「イスラム国」問題を考える授業 パート1

熊野谿 寛

 

理系クラス(現代社会・倫理分野) では、1時間だけを使ってISの問題を扱う事にした。ここでは、現代社会を倫理として構成して教えているので、イスラム教・宗教との関連を中心に置くことにした。イスラム教を扱った時には、「コーラン」(岩波文庫)中巻の一部を抜粋した資料を使って、ユダヤ教・キリスト教などとの関係をどう求めようとしたかにスポットをあてている。

 

1.    名称について(イスラム教とISとの違い)

 

 ISIS ISIL IS イスラム国 など様々な名称で呼ばれているが、「イスラム国と呼ばないで欲しい」という声がある。どうしてだろうか。

「風評被害があるんだよ」

 

 そうだ。風評被害という言い方とは少し違うかも知れないが、イスラム諸国や日本で暮らすムスリムの人たちから「あれがイスラムだと誤解される様な報道の仕方はやめてほしい」との声が上がっている。

 では、イスラム教から見てISの何がイスラムから外れているのだろうか。

去年のことだが、イスラム聖職者達がISに対して「君たち、イスラムのこの教えに反していないか」と公開書簡を発表したものが、ダマスカスに留学している日本人ムスリムのブログで紹介されていた。それを資料として配るので見て欲しい。

 

*別紙 ダマスカス留学生有志のブログからの抜粋を配布

 ☆印の所から、何が違うかという事が列記してある。右側を見て欲しい。6にある殺してはいけないという事だが、「汝殺すなかれ」という十戒の一つはイスラムでもあてはまるのだ。また、「経典の民」と書いてあるが、イスラム教では授業でも扱った通り、モーゼ、イエスキリストなどはアラーが使わした事になっており、ユダヤ教、キリスト教などはアラーの神が与えた宗教なので、経典の民として尊重しなければならない事になっている。さらに、ヤズディー教徒について書いてあるが、これは世界史ではゾロアスター教として紹介されているもので、これも経典の民として扱うことになっているのに、ISはクルド人地域などでこれを殺戮しているのだ。もともとイスラムは他の宗教に対して寛容で、共存を図ろうとしたものだ。

 また、よく誤解のあるのが「ジハード」だ。大きな意味でジハードとは、「努力」という事でアラーの教えにそって日々、善き人として生きるように努力する事がもともとの意味だ。限定的な意味でジハードは聖戦となるのだが、それはもともと信仰を奪おうとする者に対する防衛的なものだ。

 このように、イスラム教徒からはISはイスラムの教えに反していることが警告されている事を、まず認識しておきたい。

 

2.    バグダディとIS 彼らはどこで生まれたか

 

 ところで、ISの指導者とされる人は誰かな??

 ウサマビンラディン!! いやあいつは死んだぞ、誰だっけ?? バクダディだったかな

 そうそう、バクダディというのがISの指導者とされている。彼は2014年6月に「カリフになった」と宣言して注目された。「カリフ」って何か知っている??

イスラム教の偉い人かね??

 偉い人と言えばそうなんだけど、ムハンマドの正当な後継者という意味になる。だから世界中のイスラムは自分に従え、と宣言したという事でとても話題になった。

 でも、ISという勢力はどう生まれたのかは知っているかな??そこで、まずバグダディとISの誕生について、最初のビデオを見てもらいたい。(ビデオを見せながら、反対側のWBに内容を整理していく)

 

ビデオ NHKスペシャルの一部抜粋 バグダディは米国が二回捕らえていたが、釈放されていた。最初、何で捕まったかはわかっていないが、「コーランを静かに読んでいる青年だった」と看守は証言している。ところが、アメリカ軍のキャンプ・ブッカ収容所で過激派に影響されて過激派となった。さらに、ISの幹部となっている元バース党の軍人・官僚とも、同じ収容所で結びついた。 6分間

 *ビデオの途中で 「収容者が着ている黄色の着衣に注目」「二人が着せられたオレンジ色の着衣は、グンタナモでの収容者に着せられた服の色だ」と指摘。えーっ、この色にこんな意味があるのか??

 ビデオでの「アメリカが殺し損ねた連中」「何か良からぬ事をやろうとしていたのだろう」等の部分について、「アメリカの立場からの言い分だ」「片っ端から放り込んだので、理由などよくわからなくなっている」と注釈。

 

 このように、バグダディとISは、アメリカの収容所仲間が土台となっている。実際、彼らは最近のインタビューでも「自分達はアメリカの収容所がなければ生まれなかった」と語っている。アメリカが見境無く収容所に放り込み、その結果、過激派となって人脈まで育ててしまったのだ。

 

 ここで注意すべきは、「旧バース党」の存在だ。バース党は、フセイン政権を支えた政党だが、もともと「世俗派」で宗教性はない勢力だった。イスラム世界では、トルコのケマルアタチュルクの革命からずっと、「政治と宗教を分離しないと、イスラム社会の発展は遅れてしまう」という考え方でエジプト・シリアも近代化を進めてきた。イラクのフセインも独裁者だが世俗的な近代国家をめざし、イラクではシーア派とスンナ派が結婚することもごく普通にある世俗的な社会だった。

 ところがアメリカは、イラク戦争後にこのバース党を全面的に追放・迫害した。戦後のGHQによる占領では、アメリカは間接統治を行い、日本の官僚を一部だけ追放して使った。アメリカの中には、イラクでも同様にすべしとの意見もあったようだが、結果的には全面的に追放した。これが、イラク統治がうまく行かなくなった一つの背景でもある。フセインはとても強い独裁政権だったので、クルド人勢力を除くとイラク国内にはほとんど反政府勢力はおらず、反政府勢力は亡命して国内に弱い基盤しか持っていなかった。

 こうして旧フセイン政権を支えた旧バース党の軍人と官僚が過激派と結びついた。行政や軍を担ってきたプロが中心にいるのが、ISが単なる過激派とは違う点でもある。ただ、もともとの彼らは世俗派バリバリだったわけで、ISは宗教勢力なんかじゃないという面も指摘できる。

 

3.ISはなぜ台頭したか

 

 もっとも、この段階では実はISや過激派は、イラク国内では弱体化していた。

次にアメリカで昨年作成された「イスラム国はなぜ台頭したか」というビデオを見ながら、解説していきたい。これは、昨年末にBSで放映されたもので、アメリカの視点から描かれているが、比較的よくその背景をとらえている。

 

ビデオ 「イスラム国」はなぜ台頭したか アメリカ撤退の日、マリキ首相の訪米とオバマとの会談。しかし、マリキはその途中で電話があり、「副大統領が暗殺計画に関与した」と伝える。オバマは、「内政問題」との姿勢。ここからマリキによるスンナ派へ抑圧と弾圧が始まる。副大統領は亡命して不在のまま死刑判決を受ける。護衛達は拷問により「暗殺計画」を自白させられる。スンナ派市民へのシーア派民兵も動員しての弾圧と虐殺がすすめられ、街にはスンナ派市民の死体がゴロゴロと放置された。過激派との戦いをすすめていたスンナ派覚醒評議会もマリキは自分の地位を脅かすとして圧迫される。

 *「本当に死体がゴロゴロしていた様だ。この画像は鮮明ではないから見せられるけども。」と補足。

 

 一方、イラクのアルカイダはイラク国内で弱体化し、風前の灯火だった。しかし、シリア内戦に加わることで急激に勢力を拡大した。

*ビデオでは、アルカイダ系が反政府勢力の中心となった としていたので、「実はそういう事ではない」「彼らは、油田地帯の占領などに力を入れ、アサド政権とはあまり戦わなかったと言われている」「むしろ、世俗的な反政府勢力をたたいて、支配地を拡大した」と指摘する。

 

アルカイダ系組織は、やがてイラクに再び勢力をのばそうとする。この時期からISISを名乗る。

マリキ首相の下、イラクでは穏健な財務大臣まで追放され、スンナ派市民は平和的に反政府デモを始める。各国のスンナ派から支援がよせられ、デモや放送局を開設する費用はすべてこれらの富豪が援助していたという。ところが、ここにISの勢力が入り込むと、マリキは丸腰の市民に治安部隊を差し向けて弾圧、虐殺が行われた。マリキはスンナ派を攻撃すると、シーア派での自分の支持が高まるのを実感した。国際社会もアメリカもこれを黙殺した。

 *マリキの「実感」の所で「ここが怖いんだ」「敵をつくることで人々が結束して自分達の支持が固まると考える政治が紛争を作る」と指摘。

 

ISはスンナ派住民に「平和的デモではダメだ」と武装をすすめ、ISの軍事行動が拡大する。刑務所を襲撃して受刑者を解放、さらにスンナ派の若者が数多くISに参加し、穏健な部族の長たちも「奴らは好きになれないが、イラク政府軍から我々を守ってくれるのは過激派だけだ」とISを受け入れるようになった。

*ビデオでは、部族長が「アメリカ軍もいなくなったし」と言ったことになっているが、「これはアメリカの立場からの理解という面もあるだろう」と指摘。

 

(ビデオはここまで。以下は板書のメモを見ながらすすめる)

 

 ざっとISが台頭した背景を見てきたが、どうですか。米軍撤退後、イラクではアルカイダ系のテロリストは、大変に弱体化していた。ところが、彼らはシリア内戦に参加する。ここは国際社会も中・ロがアサド支持、欧米が反政府支持として対応が出来ず、化学兵器の使用禁止だけはすすめられたものの、実質的に有効な解決手段が無く放置されてきた。既に20万人以上が死亡・300万人以上が難民となっている。国連は治安が悪くて把握できないとして、死亡者統計をとるのを中止してしまった。シリアでは街に死体が累々ところがるのが普通とされ、クビを落とされるような事も日常茶飯事になった。アラブの春では、チュニジアなどでは独裁政権が軍隊に市民を弾圧せよと命じた事に対して、「同じ国民を殺せない」と軍隊から離反が起きて、革命が成功した。ところがシリアのアサド政権は軍を強固に固め、外人部隊なども使っていることもあり、軍隊が市民を殺戮してしまった。このため市民は武器を持ったが、自由シリア軍と名乗っても実際は各地のグループの寄せ集めで、いわば素人中心だ。さらに、治安が悪化すると、そこに様々な過激派も入ってきた。

ISはここに入り込み、サウジなどからの援助の分け前にあずかると共に、やがて油田地帯を占領し、占領地を持って勢力を固めだした。彼らは、軍事でも行政でも旧バース党のいわばプロなのだ。ビデオの内容とは少し違っていて、彼らはアサド政権より反政府勢力の支配地域を奪う方がカンタンな事をよく知っている。アサド政権はロシアの支援などで最新鋭の武器を持ち、空爆を行っているのだ。こうして彼らは力を付けた。

 

 一方、イラクでは当初はシーア派もスンナ派も、アルカイダ系を拒否して、掃討作戦が進められて、過激派は弱体化していた。ところが、マリキ政権の抑圧と虐殺、そして国際社会の無関心がスンナ派住民を「イラク軍よりもISの方がマシだ」としてしまった。

 マリキ首相は、スンナ派を攻撃して、「奴らが敵だ」と人々を動員することで、シーア派からの支持が自分に集まることを知った。つまり、宗教は利用されたもので、本質は宗教の対立では無く、政治権力の問題なのだ。ISも又元バース党が中枢を占めており、宗教を利用した権力闘争をすすめているのだ。世間では「民族紛争」とか「宗教対立」とかと言うが、大半がこうした政治の問題だという事を知っておく必要がある。そして、武力抗争に突入してしまえば、マリキが退陣しても状況はそう変わらなくなってしまう。

 

ではISの支配は実際にはどうなのかというと、二つの面があるようだ。日本人で唯一、昨年ISに3回取材に入った常岡さんというジャーナリストがいる。彼は6月には「首都」とされるラッカまで取材に行って生きて帰ってきた。そして、イスラム国の実態を知らせようとテレビ局に持ちかけたが、「今はワールドカップだからダメ」とフィルムを買ってくれなかったという。なんて事だろうかね。

さて、その常岡さんが見せられたのは、一つは商業の振興、食料の配給、ポリオの予防接種、教育などをすすめるISの姿だ。ISを担う旧バース党官僚があってこその統治力を持っている様だ。しかし。他方で毎週金曜日には公開処刑が行われる。ISに逆らった、ISの考えるイスラムに反した、犯罪者などが公開処刑で斬首されたりしている。それでも、治安が良くなったと評する声も聞かれたという事だ。もちろん、自由に見れたり物が言えるわけではないのだから、その点は踏まえる必要がある。

しかし、こうしてISは単なるテロリストではない事、イラクとシリアの深刻な人権危機と戦争に対して世界と国際社会が結果的には放置してきた事が彼らを台頭させたという事を、しっかりと見る必要がある。ISは単なるテロ集団ではないからこそやっかいなのだ。また、こうした現実は実際に現地に行くジャーナリストがいてこそ世界が知ることのできるものだ、という事も認識しておきたい。

 

*次の時間の最初に補足として、朝日新聞の土井氏の文を配布。「後藤さん物語」ばかりを流す報道は、彼が本当に伝えようとしたシリアの空爆や戦乱の中に人々が生きている現実を忘れていないかという事、日本人の命だけが大切なのかという問題、ベトナム戦争の時にはもっとたくさんの日本人が戦場取材で命を落としたが、決して非難されることはなかった事などを話した。