なぜ、山に行くのか


 今年のお題を「な ぜ、○○するのか」としておいてから、「ああ、これは愚問だな」と貧困な発想を呪った。エベレストへの挑戦についてしつこく聞かれ、閉口して「そこに山 (エベレスト)があるから」と答えたママリーならばともかく、サンデー・ナマクラ・クライマーたる私では、「なぜ山に登るのか」なんて語れるほどの山には 行っていないからだ。

 ただ、山に行くという主体的な行為を重ねるからには、その人なりの「理由」というか、「意味」というものはもちろんある。そして、何よりも「自分が自分としてある時を求める」とか、「自分の可能性を試す」ということが、そこに関係していることは間違いない。

 この春、明神岳東 稜に出かけた。明神岳は、上高地・河童橋から見上げた穂高連峰の右側につきだした岩峰の山だ。かなりメジャーになったが、いわゆる登山道はなく、山頂に標 識もない。と言っても、GWの盛りに行ったので、岩場では順番待ちの列ともなった。全装備をザックに担いでのアイゼンでの登攀・・・行ってみればたいした ことはなかったのだが、約1ヶ月前にそれに向けて広沢寺の岩場で訓練をやった。アイゼンと手袋・ オーバーミトンで岩を登り、さらにザックをかついだ。ここまでは、毎年冬の前にもやっていが、今回は最後にザックに荷物を詰め、さらに重くなるように手頃 な石を加えた。ズッシリと荷物を背負うと、岩にアイゼンの歯をしっかりと乗せて、手は肩までの高さでバランス良く登らないとスリップする。その感覚を知っ てこそ、ホンチャンのルートに取り付くことができる。

 実際には、明神岳 東稜のバットレスを難なく登り、雪稜をたどってまもなく明神岳主峰に到着した。なんだかあっけなかったのだが、その後の前穂高岳まで行く途中、コルまでの 下りはなかなか厳しかった。そして、ロープで懸垂下降してコルに下り、登り返して前穂高岳山頂に出ると、あんなに晴れていた空はガスに包まれ出していた。 ここからは前穂高岳の北尾根を下る予定だったが、当てにしたトレースは無く、雪が不安定なので吊り尾根へとルートを変更した。前後して行動してきたパー ティが、吊り尾根から涸沢カールへの懸垂下降ができそうな場所を見つけて声を掛けてくれたので、二つのパーティのロープをつないで岩にかけ、カールの急斜 面へと懸垂下降した。目もくらむ急斜面だが、降り立った雪を削ると顕著な弱層は見あたらないので雪崩の心配はなさそうだ。吊り尾根を奥穂高まで回るとあと 三時間はかかるから、大幅な時間短縮ができる。空からは霧雨がぱらつきだしたので、こんな時こそスピードが安全につながる。こうして、昼過ぎには涸沢にテ ントを設営して、小雨の中だが生ビールを飲みに行くことができた。もっとも、翌日の滝谷は北穂高の登りですっかりアゴを出して断念し、山頂でのんびりして 帰って来たので、ちょっと祝杯が早すぎたのかも知れない。

 山に向かう中で、 私達は自分と向かいあわざるをえない。一歩一歩をどうするか、その選択は自分の自由だ。他人がスイスイ登った岩に苦闘したり、自分だけがバテバテになるこ ともある。どこか気持ちが向かわないと、何でもない所でスリップや事故を起こしがちだ。山から自分が生きて帰るために、そしてそのプロセスを充実したもの として楽しむためには、トレーニングと共に、自分のあり方と心を自分でコントロールできるかどうかも大切だ。

 秋が来て、一番好 きな冬から春、雪山のシーズンが近づいて来た。できたら今年は、アイスクライミングで黄蓮谷から甲斐駒ケ岳の山頂に立ちたい。一の倉沢の手が切れるような ナイフリッジの雪稜ルートである一の沢・二の沢中間稜にも行ってみたい。・・・行けば、きっと「生きて帰る」事で必死になるのだが、それでも思いは消えな い。いつまで、どこまでできるのだろうか、今の自分に出来るのだろうか、いま何をしておくべきだろうか、と自問する日々がまだしばらくは続く。そして、そ れが生きることの一つの姿なのだ、と思う。