ト教的な秩序になんとか教会が自然を取り込みたかったというねらいを見てと
ることができます。キリスト教の側が、「自然さん、人間をそんなにいじめな
いで下さい」という時代であったのです。しかし、現代はまったく逆です。自
然は否応もなく人間にさらされています。人間社会に自然そのものが取り込ま
れ、支配されています。

アメリカでの「自然の権利」の発達
 さて、「自然の権利」の考え方はアメリカで発展を遂げてきました。アメリ
カは元々、「暗黒の荒野を開発すること=正義」とする考え方で発展をしてき
ました。そのため環境破壊はすさまじいものがあり、緑黄鳩などはかつては空
をまっくらにこがすほどいたのに、ハンティングや肉、羽根などの利用するた
めにいなくなってしまいました。こうした中で、荒野こそ人間性の重要なもの
を養ってくれる存在ではないか、という考え方が19世紀の後半から生まれて
きたのです。こうした考え方は、1880年ミューアが「森の生活」という本の中
で述べました。さらに、1949年、生態学を研究してきたアルド・レオポルドが
エッセイの中で「ランド・エシック」(大地の倫理)という考え方を示したの
です。この考え方は、人間という種の役割を征服者から生態系の一構成員に変
えるものでした。生態系は一つの共同体であり、人間はその共同体の一員であ
る。人間は他の共同体の成員に対して、尊重することが求められるという事を
彼は言ったのです。この考え方はその後に大きな影響を与えました。
 さらに、1972年にクリストファ・ストーンが「樹木の当事者適格」という提
起を行います。この背景には「ミネラルキング渓谷事件」というディズニーの
開発計画をめぐるシエラクラブ等の反対運動と開発許可についての無効確認を
求める裁判がありました。アメリカの行政訴訟では、日本と違って「当事者適
格」は広く認められています。「カヌーをやりたいから」とか「野鳥の観察を
したい」などの利益を主張するだけで、当事者としての適格性が認められるの
です。しかし、この事件ではシエラクラブは、「一切、人間の利益を主張せず
、ミネラルキングの利益を主張する」という方針をとりました。このため州地
裁、高裁で破れ、そして連邦裁判所での判決を待つばかりとなってしまったの
です。この時に、クリストファストーンの本が出版されました。そして、この
「自然の権利」についての書物が連邦裁判所の判事たちの目にふれる様にした
のです。
 結果として裁判は破れますが、連邦裁判所のダグラスという判事の少数意見
がストーンを全面的に引用して、「環境客体に自身を守るために裁判をおこす
権利を認めるべきである」「この事件はミネラルキング対モートン事件と言う
べきである」と言う画期的な見解を述べたのです。
 もちろん、こうした「自然の権利」の提唱に対しては、「私が丘を歩いたら、
丘から裁判に訴えられるのか」「石や川が話すのか、誰が石や川の意志を聞く
のか」など、攻撃や疑問も広がりました。ストーン自身もさんざんであったと
回想しています。しかし、この少数意見をきっかけに各地で、「自然の権利」
を主張する裁判が矢継ぎ早に起きたのです。
 こうした中でアメリカの大きな転機となったのが1973年のESAの制定でし
た。アメリカにとっての1965〜70年代はアースデイなどエコロジーの高揚した
時代でした。そうした中でこの法律は、「種の保存という問題はどのような経
済的利益とも比較できない価値を持つ」と規定したのです。さらに、このES
Aでは地域個体であれば植物も対象とされました。また、アメリカの法律の特
徴でもある「市民訴訟条項」がこの法律にも加えられました。これはESAへ
の侵害行為や野生生物の生息地を破壊しようとする動きに対しては、市民が誰
でも(any person)裁判を起こせるというNGOの権利を認めたものです。
 この結果はすぐに現れました。スネールダータという小さな魚がTVA公社
が9割方できていたダムの建設を差し止めた事件では、この3cmの小さな魚が
ESAの絶滅危機種のリストにあるため、差し止め裁判では裁判官全員一致で
差し止めが認められました。この判決の少数意見では、「こんな法律はおかし
い」とするものもあったようですが、法律として「種の保存はどのような経済
的利益に比較できない価値がある」としているのですから、差し止め決定は全
員一致でした。
 その後、レーガン政権による政策の中で一定の変容があったものの、アメリ
カでの「自然の権利」訴訟の動きは。このESAを中心に展開しました。
 川についても、少なくとも五件は勝った事例があります。ハワイ州のパリー
ラの森の事件では、パリーラという鳥が住む森で山羊や羊を放牧することが問
題とされました。このため、森がそこなわれるとして、原告パリーラとした裁
判が起こされ「二年以内に山羊や羊を森からすべて排除する」との判決が出さ
れました。また、別のマーブルドマーレットという西部での事件では、グリズ
リーを原告とした鉱山会社の試掘中止を求める裁判が起こされました。これは
原告敗訴でしたが、その理由というのが、会社側が期間を限定して夜は火をた
かないなどグリズリーの生活を脅かさない様に行うという、はたしてこれで試
掘ができるのかと思うほど厳しい条件を提示したからでした。これらの裁判は、
厳格には野生生物が原告となっているのではなく、野生生物のための裁判であ
るから、野生生物を原告として表示して認めるという事になっているのです。
 自然の権利については、ある人たちはディープ・エコロジーとの関係でとら
える人もいます。私達は生態系との関係でこれを考えていますが、多様な捕え
方があるでしょう。しかし、「自然自体に存在する価値がある」ととらえ、「
NGOや市民が自然を代弁して行動する」ということで自然の権利の構造をと
らえたいと思います。例えば、川を法人としてとらえて、それを汚染する企業
に対して損害賠償を求め、その賠償金で川をきれいにするという様な裁判も起
こされています。こうした文脈でとらえると、ESAも自然の権利を認めるも
のであると言うことができるでしょう。

今、なぜ「自然の権利」か  元々「自然の権利」という考え方は倫理的な問題として考えられました。で
すから、それをどの様に考えていくかということには、様々なとらえかたがあ
ります。それを信じる者も信じない者も、自然と環境を破壊するものに対して
規制をしていくことが大切なのです。
 例えば、「公共的信託」という考え方からこの問題を考えることもできます。
公共の仕事というものは、市民一人一人が持っている権限を国家に信託している
ものだと考えられます。ですから、当然、市民の信託に反する事を国家が行え
ば、市民は訴えることができることになるのです。こうした考え方は実際に有
益なものです。国家や自治体が独占している専決事項の壁は大きなものがあり
ます。いくら市民が問題を指摘しても、「聞くだけ聞く、後は公の立場で判断
する」という壁は大きなものがあります。しかし国家が独占した結果としてう
まくいった事があるでしょうか。知床の原生林、白神山地の保護、尾瀬の保護
など、どれをとって考えてみても、市民が声をあげてきた事によって守られて
きたのです。こうした現実に照らして考えるならば、市民が、そしてNGOが
権限を持つ必要があるのです。システムとしてNGOをいかに重視していくか
という事は、個人のネットワーク、地域から地球レベルまでのネットワークが
広がっている流れが示しています。
 そして市民のこうした努力が存在することの力を認めるならば、アセスメン
ト制度、情報公開制度、参加する権利などが保障されねばなりません。市民の
参加の権利は、単なる話合いだけではなく、問題を指摘されたら応えなければ
ならず、それができない時は事業そのものができなくなる、というものでなけ
ればなりません。
 さて、今回の「自然の権利」訴訟では、ESAの様な法律が日本にはありま
せんでした。そこで、私達は約10数年前に日弁連が提唱した「自然享有権」
を一つのよりどころとしました。これは誰でもが良好な自然環境を享受する権
利があるとするものです。「自然の権利」を主張する場合に、なぜ、第三者が
自然の権利を代弁するのかという問題があります。緊急避難という考え方でと
らえる事もできますが、私達はこの自然享有権の中身を「自然を守る権利」で
あるととらえたのです。そして、自然を守り、その権利を守ることが、自分た
ちの人格的・環境的な利益を守ることになる。さらには、災害から生活を守る
事などにもつながる、と捕えたのです。
 裁判の方は、裁判官も「7月3日に何人来ますか」と聞いたり、「楽しんで
やりましょう」と言うなど、表向きは良いことを言っています。  いろいろまだ多くの問題がありますが、この「自然の権利」というのは、価
値観の問題なのです。「川が死んでしまった」「山が削られてしまった」とい
う時のあの気持を原点として、それを法として代弁するものなのです。ですか
ら、この「自然の権利」は様々にとらえることができます。
 経済学の立場からは、他の経済的価値と比較できない価値を盛り込んだ経済
のとらえかた、あり方が問題となります。教育学の立場からは、子どもの豊か
な教育にとっての自然の価値ということでしょうか。それぞれに様々な立場か
らとらえていく必要がありましょう。そうして、自然と人間がうまくつきあっ
ていける社会をつくって行こうという事です。

 しばしばある誤解に、次のようなものがあります。「自然の権利なんて言う
けど人間の権利はどうしてくれる」と言うのがそれです。この裁判となった問
題のある住吉村という所は、奄美で一番の過疎の村です。「村の人と村の絶滅
の危機なのだ。ウサギは一文にもならない」とも言われます。
 私達は自然の権利を主張します。だから徹底的に自然の権利を主張するので
す。人間もまた主張すれば良いのです。人間の主張する場は十分にあるのです
。しかし、クロウサギの言うことは言う機会がないのです。そうしてお互いが
徹底的に主張すると、そこにお互いの意見の食違いと論争がおきます。この食
違いは事実によって確認していく必要があるのです。例えば「ゴルフ場以外に
村に生きていく道はないのか」など、何が真実かを明らかにしていく事で本当
に調和を達成することがつながるのです。
 アカテガニというベンケイカニの一種が島にいます。満月に卵を産みに海に
くるのですが、島の回りの道路をわたる時にU字溝で落ちてしまいます。この
カニの権利を考えたらどうなるのでしょうか。あるいはその溝をL字にすれば
良いのかもしれません。その時期だけ夜に車を通さなければよいのかも知れま
せん。様々な調和の可能性があるのです。大切なことは、真の調和は論争から
生まれるということです。これは公共性は行政が勝手に決めるものではないと
いう事ともつながっています。持続的発展のために、自然の権利を主張しその
上で論争を通じて何が公共性かを決めるのです。

 ルイス・キャロルという人の書いた「鏡の国のアリス」か「不思議な国のア
リス」の中にこんな話がありました。その森に入ると皆が名前を忘れてしまう
という森の話です。その森の中ではアリスも鹿もお互いに仲よくできました。
ところが、森を出ると、鹿は自分が鹿であることを思い出して、人間であるア
リスから逃げていってしまうのです。
 自然と人間が共存できる社会をめざして、少しでもその実現に向けて努力し
て行きましょう。