巻頭言 20年目の夏

 

顧問 熊野谿 寛

 

 今年で野外活動部の夏合宿も愛好会時代から数えて20回目を迎えた。こんなマイナー部活が、よくもまあ続いたものである。

20年前に「第二海砲に行くか、それとも宝川・ナルミズ沢に行くか」と話し合って、初代部長たちが選んだのは宝川・ナルミズ沢。水上からバスで山奥の宝川温泉に入り、そこから歩いて広河原にテントを設営したが、イワナ釣りよりも清流の水遊びに彼らは夢中になっていた。翌年は、奥只見・恋の岐沢で国道の橋の横にテントを張り、釣り仙人たちは大雨の中で毎日イワナを釣って、豪雨の中でたき火をオキにして、じっくりと焼いてくれた。今考えると、海釣りが「日常」だった彼らには、山と渓流・源流釣りが新鮮だったのだろう。次の代でも、奥黒部ヒュッテや東北の乳頭山など、遠くて秘境に近い場所…という合宿が多かった。そんな具合で、山に行く前には丹沢でボッカ訓練もやった。表丹沢は小草平や葛葉川などでやさしい沢登りにも連れて行った。どちらかと言えば学校生活からはみ出してしまいがちな諸君と、彼らがあまりやったことがない体験と時間を共にして、彼らと居場所を造る…というのが、部のコンセプトだったと思う。

 ところが、最近の状況は大きく違う。特に今年は何の間違いか、中121名も入部してきた。これは「本当に勘弁してよ…」という事態である。高2とは、「まさか、そんなにたくさんは合宿には来ないだろう…」と話していたのだが、予想(期待??)に反して総勢38!!?? こんな人数でのキャンプなんてありえない。佐渡島の夏合宿に行く夜行バスも、一つの路線では乗り切れず、複数の経路に分割する事になった。佐渡島の島内でも、一日5本のバスなのに、二台に分乗しないと乗り切れないのだ。合宿恒例のサイクリングも、レンタル自転車がそろわないのであっさりと中止した。卒業生の元部長にコーチとして助けてもらって、なんとか乗り切ったが、テキパキと指示を飛ばしていた高2部員から「ビシッと言って、後輩がハイッ、ハイッて返事するなんて、運動部みたいだ。こんなの野活じゃないよな」とのグチがこぼれていた。

 なぜこんなことになったのかはよくわからないのだが、「ブラック部活」が話題になるご時世なので、世間は「ユルイ部活」を求めているのかも知れない。ただ、こんな人数では「何もできないからつぶれてしまうじゃん」というのが、現在の嘆きである。自然の中での活動なのに、人間との関係でのリスクばかり考えたり、対策するのでは、何をやっているかわからなくなってしまう。

 顧問の私も20年間は年をとったわけだが、さあ、この先はどうしたものだろうか、そろそろ店じまいかな、と思案する日々が続いている。