巻頭言 風が吹けば桶屋がもうかる
去年、「合宿参加者が20名を越えた」と書いたのだが、なぜか、今年もたくさんの中1が入部した。さらに、「兼部者もいるから、合宿の人数は減る」との予想に反し、申込が31名となった。
こうなると困っ
た。予約しようとした神津島への安い船は「満席です」と言われて、翌朝の高速船で行くハメになった。さらに、島内でのレンタルサイクルも、「その人数で
は、まるまる一日でないと予約できない」と断られた。だいたい、引率規程という奴があるので、この人数では顧問一人だけで実施することも出来ない。よもや
野活の合宿が、こんな人数になるとはまさに「想定外」である。さて、参った。
このうち引率につ
いては、学校長・企画委員会に相談して、卒業生を臨時にコーチとして委嘱してサポートしてもらう、という事で合宿実施の見通しが立った。しかし、いったい
どうやってこんな大人数での合宿を成り立たせるのか、中心となる高2にはとても重い課題が課せられた。
もちろん、こう
なったのには理由がある。まず、神津島のキャンプ場は、「風呂付き」「シャワー付」「共同の冷蔵庫付」という野活史上で例のない、「軟弱キャンプ場」であ
る。いつもの様に二日や三日は風呂に入らない場所を選べば、参加者はもっと減ったかもしれない。夏合宿の場所は、高2を中心にいくつかの場所の案を持ち寄
り、ミーティングで中1が入部する以前に投票で決めたのだが、部員がこぞって軟弱な場所を求めた結果だ、と言えなくもない。昔やったような事前にボッカ訓
練を必要とする様なコースだったら、まあ半分は脱落するかなとも思う。
それにしても、だ
いたい野外活動部なんて部活は、はっきり言って「スキマ部活」のはずであった。他の部活では居着けない、焚き火や釣り、怪しい探検ならば三度の飯を忘れる
ほど大好きなのだが、由緒正しい団体生活みたいものにはなじまない・・・そんな諸君が野活部を作ったのだった。それがどうしたことか、入部希望者が文化部
で一番多いとは、どこかおかしい。何か重大な思い違いをされているのか、それとも体罰が話題で厳しそうな部活は避けられたのか、はたまた現在の高校2年生
諸君はよほど口が上手いのか・・等と思い悩むハメになってしまった。
こんな風に書くの
には、それなりの理由がある。だいたい多人数の集団は、キャンプ場や釣り場、山などでは周囲には迷惑な存在でしかない。電車の乗り換えや路線バスでも他の
人には本当に迷惑である。さらに、人数が多ければどうしても、「全体の掌握」とか「団体行動」とかという「人間様の都合」が優先せざるを得なくなる。「何
時に寝ろ」「いついつ集合」「話しを聞け」「整然と並べ」などの事を重視しないと、群衆となってしまって、必要な情報が伝わらず、何が起きるかわからない
のだ。
だ
が、自然の中での活動で最も大切な事は、「自然の都合」(天気だったり、地形だったり、生態系とかのいろいろな諸条件とその変化)を身体で感じて行動でき
るようになることだ。それが多人数だと、人の動きとか、集団の動きに個人が埋没してしまう。そんな感覚に埋没した人間は、身に迫る危険を知ることが出来
ず、馬鹿らしい事故に遭いやすくなる。例えば、迫る津波を前に「まずはグラウンドに整列しろ」などと求めたらどうなるか、考えてみればわかるだろう。合宿
で「山道では山側によけろ」とマジに怒鳴りつけた事があったが、それは「落ちて死にたくないだろ」という純粋に自然とのつきあい方の事だった。何が大切
か、何を得るのか、が多人数では逆立ちしやすいのだ。
そ
れにしてもたくさんの部員が集まった現実を前にして、この部活は何ができるのだろうか。人数の多い少ないにかかわらず、野活部は「部が何かを与えてくれ
る」所ではない。一人一人が自分の求めることを、釣りでも、キャンプでも、山でも、自分自身で取り組みながら、部として皆でできることを探って行くのが創
部の基本だ。その基本に立ち返って、また新たな一歩を模索するしかないのだろう。この「風」の吹いた先の結論は、まだ見えていない。