「イスラム国」問題を考える授業 パート2

熊野谿 寛

 

文系クラス(現代社会)では、少し欲張って3時間を使ってISの問題を扱う事にした。ここでは、既に「現代の戦争」のテーマをあつかった中で、「2014年の戦争」との単元を扱っていた。ただ、その時には「ガザからの報告」を見ながら、ガザ攻撃と国際人道法の問題を中心においた。その時に話題になって、「イスラム国」については旧バース党との関係・アメリカの統治政策の失敗を指摘した上で、日本人で拉致されている人がいるが、その後はわかっていない、とふれた程度だった。

 そこで、「以前、簡単に触れたけれども、カンタンにという程度では済まない事態になっていると思うので、改めて見てみたい」と話して「現代と人権」のテーマの最後に取り上げることにした。

 

T時間目

1.    名称について(イスラム教とISとの違い)

 

 ISIS ISIL IS イスラム国 など様々な名称で呼ばれているが、「イスラム国と呼ばないで欲しい」という声がある。どうしてだろうか。

−「イスラムの人たちがいやがっている」

 そうだ。イスラム諸国や日本で暮らすムスリムの人たちから「あれがイスラムだと誤解される様な報道の仕方はやめてほしい」との声が上がっている。だから、NHKも今週から「イスラム国」という呼び方をやめて、「IS」と言うようになった。

 

2.    バグダディとカリフの宣言

 

 ところで、ISの指導者とされる人は誰かな??

→ あいつあいつ!! えーと誰だっけ?? バクダディだよね

 そうそう、バクダディというのがISの指導者とされている。彼は2014年6月に「カリフになった」と宣言して注目された。「カリフ」って何かね。世界史選択者諸君。

→ムハンマドの正当な後継者!!

 そうだ。ムハンマドの死語、第四代カリフのアリーが暗殺されるまでが「正統カリフ時代」。アリーの暗殺からシーア派とスンナ派が分裂することも世界史選択者は学習したね。もっとも、当時はともかく、イラクなどではシーア派もスンナ派も必ずしも対立する関係では無かった。通う教会が違う程度のことで、夫婦で両方にわかれている様な場合も普通にあった様だ。

 このカリフを名乗ったという時に、「これで影響力が拡大する」いう人と、「これでイスラムの世界から批判が強まる」という人がいた。実際には両方だった様で、「勝手にムハンマドの後継者を名乗るなんてけしからん」という声が広がったが、反対に数としてはごくわずかだが過激派には「彼に従おう」という動きが出てきた。

 ところで、この「イスラム国」の領土はどこまでと言っているのかな。

→スペインから全部!!の声

 彼らはアフガニスタンから西をその領土と宣言している。つまり、今までのイラクとか、イランとか、シリア・ヨルダンなど中東の国境線を一切認めない立場に立っているわけだ。

 ところで、中東のシリアとかヨルダンなどの国境線はなにが土台になってできたの??

→えーと、植民地にした時の縄張りかなぁ。

 そうそう、第一次大戦中のイギリスの「三重外交」覚えているかな??

→あれ!!えーと、なんとか協定。

 フセイン・マクマホン協定、バルフォア宣言、そしてサイクスピコ協定だよね。このうち英仏露で分割を決めたのがサイクスピコ協定だったね。だから、ISはこの国境線の枠組みをぶちこわすと言っていることになる。

 

3.IS 彼らはどこで生まれたか

 

 さて、でも、バクダディとISという勢力はどう生まれたのかは知っているかな??そこで、まずバグダディとISの誕生について、最初のビデオを見てもらいたい。(ビデオを見せながら、反対側のWBに内容を整理していく)

 

 ビデオ NHKスペシャルの一部抜粋 バグダディは米国が二回捕らえていたが、釈放されていた。最初、何で捕まったかはわかっていないが、「コーランを静かに読んでいる青年だった」と看守は証言している。ところが、アメリカ軍のキャンプ・ブッカ収容所で過激派に影響されて過激派となった。さらに、ISの幹部となっている元バース党の軍人・官僚とも、同じ収容所で結びついた。 6分間

 

 *ビデオの途中で 「収容者が着ている黄色の着衣に注目」「二人が着せられたオレンジ色の着衣は、グンタナモでの収容者に着せられた服の色だ」と指摘。えーっ、この色にこんな意味があるのか??

 ビデオでの「アメリカが殺し損ねた連中」「何か良からぬ事をやろうとしていたのだろう」等の部分について、「アメリカの立場からの言い分だ」「片っ端から放り込んだので、理由などよくわからなくなっている」と注釈。

 

 このように、バグダディとISは、アメリカの収容所仲間が土台となっている。実際、彼らは最近のインタビューでも「自分達はアメリカの収容所がなければ生まれなかった」と語っている。アメリカが見境無く収容所に放り込み、その結果、過激派となって人脈まで育ててしまったのだ。

 ここで注意すべきは、「旧バース党」の存在だ。バース党は、フセイン政権を支えた政党だが、もともと「世俗派」で宗教性はない勢力だった。イスラム世界では、トルコのケマルアタチュルクの革命からずっと、「政治と宗教を分離しないと、イスラム社会の発展は遅れてしまう」という考え方でエジプト・シリアも近代化を進めてきた。イラクのフセインも独裁者だが世俗的な近代国家をめざし、イラクではシーア派とスンナ派が結婚することもごく普通にある世俗的な社会だった。

 ところがアメリカは、イラク戦争後にこのバース党を全面的に追放・迫害した。戦後のGHQによる占領では、アメリカは間接統治を行い、日本の官僚を一部だけ追放して使った。アメリカの中には、イラクでも同様にすべしとの意見もあったようだが、結果的には全面的に追放した。これが、イラク統治がうまく行かなくなった一つの背景でもある。フセインはとても強い独裁政権だったので、クルド人勢力を除くとイラク国内にはほとんど反政府勢力はおらず、反政府勢力は亡命して国内に弱い基盤しか持っていなかった。

 こうして旧フセイン政権を支えた旧バース党の軍人と官僚が過激派と結びついた。行政や軍を担ってきたプロが中心にいるのが、ISが単なる過激派とは違う点でもある。ただ、もともとの彼らは世俗派バリバリだったわけで、ISは宗教勢力なんかじゃないという面も指摘できる。

ISはなぜ台頭したか

 もっとも、この段階では実はISや過激派は、イラク国内では弱体化していた。

次にアメリカで昨年作成された「イスラム国はなぜ台頭したか」というビデオを見ながら、解説していきたい。これは、昨年末にBSで放映されたもので、アメリカの視点から描かれているが、比較的よくその背景をとらえている。

 

ビデオ 「イスラム国」はなぜ台頭したか アメリカ撤退の日、マリキ首相の訪米とオバマとの会談。しかし、マリキはその途中で電話があり、「副大統領が暗殺計画に関与した」と伝える。オバマは、「内政問題」との姿勢。ここからマリキによるスンナ派へ抑圧と弾圧が始まる。副大統領は亡命して不在のまま死刑判決を受ける。護衛達は拷問により「暗殺計画」を自白させられる。スンナ派市民へのシーア派民兵も動員しての弾圧と虐殺がすすめられ、街にはスンナ派市民の死体がゴロゴロと放置された。過激派との戦いをすすめていたスンナ派覚醒評議会もマリキは自分の地位を脅かすとして圧迫される。

 *「本当に死体がゴロゴロしていた様だ。この画像は鮮明ではないから見せられるけども。」と補足。

 

一方、イラクのアルカイダはイラク国内で弱体化し、風前の灯火だった。しかし、シリア内戦に加わることで急激に勢力を拡大した。

 *ビデオでは、アルカイダ系が反政府勢力の中心となった としていたので、「実はそういう事ではない」「彼らは、油田地帯の占領などに力を入れ、アサド政権とはあまり戦わなかったと言われている」「むしろ、世俗的な反政府勢力をたたいて、支配地を拡大した」と指摘する。

 

アルカイダ系組織は、やがてイラクに再び勢力をのばそうとする。この時期からISISを名乗る。

マリキ首相の下、イラクでは穏健な財務大臣まで追放され、スンナ派市民は平和的に反政府デモを始める。各国のスンナ派から支援がよせられ、デモや放送局を開設する費用はすべてこれらの富豪が援助していたという。ところが、ここにISの勢力が入り込むと、マリキは丸腰の市民に治安部隊を差し向けて弾圧、虐殺が行われた。マリキはスンナ派を攻撃すると、シーア派での自分の支持が高まるのを実感した。国際社会もアメリカもこれを黙殺した。

*マリキの「実感」の所で「ここが怖いんだ」「敵をつくることで人々が結束して自分達の支持が固まると考える政治が紛争を作る」と指摘。

ISはスンナ派住民に「平和的デモではダメだ」と武装をすすめ、ISの軍事行動が拡大する。刑務所を襲撃して受刑者を解放、さらにスンナ派の若者が数多くISに参加し、穏健な部族の長たちも「奴らは好きになれないが、イラク政府軍から我々を守ってくれるのは過激派だけだ」とISを受け入れるようになった。

*ビデオでは、部族長が「アメリカ軍もいなくなったし」と言ったことになっているが、「これはアメリカの立場からの理解という面もあるだろう」と指摘。

 

(ビデオはここまで。以下は板書のメモを見ながらすすめる)

 ざっとISが台頭した背景を見てきたが、どうですか。米軍撤退後、イラクではアルカイダ系のテロリストは、大変に弱体化していた。ところが、彼らはシリア内戦に参加して、そこで巨大な勢力となって戻ってきた。

 一方、イラクでは当初はシーア派もスンナ派も、アルカイダ系を拒否して、掃討作戦が進められて、過激派は弱体化していた。ところが、マリキ政権の抑圧と虐殺、そして国際社会の無関心がスンナ派住民を「イラク軍よりもISの方がマシだ」としてしまった。

 マリキ首相は、スンナ派を攻撃して、「奴らが敵だ」と人々を動員することで、シーア派からの支持が自分に集まることを知った。つまり、宗教は利用されたもので、本質は宗教の対立では無く、政治権力の問題なのだ。ISも又元バース党が中枢を占めており、宗教を利用した権力闘争をすすめているのだ。世間では「民族紛争」とか「宗教対立」とかと言うが、大半がこうした政治の問題だという事を知っておく必要がある。そして、武力抗争に突入してしまえば、マリキが退陣しても状況はそう変わらなくなってしまう。

 こうしてISは台頭してきたんだ。

 

U時間目

前回は、ISがなぜ台頭してきたのか、その背景を見てきた。

ではISの支配下に入った地域は実際にはどうなのか。そこでは、二つの面があるようだ。日本人で唯一、昨年ISに3回取材に入った常岡さんというジャーナリストがいる。彼は三度にわたり、ISに取材に入っているが、6月には「首都」とされるラッカまで取材に行って生きて帰ってきた。そして、イスラム国の実態を知らせようとテレビ局に持ちかけたが、「今はワールドカップだからダメ」とフィルムを買ってくれなかったという。なんて事だろうかね。

さて、その常岡さんが見せられたのは、一つは商業の振興、食料の配給、ポリオの予防接種、教育などをすすめるISの姿だ。ISを担う旧バース党官僚があってこその統治力を持っている様だ。しかし。他方で毎週金曜日には公開処刑が行われる。ISに逆らった、ISの考えるイスラムに反した、犯罪を犯した等の理由で、毎週金曜日に公開処刑で斬首されたりしている。それでも、治安が良くなったと評価する声も聞かれたという事だ。もちろん、ISの支配下では、自由に何でも見れたり住民も自由に物が言えるわけではないのだから、その点は踏まえて受け取る必要がある。

しかし、こうしてISは単なるテロリストではない事、イラクとシリアの深刻な人権危機と戦争に対して世界と国際社会が結果的には放置してきた事が彼らを台頭させたという事を、しっかりと見る必要がある。ISは単なるテロ集団ではないからこそやっかいなのだ。また、こうした現実は実際に現地に行くジャーナリストがいてこそ世界が知ることのできるものだ、という事も認識しておきたい。

ところで、ISが拡大したのはシリア内戦を通じてだった。では、このシリア内戦はいったいどうなっとているのだろうか。2012年に取材された「前線の子ども達」から見たシリア内戦の現実を次に見て欲しい。

 

BSドキュメンタリー「シリア内戦 〜前線の子ども達」BBCを観る

 反政府勢力が強いアレッポの街。アサド政権の空爆で20万人が逃げ出した。しかし、反政府勢力の市民は踏みとどまり、市街地では散発的に戦闘が続いている。

 自由シリア軍の現地司令官となった元エンジニアの子ども達の目から見た内戦の現実が語られる。

「お父さんの手伝いが好き」という8歳の女の子。だが、手伝いの中身は「爆弾を作ること」。間違って引火して爆発した時、首の飛んだ死体をその子も見ていた。インタビューの最中に戦車砲の音がすると、「今のは近いわね」「でも、不発だわ」とその子が語る。遊んでいても砲撃の音がして、子ども達は家の中にはいる。

 父は「偉大な三つ目の革命をやっている」と言う。一つ目はムハンマドの革命、二つ目はロシア革命、そして三つ目がシリア革命だ。

女の子は「前は街にお買い物に行けて、アイスクリームが買えた。今はそれができない」と言う。「街ではたくさんの人がいて、デモの時はみんなが声をそろえるの」と語る。「楽しいのになぁ」と。

 

 *元エンジニアという事から、自由シリア軍を名乗っているが、もともとは素人だ、という事を指摘する。それをアサド政権が攻撃し、市民が武装したのだと指摘する。

 *ロシア革命を肯定していることから、世俗的な立場であり、民主化を求めている人たちだという事を指摘。

 

 廃墟となった住宅。15歳の息子が語る。「生まれた家がこんなになりました。」「革命が夢だったらと思います。」「こんな事が出来るのは人間じゃない。ここでは命は1ドルの価値もない」「もしもアサドを捕まえたら、殺さずにヒトラーのようになって拷問をして苦しめてやる。僕たちが苦しんだようにいたぶってやるんだ」と語る。

 娘達は廃墟となった家を掃除に行く。片手にライフルを持って。下の娘はかわいらしい熊のぬいぐるみを見つけて、持って帰りたい。でも、上の姉は「それは他の人のものだからダメ」「間違ったことをしてはいけないの」と許さない。泣きじゃくる下の女の子。

 下の女の子は言う。「怖い夢を見るの」「狙撃兵にかこまれて、こことここと…撃たれちゃうの」。最後にいつその夢を見た?「寝ている時」と

 *子ども達が空き家を掃除していた時、手にしていた物を「ライフルだ」と指摘。

 

賑やかな街のバザール、そして毎週金曜日の市民による平和的なデモ。一人の少年が歌い手となって人々をリードしている。「同国民を殺すなんて、アサドは人じゃない」よく通るきれいな声に人々が続いて歌う。彼は12歳。アサド政権を批判して警察に暴行された。父親はいったんデモへの参加を禁じたが、「10時間泣き続けて抵抗した」という。今では街で彼を知らない人はいない。母親は「生まれながらの歌い手・革命家なのです」という。今では12歳の彼はフルタイムの活動家。デモのない日はポスターなどを作っている。兄が彼にとっては指導者だ。

 しかし、彼が有名になると身辺には危険が迫った。何人もの仲間が政権派やISなどの過激派によって拉致され、行方不明となっている。彼も拳銃を与えられたが、「使い方がわからない」という。

 ビデオの最後の方で兄は、過激派に拉致されて行方不明となる。

 *平和的なデモがずっと続いていること、そこにアサド政権による武力弾圧があって内戦に発展したこと。さらにISの勢力は反政府勢力をおそうこと等を、見ながら指摘。

 

 どうでしたか。

 

このシリア内戦は、アラブの春が拡大する中でアサド独裁政権の退陣を求めて市民が平和的なデモに立ち上がった所から始まる。アサド政権は、丸腰の市民に軍隊を差し向けた。アラブの春では、チュニジアなどでは独裁政権が軍隊に市民を弾圧せよと命じた事に対して、「同じ国民を殺せない」と軍隊から離反が起きて、革命が成功した。ところがシリアのアサド政権は軍を強固に固め、外人部隊なども使っていることもあり、軍隊が市民を殺戮してしまった。このため市民は武器を持ったが、自由シリア軍と名乗っても実際は各地のグループの寄せ集めで、いわば素人中心だ。さらに、治安が悪化すると、そこに様々な過激派も入ってきた。

その後、内戦が激化したが、シリアでは国際社会も中・ロがアサド支持、欧米が反政府支持となっていて、有効な対応が出来なかった。唯一、化学兵器の使用禁止だけはすすめられたものの、それが「解決」となった後は実質的に有効な解決手段を見いだせず放置されてきた。

既に20万人以上が死亡・300万人以上が難民となっている。国連は治安が悪くて把握できないとして、死亡者統計をとるのを中止してしまった。シリアでは街に死体が累々ところがるのが普通とされ、クビを落とされるような事も日常茶飯事になった。

 

ISはここに入り込み、サウジなどからの援助の分け前にあずかると共に、やがて油田地帯を占領し、占領地を持って勢力を固めだした。彼らは、軍事でも行政でも旧バース党のいわばプロなのだ。前回のアメリカ制作のビデオとは少し違っていて、彼らはアサド政権より反政府勢力の支配地域を奪う方がカンタンな事をよく知っている。アサド政権はロシアの支援などで最新鋭の武器を持ち、空爆を行っているのだ。ISは油田を占領して原油を密売するのだが、密売相手にはなんとアサド政権も含まれていると指摘されている。つまりアサド政権としては、ISから原油を安く仕入れて国際価格で売り、資金を得るという事もアリとなったという事だ。こうしてISは、シリアで力を付けた。シリア内戦と深刻な人道危機が有効に対処されず、放置された結果、ISは容易に勢力を拡大することが出来たのだ。このフィルムの撮られたアレッポは、今はISの勢力圏となっている。この家族がどうなったのか、今も戦っているのか、それとも逃げたか、殺されたのかはわからない。

 

 だが、こうした事態は実際に現地に入るジャーナリストがいてこそ、私たちは知ることが出来る。去年、「ガザからの報告」を見たが、その取材にあたった土井氏が先日の朝日新聞に書いていた文を読んで欲しい。*資料として配付する。

この中で、「後藤さんが亡くなってからテレビは子ども達と笑っている子どもさんの写真ばかり流して『後藤さん物語』を作っている」「しかし、彼が本当に伝えようとしたシリアの空爆や戦乱の中に人々が生き、子どもや女性がどれだけ悲惨なことになっているか」「私に私たちはその現実を忘れていないかという事だったはずだ」「私たちには、日本人の命だけが大切なのか」「その間にもどれだけの命が失われたのか」という指摘をしている。

今回の授業では、ISが流した画像は使わなかった。それは、一つにはISの画像を見せること自体が彼らのメディア戦略に利用されることになるからだ。恐怖を与え、自分達の勢力を大きく、あたかも世界の中心であるかの様に見せたいのだ。

そして、私たちが見るべきは私たちが知らずに放置していた中で、シリアやイラクで何が起きていたのかを事実として知ることだと考えた。

 

実はベトナム戦争の時には、カンボジア内戦を含めると数十人の日本人が戦場取材で命を落とした。しかし、その時に「迷惑を掛けた」「危ないところに行った」などと非難する声は無かった。逆に彼らが伝えた事実が、アメリカにベトナム戦争から手を引かせ、平和をもたらす原動力となった。カンボジアで亡くなった一ノ瀬さんは「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画にも描かれた。

しかし、今の日本では「危ないところに行くのはやめさせろ」という。国際化というが、日本人はどれだけ内向きになって、心が鎖国してしまうのだろうか。そんな視点も考えてみて欲しい。

 

V時間目

 

 さて、前回まででISの台頭した背景、シリア内戦の現実などを見てきた。ここから言える課題はたくさんあるだろうが、いくつかを整理しておきたい。

 

 第一にイラクという国のあり方だ。マリキは退陣に追い込まれたが、今も政治は基本的に変わっていない。ISとの戦いの名の下にスンナ派狩りが行われるような状況を脱して、「イラクの国民的統一」が成し遂げられなければ、ISの問題は解決できない。これは他の誰でもないイラク国民によって成し遂げるべき課題だろう。彼らは長く世俗国家に生きてきた。だから、少し時間はかかっても可能なはずだ。

 

 二番目は、シリア内戦をどう解決するかという事だが、これは正直に言って、今の国際社会の現実ではとても厳しい。だが、それだとしても第三に、シリア内戦で生まれた大量の難民をどう助けるのかという問題がとても深刻になっている。

 難民300万人以上の多くは、ヨルダンにいる。ヨルダンは中東で唯一の安定した、安全な地域だった。しかし、あまりに多くの難民が入り込み、ヨルダン社会の安定が崩れる危険性も指摘されている。そうなったら、難民が行く安全な地域すら無くなってしまう。人道支援の拡大が本当に必要とされている。

 

 安倍首相は人道支援の拡大を言っている。それは本当に必要なのだが、考えるべき事がいくつかあるだろう。一つは、難民支援という事では「日本の難民認定ばどうなっているか」という問題だ。昨年、日本が難民として認定したのは授業でも扱ったがわずか6人だという。シリアからは数十人が申請したのに一人も認定していない。現地に近い所で救援する方が効率的とは思うが、この姿勢で本当に人道支援に積極的と言えるのだろうか。

また、今回の安倍首相の支援表明に対する現地の反応は必ずしも良い物では無かった、との指摘がある。以前、2004年のイラク人質事件で人質となり、現地の人々を説得して解放された高遠さんは、今もイラク支援に奔走している。彼女は、今回の問題が起きた中、ヨルダンにて「日本の支援は人道的なものだ」と話してまわった。ところが、「その支援がどこにわたるのか」が案じられるとの反応にぶつかった。「イラク政府に渡ったら、スンナ派への弾圧にお金が回ってしまうことになせないか」「そうでなくても腐敗がひどくて難民には行かないのではないか」という声が強かった、というのだ。日本の支援で感謝されたことも何度もあるのだが、今回は違っていた、と高遠さんは話していた。

 実際に日本のODAで自衛隊も派遣されたサマワを含む州の警察に「装甲車両」などが援助されたことがある。また、さらには「平和構築支援」と称して「現地警察の訓練」をイギリスの民間軍事会社に依頼する費用を出した、との指摘もある。これなどは、難民の人たちから見ると、スンナ派圧迫等の手助けを日本がした事になりかねないのではないか。これは私たちの税金が使われているのだから、私たち自身の問題だ。

 

[人質事件への様々な反応について]

 さて、今回の「人質事件」から様々な反応が出てきている。まず最初にこれを読んでみてほしい。「サンケイ」のコラムに掲載された文章だ。

 *サンケイのコラムを配布する。

【産経抄】2月7日 

http://www.sankei.com/smp/column/news/150207/clm1502070003-s.html

 パイロットが殺されたヨルダンは、空爆で55人も殺した。日本はまだ何もしていない。国民を守れない憲法なんていらない との趣旨の文を読む。

 

 つまり「改憲して、日本も報復攻撃をするべきだ」という事だろう。これも一つの意見だ。

ただ、私はこれを読んで二つのことを思い浮かべた。一つは、後藤さん殺害の報に安倍首相が「彼らに償わせてやる」と言ったこと。真意はよくわからないが、私はあれを聞いて9・11の時にブッシュ大統領が言ったことを連想した。そして、その後の米国はテロリストに付くのか、アメリカにつくのかと対テロ戦争を推進した。あるいは日本も同じ道を歩もうとしているのかも知れない。

 ただ、もう一つ思い浮かべたのがこれだ。・・・「百人斬り報道」を配る。日中戦争が本格化した時に、「どちらが早く100人を斬り殺すか」と競争したと、新聞が「美談」として持ち上げた。実際には軍刀で百人なんか殺せない、架空の話だ、との指摘もあるが、問題はそれが「美談」として報じられ、国民のある部分まではそれをすばらしいと思い、小学校の副読本にもなったという事だ。ヨルダンは55人を殺した、日本はまだ誰もやっていない…では、同じ発想になるのでは無いか。

 そもそも、この「やられたからやり返して当たり前」という考えは、ISの「言い分」でもある。それを認めるという事にならないか、というのが私は疑問だ。

 

 他方、イスラム教の指導者達からは「ISはイスラムから外れている」「一緒にしないで欲しい」という強い批判の動きがある。これについて、昨年の段階で宗教指導者たちが発した「公開書簡」があるのを、ダマスカスに留学している日本人がブログで要約して紹介したので、見て欲しい。

http://blog.goo.ne.jp/from_syria/e/4c17a629c66f7255aa4481dcee917b74

 

 ☆印の所から、何が違うかという事が列記してある。右側を見て欲しい。6にある殺してはいけないという事だが、「汝殺すなかれ」という十戒の一つはイスラムでもあてはまるのだ。また、「経典の民」と書いてあるが、イスラム教では授業でも扱った通り、モーゼ、イエスキリストなどはアラーが使わした事になっており、ユダヤ教、キリスト教などはアラーの神が与えた宗教なので、経典の民として尊重しなければならない事になっている。さらに、ヤズディー教徒について書いてあるが、これは世界史ではゾロアスター教として紹介されているもので、これも経典の民として扱うことになっているのに、ISはクルド人地域などでこれを殺戮しているのだ。もともとイスラムは他の宗教に対して寛容で、共存を図ろうとしたものだ。

 

 また、よく誤解のあるのが「ジハード」だ。大きな意味でジハードとは、「努力」という事でアラーの教えにそって日々、善き人として生きるように努力する事がもともとの意味だ。限定的な意味でジハードは聖戦となるのだが、それはもともと信仰を奪おうとする者に対する防衛的なものだ。

 

 このように、イスラム教徒からはISはイスラムの教えに反していることが警告されている事を、私たちはきちんと認識しておきたい。

 

 最後に、もう一つ別の視点からこの問題をとらえている指摘がある。後藤さんが殺されたと報じられる前日にHRNの伊藤さんという弁護士が書いた文章だ。全文はとても長いが、後で読んで欲しい。この文の最後の方にこういう指摘がある。

 *軍事的な勝利はない の部分を読み上げる (最後の部分に次のようにある。)

 

現地にいるある国際問題の専門家は、「イラクでイスラム国ではない平和な共存を求めている市民社会に対し国際社会の支援が少なすぎる。イスラムの未来世代・子どもたちの教育への投資・支援も少なすぎる。」と語る。

「イスラム国との戦いは何もこの砂漠で行われているわけではない。もっと違う世界中の町や教室で実は毎日繰り広げられている」「みんながもっと夢・希望をもっていきていける世の中にならなくてはしない。」という。

イスラムの人びとを絶望させ続けるような差別や仕打ちが国際的にも身近でも後を絶たない状況が続くなら、ISの隊列に加わろうとする人々は次々と出てくるだろう。

 

http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-bf73.html

 

今回の授業を考えるにあたっては、この伊藤さんの指摘をとても大きな参考にさせてもらった。問題を本質で考え、どうしていくべきかを考えないと、当面の対応だけではISの問題を解決することはできないだろう。

しかし、こうして見るとISの問題は、これからの日本のあり方を問うものとして議論されていることはわかるだろう。遠い世界の事としてではなく、同じ時代を生きている人々の事として、そして私たちの国のあり方を問う問題として、考えていく必要があるのではないか。

 

 さて、3回にわたって、ISの問題を考えてきた。それでは、今までの内容を振り返ってみなさんはISの問題についてどう考えるますか、考えたことを書いてほしい。

 

以上