“山”のススメ

顧問 熊野谿 寛

 

 巷は「山ガール」がブームで、最近はどこに行っても若い人が多くなった。映画でも「剣岳 点の記」は中高年ばかりだったが、漫画の「岳~みんなの山」は若者に大人気で映画にもなり、実際に冬の赤岳鉱泉で「岳を読んで山を始めた」という若いご夫婦と話し込んだこともある。山の懐に抱かれて飲む一杯のコーヒーの味~それを知る者には「岳」の世界は実に魅力的だ。私も「岳」は全巻を買って読んだ。

 

もっとも、本当の山には三歩さんみたいな人はいない。実際に人を一人でも担いで下山するのは、やってみればわかるがとてつもなく大変だ。岩場であればなおさらだ。セルフレスキューの最低限の訓練を少しやるだけで、「こりゃあ、本当だったらどこまでできるだろうか」といつも考えてしまう。ちょっと30kg程度の荷物をかついだだけでヒーヒーと言っているのでは、人を担いで安全に降ろすどころではない。わずかな訓練だが、その度に「事故ってはいけない」と思いを新たにする。

 

 この春から、仲間に恵まれて数年越しの目標をいくつか登攀できた。3月の谷川岳東尾根は雪稜の素晴らしいクラシック・ルートだが、条例による危険地区立ち入り禁止の直前に、天気に恵まれて登攀できた。足下に隠れたクレパスを探って渡れる所を探し、足下から雪がスーッと数百m下まで落ちて行く雪壁を乗り越えて山頂に至った。雪と格闘した末の山頂は、まさに至福のひとときだった。

5月には途中から小雨・雪・みぞれと悪天候となったが、前穂高岳北尾根を登攀した。岩場の順番待ちで2時間近くロスしたが前穂高岳の山頂に立ち、同ルートを慎重にザイルを使って降りてきた。涸沢に戻ったテントで私達は安堵しつつ祝杯をあげた。しかし、同じ頃にすぐ目と鼻の先で必死の夜間救助の苦闘が続き、残念ながら8000m峰遠征経験のある一人が亡くなった事を下山して知った。本当は誰も死ななくてよかったはずなのにどうして・・・という思いは決して消えない。

 この夏は剣岳に向かった。重荷にあえぎながら雪渓のビバーク地にテントを張り、周囲にある剣岳の岩場を楽しむ。チンネ左稜線の核心部で雨にたたかれ、クライミングセンスは抜群だが山に慣れないRさんが、寒さにふるえが止まらなくなった。だが、こんな時に「あと何年山に行けるかしら」と言っていた70代のMさんは動じない。若い方が体力はあるに決まっているのだが、キャリアと経験の値打ちはこういう時に出る。ビシッと背筋を伸ばしてRさんを励まし、ルートの最後を登り切った。そんなMさんの“長年の憧れ”だったチンネを共に登攀できた事を、私はとても誇りに思う。

 

 岩と雪に遊び、沢と藪に戯れる。~私のイメージする“山”はそうした世界だ。決して楽ではないし、何のトクにもならないが、そこに向かうことで得られるものは実は大きい。何よりも山に向かうことで自分自身を知り、仲間を知り、生きることを見つめることができる。そして、自分らしく生きることを求めることこそが、私にとっての“山”に求める本質であるのかも知れない。誰でも自分の足で人生を歩かなければならないからこそ、“山”にはその本質に通じるものがあるように思われる。

「よくがんばった」と仲間達と生きてお互いの健闘を認め会える時を求めて、今年も氷雪が岩を覆う一年で一番楽しい時期がそこまでやってきている。