今年のお題 「コロナ禍時代の野外活動」OR「ステイホームの野外活動」

 

顧問 熊野谿 寛

 

 今年はともかくこんなタイトルしか出てこない。まあ、今年の高校2年生はインドア系部員が大半なので、臨時休校や何やらで実は快適な日々を送った者も多かったのではないか。あるいは、家の庭やベランダで、一人ガスコンロでお湯を沸かしてコーヒーを入れたり、カップ麺をこそこそと食べて、小さな幸せに浸っていた者もいるかもしれない。部員諸君の個性ある原稿を期待したい。

 しかし、山屋の端くれたる者にとっては、今年ほどひどい年は滅多にあったものではない。戦時中でも、日本の山屋はこっそりと山に行き、岩や沢と戯れた。奥野章の「山靴を履くとき」に「三つ峠で岩登りに行くと、『この非国民、有り金全部を国防預金に出せ』と追いかけてくる連中を振り払って山に入った」との話があった。残念ながら、日本にはリカルドカシンの様にレジスタンスで山岳部隊に岩登りを指導した人はいなかった。しかし、山を思い、隠れても山に行こうとする人はいた。

 しかし、このコロナ禍の「自粛」は実に厄介だった。実際に遭難事故者に感染が疑われる事態が生まれた。山岳救助隊は防護服を着て出動して救助活動にあたる。…それはなんと困難な事だったろうか。勢い、非常時だから移動も自粛だ、山に入るな、登山道は閉鎖だ…とあっと言う間に山岳四団体も自粛を呼びかけた。確かに社会が危機に陥った時、一人一人が何を考えどう行動するのかはとても大切だ。自粛期間、全く山に行かなかった。こんなに長くSTAY HOMEしたのは、人生で初めてだ。息が詰まると自転車で都内の車道を走り回り、新宿の自宅屋上で夕暮れに風を受けながらビールを飲んだ。久しぶりに無線設備を整備して交信した相手はE2STAYHOMEというタイのコロナ対策特別局だった。

 しかし、緊急事態宣言が解除され「ゆがめられた日常」が戻った後に、第二波、三波が当然に予想されるのに、果たして何が優先されてきただろうか。もちろん、「経済」とは人が生きる事そのものであるから、それは大切だ。だが、そこで考えていた「経済」は、一人一人が人間らしく「安心して生き続けるための条件」を整えるものだったろうか。第二波、第三波に備え、生命を守って、一人一人が人間らしく生きることを支えるため整えるべきことが行われてきたのだろうか。合併・廃止で4割も削減された保健所での過酷な労働、医療法人の多くの経営困難と過酷な労働、公衆衛生と検査体制の整備など、改善どころか都立病院再編など逆の動きが進んでいる。

翻って言うと、山に登ることは山屋にとっては「生きる事」そのものだ。私たちは、憲法13条が規定する「幸福追求の権利」の一つとして山に登り、自分の生命を燃焼させてきた。今、毎日の最低限の生存すら脅かされ、生きることそのものに危機をかかえる人たちがたくさん生まれている現実は、何よりも優先して解決されるべきだ。しかし、その打開と共に、否、真の打開のためにも、私たちはもっと安心して生き、安心して学び働け、安心して遊べ、山にもいけることを保障しようとする社会への転換を強く求めるべき時なのではないだろうか。

コロナ禍での「自粛」から人として生き続けるための「要求」へ、今、社会の根本的な転換が求められている。