「天国と地獄」

顧問 熊野谿 寛

 今年の「お題」は、「夢の(又は 悪夢の)アウトドア」。〜実は私が読みたいのは「悪夢」の方である。だいたい、「楽しかった」とか、「すばらしかった」という体験は忘れやすいが、「悪夢」「もーっ、最悪」という体験は、いつも思い出される。そして、それを思い返す中で、何かを学ぼうと思ったり、次はこうしようと考えたりする。そう考えると、「悪夢」ばかりでも良いのだが、それではさすがにあまりに自虐的だ。ただ、「楽あらば苦あり」という以上に「苦あれば楽あり」なのだ。

 ところで「悪いこと」は、続くから怖い。去年の3月、八ヶ岳・赤岳西壁に夜行日帰りで出かけた。その前週はピーカンの中で小同心ルンゼを登攀したのだが、この日は違っていた。行者小屋に着くと降雪で空は真っ白。しかも、アプローチの文三郎尾根には踏み跡が無い。「どうしようか」と言いつつ、成り行きでラッセルして一番で主稜に取り付いた。気がつくと完全な吹雪で、風が吹き付ける結構な冬壁になってしまった。

そして、上部岩壁を微妙なバランスで岩を登っている時に、ヘルメットに付けた動画カメラがポロッと落下した。馬鹿なことに、「あれっ?」と手を出して拾おうとして、自分が落ちた。幸い岩角に巻いた支点とビレイで止まったが、ヘルメットをぶつけて軽い脳震盪でふらつく。でも、登らなければ帰れない。深呼吸してから登り切った。

山頂に出たが、あたりは吹雪で真っ白。ホワイトアウトか。地蔵尾根もトレースが無いぞ。…なんてノソノソしていたら、相棒が「ガスは晴れてきた」と言う。えっ?!見えない…??視界がおかしいのだ。ゲゲっ、頭をぶつけたからか??でも、とにかく降りなければ…。相棒に説明して、すぐに前を歩いてもらい、ボンヤリした視界のままで、急峻な尾根をなんとか下った。行者小屋からも大変だったが、なんとか美濃戸まで普段の4倍もかかって下り、小屋で話したら「目玉が凍ったんだ」とオバチャンに言われた。でも、心配だったので、降りてすぐに病院にてCTを取ったが、幸い異常は無かった。そして翌日、目医者に行ったら、「一皮むけてます」と言われた。両目の角膜が凍傷で剥けていた。帰宅してから風邪で泥のように寝込んだおかげで、早く目玉は治ったが、これは一生忘れ得ない辛い体験となった。

多分、ダメな時を見落するのが一番ダメなのだ。人間の力量なんて自然の前には吹き飛ぶ程度のものだ。それをよく考えないと、命を落とす。

しかし、問題は自然だけでは無い。この夏、二年越しの目標だった前穂高岳4峰正面壁北条新村ルートを登攀した。岩の弱点を大胆についた素晴らしいルートだった。しかし、ルート名に残る北条理一さんは、出征した中国大陸で敗戦の直前に戦病死した。この夏は滝谷も登ったが、そこを初登攀した学生の多くも戦争で死んでいる。戦争中、山屋は「個人主義的な非国民」と迫害されながら、わずかな自由をクライミングにすべて費やした。だが、日本にはリカルド・カシンの様にファシズムと闘った山屋はいなかった。そして国や社会が遭難する中で、雪崩の様に皆が巻き込まれた。北ア・霞沢岳三本槍の初登攀をした中村徳郎さんは「あの時、命をかけても反対していれば」との言葉を残して、戦場に逝ったと聞く。

人間が始める戦争は、人間の手で防ぐことが出来る。ただし、それも手遅れになってからでは間に合わない。そんな思いで、この秋は何度も国会に足を運んだ。時代の波で遭難しないためにダメな事を見抜く事も、地獄を見ないためには欠かせない。