授業『エヴァンゲリオン』

熊野谿 寛
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はじめに 私はこの数年、高3の選択1・「倫理」という講座を担当してきた。受験体制をとる本校で はあるが、必修科目の関係で「社会科は受験にいらない」という生徒も高3で社会科一つを 選択しなければならない。そんな中で、「倫理」は「受験に使わない事を前提にする」講座で ある。今年の選択者は48名、約6割は理系の生徒たち。毎年、「受験じゃないなら簡単だろ う」と言う「期待」とは裏腹に、古代からの哲学思想の歩みを「資料を中心にたどる」事を 中心としてきた。意地でも資料集は使わない。自分で少なくとも一冊はとりあげる思想家の 本を読み、そこからとらえた内容から抜粋を自分で作る。しかし内容は難しく、全力でやっ てはいるが、自分が未消化の内容を生徒諸君に押しつけているやましさをかかえながらの授 業である。 例年、古代の思想家たちは取っつきがよい。それらに混ぜて、「魂は不滅か、死んだら消え るのか」、「自由とは何か」等の題でしばしば各自に文を書いてもらい、抜粋を配ったり紹介 したりしながら話すのも意外と評判がよい。だが、近代西洋思想に進むみヘーゲル、マルク ス、実存主義等にはいる頃になると、受験勉強が追い込みになる事もあって、私の『道楽』 に「つきあいきれない」生徒が増える。それでも10名くらいの諸君は、受験でも使わない この教科を試験前ともなるとやたら熱心に勉強してくれる。大学の一般教養の教科書を兄弟 から借り出す者、ヘーゲルだのフロイトの解説書を読み出す者など。推薦で大学が決まった 者もいるのと、試験があるのでやっている、という事情もあるが、ありがたい限りである。 しかし、12月の試験が終わってからの授業で何をするか、はたと考えた。最後はやはり 「現代と人間」というテーマに何らかの形で向かい合いたい。そこで夏休みから考え続けて きた二つの問題〜「神戸小学生連続殺傷事件」と「エヴァンゲリオンと青年」という二つの テーマを軸に、何時間かを構成してみようと考えた。
「エヴァ」を生徒たちはどう見たか まず、いつものように「作文」を書いてもらう。「1)1997年をふりかえって、『現代』と『人 間性』を考える」、「2)神戸小学生連続殺傷事件と『現代と人間性』を考える」「3)映画(アニ メ)『エヴァンゲリオン』とその流行に『現代と青年』を考える」の三つのテーマから一つを 選んで、「10行以上書け」という課題である。自習を期待していた向きもあるようだが、「え ーっ、なんだこれぇ」と言っている。特に『エヴァ』について「なんだなんだ」という感じ だ。そこで、「いや、僕はあれにハマったんだ。実に面白い。で、あれこれ考えてとある雑誌 というか、機関誌に原稿を投稿したら載せてくれるという事になったんだ」なんて事を話し た。しばらくすると大半が懸命に書き出した。時間中に書き終わらず、後で書いてきた者も 数名。持ち帰ってから、宝物のように読み返した。 その中で、次のようなM君の文がまずもって眼を引いた。 1)「『エヴァンゲリオン』をみて、僕はとても嫌な気分になった。心の奥の底の自分自身、必 死で隠している様な痛い所をつかれた気がした。きっと、この気持ちは僕だけじゃなく、『エ ヴァンゲリオン』をみた人は誰もが思った事だろう。そのなかでも、とりわけ10代であっ て、そして男子であった僕は、『エヴァンゲリオン』が言わんとした事を、そのまま素直に現 実に置きかえる事ができたと思う。とても、内気な男の子はいつも決定力が無く、優柔不断 で、社会をまわしているのも、その男の子の回りも、今や女性の力の方が強い。その中で、 男の子の心はどんどん内へ内へと、気持ちを秘めていく。そしていつしか、突発的に全て吐 き出すように狂った行動に出る。 そういえば、たまたま今日の朝のワイドショーを観ていたら、交際中のカップルだったの だが、男はいつも女に色々きつい事を言われ続け、尻にしかれていたため、ついに殺人を決 行した、というニュースをやっていた。この様な例はいきすぎた例かも知れないが、現代の 青年男子は、いつ、このような事になるかわからない様な状態にある人もとても多いと思う。 『エヴァンゲリオン』が言おうとした事は、他にもたくさんあったが、この事が僕が青年 男子として一番感じた事であった。優柔不断の青年男子はきっとみんな、心の奥の底の必至 で隠している部分、人には絶対に感じ取られたくない部分を、見事『エヴァンゲリオン』に よってエグりとられ、公表された。おかげでとても嫌な気分になった。」 かつて彼を担任したことのあるA女史に見せると、M君は「まさにこの通り」「ナイーブな 感性の持ち主で、考える力のある奴だ」「だけど、活かしきれなかったなぁ」との事である。 シンジに自分を重ねて考える彼の存在は、「エヴァ」と青年、特に「男の子」の内的世界との つながりを象徴的に示していると思われる。 一方、学年トップの成績をとるSさんもまた、別の意味ではあるが『エヴァ』にはまった、 と書いていた。彼女は言う。 2)「私は初め、『エヴァ』の持つ、あの一種独特な世界観に多少なりとも嫌悪感を感じました。 しかし、主人公シンジの不思議なまでの内向的な性格、内罰的な行動に、今までのアニメに はない斬新さを感じ、どんどんのめり込んでいきました。『エヴァ』は、スピード感、情報量 の多さ、練り上げられたストーリー展開(25・26話で破綻をきたしますが、その謎の多 さがまた好き。)、魅力的なキャラクター(やはりカオルでしょ)、繊細な絵、どれをとっても 最近のアニメの中ではずば抜けていますが、やっぱり流行した一番の理由は、登場人物たち が抱えるトラウマだと思います。視聴者はキャラクターのどこかしらに自分を重ね合わせ、 共感せずにはいられないのだと思います。…たぶん、その人たち(編注 大人たち)も若い 頃には特定の文学作品に傾倒したことがあるんじゃないかな。時代の流れでその媒体が変わ ったというだけで、あんまり考え方は変わっていないと思う。私自身は『このキャラクター は私と同じだ』みたいなハマり方ではなかった。単に絵とストーリーとあのオシャレな所と 謎の多さが好きだったんです。特に『直角折れキャッチ』!すげーオシャレ。うーん、でも なんて言うのかな?特にミサトが加持くんが死んだ後にテーブルに突っ伏して泣くじゃない ですか。あと、劇場版のエレベーターの中でシンジが泣くところ。あれはこっちがツラくな るほどかなしかった。…でも、あのコスプレしている人たちは気持ち悪いです。ワタシ的に は。そういうのを単なる趣味としてやっているならOKだと思うんだけど、『これが私の人 生』みたいなハマリ方だとねぇ 親泣くって、ホント。『現実ちゃんと見ろ!』って言いたく なります。多分、庵野さんもそういう逃避人間に対する批判も込めて『エヴァ』をつくった んだと思うけど。…私にとっての『エヴァ』は、今年2番目にハマったモノに過ぎませんし、 私の中では完結してます。(レイに巨大化されちゃ、手も足も出ないよ)でも、シンジの『逃 げちゃだめだ!!』は心のかたすみにいつも置いておこうと思います。ハイ。」  中学時代にすでに「沈黙の春」を読み、哲学・文学と様々な本を自分なりに読める彼女に とっても、『エヴァ』の「逃げちゃダメだ」と自分に言い続けるシンジの姿などが、リアリテ ィを持ち迫ってくるものがあったのだ。 さらに、神戸の「連続小学生殺傷事件」と「エヴァ」にかかわってK君は次のように述べ た。 3)「…一つ気になったのは、2)と3)は題材は違うが非常に共通点が多いことだ。…14歳と いうのが実は3)にも深く関係している。3)でも14歳が一つのキーポイントのような気がす る。自分自身が14歳の時をふりかえってみても、たいして深く考えることはそんなになか ったかも知れない。あまりその年齢を意識してはいなかった。今考えてみると不思議な年齢 のような気がする。3)の物語の主人公は深く悩む事が多い。自分の心の世界に閉じこもるこ とも多かった。…このアニメではそうした心のもやもやを『映像』として映し出している描 写が多い。そして、これが2)でも大きな問題の一つだと思う。」  これは私が最初、『エヴァ』にのめり込んでいった時に考えた事である。 もちろん、「ハマった」「共感した」というようなものだけではなかった。どちらかと言 うとしっかり者のAさんは次のように書いた。 4)「最近の主な事件や流行を振り返ってみると、全て『孤独』というものに結びつくと思う。 たまごっちだって、たまごを育てることによって自分の必要性を確認していたようにも思わ れる。『エヴァンゲリオン』なんて、その象徴だと思う。私が見て考えた意見では、すごく共 感できる部分もあったが、なぜそんなに生きることを深く考え、不安感や孤独感、疎外感を 感じ悩むのだろうか、ということだ。そして現代の中高生たちはこれに共感し、同じように この感情を抱き、自分の存在の必要性なんてものを求めるようになっている。こんな精神状 況にいじめなんかが加われば、自殺してしまうのも当然と言えるだろう。…人と人との結び つきが薄れてしまった物狂おしい世の中では、現代の子どもたちは淋しさをいやす方法など も知らずに人間性が確立してしまうのだろう。そして心の中では人とのかかわりあいを求め ているにもかかわらず、その方法がわからないというあまりに悲しい現象がおきてしまって いるのである。」 孤独にはまって考えすぎる…それがエヴァの世界だ、そんな事でどうするんだ、というの である。 また、高校卒業後に渡米して「自分で生きていく」という道を選択した演劇部のYさんは、 より明確に次の様に言い切って、『エヴァ』の世界への批判を述べた。 5)「現代は確かに多くのことが規制され、整理されつつあるし、整備された道を通っている 青年たちの行き着く先もやはり決まっているように見える。…自分一人存在しなくても、世 界の流れがかわることはないだろう。そんなの誰だって言えることだ。アメリカの大統領が 死のうが、自分が死のうが、流れの中でその穴はすぐにふさがっていく。主人公の少年にい わせれば、それが必要とされていないということかも知れない。思うに他人がどうとかとい うよりは、主人公の少年は自分が嫌いなだけではなかろうか。欠点を見つけるのは長所を見 つけるよりも簡単だし、その多くが長所であるのだから、欠点をつきつめていくのは馬鹿み たいな気がする。自分のことを嫌いなのを人のせいにして迷惑な話だ。ともかく、現代の青 年は他とのかかわりをさけがちだ。…自分の殻に閉じこもってしまった人間にとって、その 人の抱えている問題は生死に関わるように重要なものかもしれない。傍らから見てしまえば、 『またか』という感じだが。」 いつでもズバリと物を言える彼女らしい見方だ。だが、なぜシンジは「自分のことが嫌い」 となっていったか、というあたりを考えて見る必要があるだろう。 さらに、「何をいい大人がアニメなんて」と批判したのが、とても真面目なTさんである。 6)「…アニメというのは子供が見るものではないのだろうか。だいの大人がアニメにハマっ ていて良いのだろうか。…朝、満員電車の中で背広を着たサラリーマン風の人たちが、週刊 マンガを中高生と同じように読んでいる姿も、よく目にする。ああいう光景も、私から見る となさけないとしか言いようがない。私の方が何故か恥ずかしくなってくる。…先が思いや られるという言葉がピッタリな時代だと思う。」 これは「何をそんなテーマで書かしたり、授業をやろうっていうの」という事でもあるん だろう。だいたい訳がわからん哲学者ばかりやってきて最後に『エヴァ』だから、当然と言 えばそうだろう。だが、アニメも哲学も文学も、一つの表現ではないかとという事について、 答えなくちゃいけないだろう。  この様な作文を読みつつ、授業の構想を練った。
授業「エヴァンゲリオンと青年」 ビデオと大きなテレビのある教室に会場を移して移動するように連絡しておいた。「おっ、 今日はエヴァンゲリオンを見るんだぜ」と教室で話してようだ。最初に資料プリントを配る。 ストーリーダイジェストは庵野監督の長編対談集から抜粋した。それと、「高校生活指導」誌 に投稿した元原稿の一部を抜粋したものをプリントした。 1. なぜ、エヴァに注目したか 今日はエヴァンゲリオンと現代の青年という題でやってみたいと思います。なぜ、エヴァ に注目したかと言いますと、アマチュア無線でのパソコン・ネットワーク仲間から熱心にす すめられた事がきっかけでした。そして夏の再放送をビデオに撮って全部見て、その足で映 画館に行って最終編もみました。私の場合、一回目を見てのめり込みました。その時に一番 考えたことは、このシンジも「神戸小学生連続殺傷事件」の少年と同じ「14歳」だ、「14 歳」がこのアニメでは大きな意味を持っているようだ、これは面白いぞ、という事でした。 これについては、K君も同じ様な事を書いてます。 作文1 ここでKの文(3))を読む。 では、話していただけでは、イメージもわかないと思いますので、最初に「第一話」の一 部を見て下さい。 2.「逃げちゃいけない」をめぐって   ビデオ1 幼い頃に棄てられた父に呼び出されてでかけたシンジ。その日に「使徒」の襲撃がある。 NERFの基地についた所で、目にした巨大なロボット。父ゲンドウは久しぶりに会ったと 思ったら突然に、「出撃!!」と言う。「父さんは僕の事がいらないのじゃなかったの」「必要 だから呼んだまでだ」「そんな見たことも聞いた事もないものに乗って戦うなんてできるわけ がないじゃないか」「乗らないのなら帰れ」と言い放つゲンドウ。「乗りなさい」というリツ コ。「何のためにここにきたの」「お父さんから、自分から逃げちゃダメよ」と言うミサト。 そして、ゲンドウが「レイを起こせ。予備が使えなくなった。」と命じて引き出されたのは、 実験中に重傷を負ってベッドに横たわる少女だった。その時、使徒の攻撃で上から鉄骨が落 下するが、起動していないはずのエヴァが腕を動かしてシンジを助ける。ベッドから落ちた レイを抱き起こすシンジの手に血がべっとりついて、レイは苦しそうにうめく。「逃げちゃい けない、逃げちゃいけない」とシンジはつぶやき、「僕が乗ります」と搭乗する事になる。(約 5分) さて、これが第一話の山場です。暗いでしょ。ここに出てくるシンジは多分、今までのア ニメ史上最弱の主人公でしょう。母をなくし父親に棄てられて、八王子かどこかの田舎にい る「先生」に預けられていました。彼はいわば何も問題もなく、まわりの言うとおりに、求 められる事を受け入れて生きてきたのです。そのシンジが、ある日呼び出されて行くと、ゲ ンドウはいきなり見たこともない「エヴァに乗れ」というのです。これはむちゃくちゃな話 です。このゲンドウという人は、エヴァのキャラクターの中でも最も評判の悪い人です。パ ソコン通信なんぞでは「ゲンドウくたばれ」みたいなメッセージが飛び交ったようです。し かし、シンジはここで「逃げちゃだめだ」とエヴァに乗ることを受け入れてしまいます。ま た、ここでエヴァが勝手に動いていますが、やがてはっきりして来ることには、エヴァの中 には、実は彼の母親の魂がコアとして宿されているという設定になっています。 この後、シンジは何度も「何のためにエヴァに乗るんだ?」と自問しながら、正体不明な 「使徒」と呼ばれる敵と戦い続けていきます。この途中の部分では、とても活発なアスカと いう女の子も出てきますし、もう少しイメージは明るくなります。ここらへんはいわゆるロ ボット・アニメとして見ることができます。 ところで、なぜシンジは「逃げちゃだめだ」となるのでしょうか。彼は「逃げるとつらい んだ」とも言っています。シンジは、普通には「良い子」「特に問題のない子」で、回りの求 める事をそのまま受け入れる事で生きてきました。他人の評価が彼にとっての全てなのです。 ですから自分のことを、彼は好きになることができません。自分のことが嫌いなのです。そ して逃げてしまうと彼は自分の価値がなくなってしまうと思えてしまうのです。父親に棄て られた存在であったシンジにとって、「人の言うことを聞いて生きなければ、自分はまた棄て られる」と思えてならないのでしょう。何度も挫折しながら、彼はエヴァに乗り続けていき ました。 こうしたシンジの姿に、とても「痛い所をつかれて嫌な感じがした」という感想がありま した。これはちと名前は出しちゃ悪いので、匿名にしましょう。   作文2 ここでM君の文(1))を紹介 その後、シンジは次々と使徒と闘い倒していきました。しかし、最後の使徒との闘いにお いて彼は完全に人格的に破綻してしまいます。彼が初めて「好意」を抱いた同性であったカ オルが、実は使徒だったのです。そして、シンジは自らの意志でカオルを殺してしまいます。 その後で、「彼こそが生きるべきではなかったのか」「自分はなんなのか」とシンジは引きこ もってしまいます。さて、そうして展開する最終二話こそが、エヴァンゲリオンが普通のア ニメとは違う所です。アニメがストーリーである事をやめてシンジの内的世界の描くことだ けを追求しはじめるのです。もっとも、テレビ放映で見ていた人に聞いてみると、「なんだこ れは。わけがわからん」と大変頭にきたそうですが。 さて、では次に、その一部を見て下さい。 3.自分のイメージを持つこと ビデオ2 シンジの内面での葛藤が描かれる。登場人物が次々と現れて、シンジを激しくつめ、厳し いやりとりが続く。その中で、自分のことが嫌い、他人とかかわる事が怖い、そんなシンジ の姿が暴かれていく。 シンジだけがいる何もない「自由」な空間。しかしそこでは自分をイメージすることはで きない。「不自由をやろう」と言う声と共に大地ができ、シンジは歩くことができる。「だが、 自由が一つ失われた」との声。しかし、シンジは誰もいない中では自分のイメージが持てな い。「他人と比べることで自分のイメージをかたどっているのね」の声。自分と他人の関係の 中で、初めて自分のイメージを持つことができるようになる、人との関わりの中で自分を自 分自身によってつくる事が出来る、という事に気がつく。  (約7分)  この場面は実に面白い場面です。何もない「自由な空間」に大地が生まれていくというあ たりは、創世記を思い起こさせます。エヴァはそういう点では、実にたくさんの要素を持っ てきており、Sさんが書いていましたが、これも面白いという理由の一つでしょう。例えば モチーフに使われた「死海文書」というのもそうです。これは1947年に死海で発見された 起源1世紀頃の資料なのですが、旧約聖書について全くの異聞を伝えているものです。この 文書には黙示録のような捉え方、終末感的な見方が強いらしく、謎が多いこともあってモチ ーフとして役立っています。また、タイトルにも「死に至る病」なんてキルケゴールの本の 題名が出てきたり、パクリも多いです。 話を戻しましょう。ここで、シンジは「逃げちゃいけない」と自分を外からの視線だけで しばりつけてきた自分から脱却を始めています。そして、「自分のあり方は自分自身でつくっ ていくことができるんだ」という事を「発見」していっているのです。ここで描かれている ように人間は自分だけでは自分のイメージを持つことは出来ません。他人とぶつかり、他人 の持つ自分へのイメージがあってこそ、それに対するものとしての自分の持つ自分へのイメ ージを持つことが出来ます。しかし、その時に大切な事は、あくまでも自分の存在はかけが えのないものであって、自分は自分自身によって作られるという事です。そうした存在証明 が持ててこそ、人は他人とかかわり続ける事が出来るのです。テレビ版の中ではこうした問 題は心の中でのドラマとしてだけ描かれるのですが、このあたりが、夏の映画版ではストー リーとしてより明確になっています。すべての人間が「補完」という名の下に溶け合ってし まった中から、シンジは自分の意志として一人一人が別の人格を持つ人間としてぶつかりあ いながら生きていく事を「選択」していっているのです。 そして、プリントした抜粋にも書きましたが、映画版のラストシーンは思わず「ナンダコ レ」と隣の人と話したくなるようになっています。具体的な話をしてしまうと、「ネタバレ」 という事になるのでさけておきますが、これは、観ている者たちに「おい、アニメの世界だ けでの完結した結論を求めるな。隣の奴とぶつかってみろよ」というメッセージのように思 えるのです。 これに関わって『エヴァ』で特に大切なのが、『ATフィールド』でしょう。これは作品の 最初の方では「バリヤー」みたいなイメージだったのですが、次第に自分と他人とを隔てる 境界、自我境界である事がはっきりとしていきます。ATフィールドを持つことができてこ そ、他人と関わり、他人とぶつかりながら自分の存在を肯定していくことができるのです。 4.エヴァンゲリオンから読みとったもの さて、私たちは実に強圧的な価値観に縛られて生きています。「学校にいかなくてはならな い」「良い子でなくてはならない」「落ちこぼれてはならない」「男ならばこう生きなければな らない」などなど。こうした中で、自分を常にそうした物差しでとらえ、なによりも自分自 身が自分を断罪してしまう事になりがちです。「不登校」とか「引きこもり」という問題が言 われていますが、これらの多くでは、支配的なものさしと他者の評価に対して、あまりに自 分が開かれ過ぎている中で起きてくるのです。 ここで大切なことはなんなのか。エヴァの作品世界が求めるのは「ATフィールド」を持 ち、自分を自分で受け止めよう、自分を愛するものとして守ろう、そしてこそ他人ときちん と関われるんだ、あなたにとってあなた以上の物はないし、自分のあり方は自分で選択して 行けるんだ、という事なのではないか、と思うのです。ここから考えると「逃げちゃいけな い」のではなくて、場合によっては「逃げてもよい」という事だと思います。自分にとって もっとも大切な自分を守るために逃げることがあってもよい、自分をATフィールドで守り ながらであってこそ、自分として他人とかかわりながら生きていく事ができるのだから、と。 このあたり、10年に一度の人気アニメであった「機動戦士ガンダム」と比べてみると対 照的でしょう。ガンダムでは、「ニュータイプ」という言葉が作品の途中から使われだしまし た。そしてそれは、「言葉で話したり、ぶつかる事なんかいらない。心が通じ合えるようにな るんだ。わかりあえるんだ」という意味で「共感」されていったのです。これに対して、エ ヴァは、「他人と関われぶつかれ、不器用でもよいから。そのために自分をATフィールドで 守れ、そうしてこそ他人と関わり自分で自分自身をつくる事ができるんだ、」と観た者にゴツ ゴツとぶつかってくる作品だと思うのです。 私の高校時代にあたる宇宙戦艦ヤマトでは、主人公の古代進は「欠陥人間」として、悩め る存在として描かれ、それが注目を集めました。続くガンダムでは、より悩みと迷いは深く なりましたが、その出口は「心で通じ合える」という所になってしまった気がします。エヴ ァの主人公シンジは、今までのどの主人公よりも「だらしない」「情けない」存在です。しか し、この設定そのものが、そのまま時代と人間にとっての環境と人間性の変化を示している と思われます。だからこそ、そのシンジが人間との関係を結んで生きていこうとする所にエ ヴァの「結論」がある、という点にとても大きな意味を感じるのです。 5.アニメというもの さて書いていただいたものに、「いい歳をして大人がアニメなんてはまるな」という意見も ありました。確かにアニメだけが全てというのではいかにも寂しいと思います。しかし、ア ニメもまた時代の一つの文化なのだという事は確かではないでしょうか。私は高校時代、文 芸部で「宇宙戦艦ヤマト」を題材にあれこれと議論をしました。大学時代には、映画版のヤ マト第二作の「特攻シーン」について、「有事立法問題」や「日本の軍国主義的復活の問題」 とだぶらせて、口角泡をとばして議論しました。今年は、「エヴァンゲリオン」から深層心理 学に関心を持ち、授業でもフロイトを取り上げましたし、ユングなど深層心理学の本を読み 出しました。アニメやテレビの番組〜これらも人間に対して大きな影響を持っている文化な のです。そして、その作品世界をどう考えるかということも、一つの「論」として十分に成 り立つものだと思います。 今日は「エヴァ」を題材に私の解釈を中心に話してきました。もちろん、これ以外にもこ の作品の捉え方は可能だと思います。私には「現代と青年」という事を考える上で、エヴァ ンゲリオンはとても魅力的な作品でした。    以上で授業は終わった。一応の筋は考えていたものの、終わったらぐったりと疲れてしま った。久しぶりに、必至で考えながら話し続けたという感じの授業であったからだろうか。
授業のあとで 昼をはさんで中3の授業を終えて戻ってくると、演劇部のKさんが送ればせながら、先の 作文用紙に今日の授業の感想を書いて、机の上に置いてあった。 7)「…まず、今日の『エヴァ』を題材として行った授業、これによって私は初めて『新世紀 エヴァンゲリオン』を理解したと思います。今までは例えて言うならATフィールドがなか った状態ってカンジでした。私自身はリアルタイムで最初から観ていたものだから…TVか ら流れてくる情報がすべてでした。…私は春の映画はもちろんのコト、夏の映画に対しても 激怒した人間です。(結局、よくわからなかったから)…“終劇”の後ではモロに隣に居た友 達に話しかけてしまいました。…カントクが仕掛けたであろうわなに見事にひっかかってし まい、我ながら情けないです。…」 やはり作品にのめり込んだ人でないとわかりにくかったようだ。どちらかと言うと、流行 だからと見たらしい人は、「うーん。難しかったからよくわんないよ」と担任に言っていたら しい。 その後、最後の授業の日、一年間あるいはこの三回ほどの内容について感想を書いてもら った中にも次のようなものがあった。 まずは先に「いい大人がアニメなんて」と書いたTさん。 8)「…エヴァンゲリオンを初めて見て、ハマッてしまう人が多いのがわかる気がした。でも、 私はあのアニメを作った人の事が心配になりました。ああいうことを、作者が考えているの かな〜?と思うと、そっちの方を考えたほうがいいのではないか!?と。…」 彼女には縁のないアニメの世界ではあるが、「どうして流行したのか」はなんとなくわかっ た気がしたようである。しかし、自分の存在を確信できる彼女には、この作品は全く違う世 界なのかも知れない。 また、Sさんはこう書いていた。 9)「…この間、授業で見た時、もう何(十)回も見ていた映像(台詞もほとんど覚えている) なのにやっぱり引き込まれました。初回のインパクトはすごいよ。あのシンジの精神的おい つめられ方スゴイ。今まであんなアニメなかったと思う、しみじみと。…私が一番好きなセ リフは、アスカの『誰かにほめられるためじゃなくて、私は自分で自分をほめるためにやっ ている』(有森さん入ってる)、ってヤツです。」  いわば「トップ・コース」を歩んできた彼女にとって、このアスカの言葉は自分自身のも のであるのだろうか。ちなみに授業ではアスカ論にふれる時間がなかったが、アスカは「1 4歳で大学を卒業したエヴァのエリートパイロット」を自認していた少女。この台詞は、直 前にレイから「あなたは人にほめられるために、エヴァに乗っているの」と詰め寄られ、言 い返す台詞である。このあたりを語り合える授業だともっとおもしろかっただろう。  私自身、授業をやってから、正月にもう一度全ビデオを通してみてみた。無線仲間、ネッ トワーク仲間の忘年会やお茶会でも、ひとしきり「エヴァ」論を交わした。そこでの議論は つまる所、自分である事の確証をどこに持つのか、現代はそれが持ちがたいのではないか、 という問題に行き着いたように思う。 年が明けてしばらくすると、中学生教諭刺殺事件などが続いて起きた。第一報を聞いて最 初に思い出したのは、M君の作文であった。 「とても、内気な男の子はいつも決定力が無く、優柔不断で、社会をまわしているのも、 その男の子の回りも、今や女性の力の方が強い。その中で、男の子の心はどんどん内へ内へ と、気持ちを秘めていく。そしていつしか、突発的に全て吐き出すように狂った行動に出る。」 刺されて亡くなった女の先生は、とても真面目で、いつも生徒と正面から向かおうとした に違いない。だからこそ、彼はキレてしまったのではないだろうか。こうした「男の子の問 題」という視点から、この作品を考えることもできるだろう。 それにしても、ナイフの所持に「自分の安心感を感じる」という子どもたちの存在が伝え られている。それを聞いて私は、銃を持たないと不安感を持つというアメリカ社会を思い起 こしつつ、「ATフィールドを持てず、自分の存在に確証をもつことができない子どもたち」 とつぶやく。目下、春の再上映を楽しみにしつつ、エヴァの世界と現実との間を往復しつつ 反芻する日々である。 *本ページに使用した画像は、(株)ガイナックスの「ホームページ等掲載の基準」に基づいて掲載しています。無断転載・再配布を禁じます。