夢見るアウトドア

  

 今年の部誌の「お題」は、少々ネタ切れで「夢見るアウトドア」(私は自然の中で○○をしてみたい)とした。こうした場合、「夢」というのは多くは現実と切り離せないものだ。実際、見たことも聞いたこともない対象は、「夢」にはならないだろう。だから、部員諸君に書かせると、それまで経験した中から考えて書くことになる者が多い。でも、本当は自分が体験した事のないものについて、もっとどん欲に関心を持つと良いと思うのだが。

 

 50歳を過ぎてから、人生で初めて骨折と入院・手術を経験した。病院から見える富士山や丹沢の山々を遠くに眺め、綺麗な日の出を見ながら「クライミングへの復帰」まで明るく頑張ろうと心に決めた。どんな怪我や事故にも必ず原因がある。そして、もちろん外的な要因が支配的で不可避な場合あるが、たいていの場合は怪我も事故も回避できるはずなのに、自分が何かを見落としてハマって起こる。だから、自分の怪我や事故を他に責任転嫁してはならない。そして、起きた事は事実として受け入れるしかないし、その上で自分はどう生きたいのかを(生きてさえいれば・・・だが)見つめて前向きに進むしかないのだと思う。そう思うと、バスや電車で座席を譲ってくれる人に「ありがとうございます」と毎日言える生活は、決して心に悪いものではなかった。

 足首を固定していたボルトが抜けてリハビリが始まった最初、学校から鵠沼海岸駅まで歩くのに40分もかかった。でも、考えたら駅まで歩いて数時間なんて事は、山ではよくある。動けないよりも、「山に行けないけどそれだけ長く歩けて良かった」と思うことにした。やがて松葉杖が手から離れると、駅や街が一番恐ろしくなった。トロトロしか歩けないのでジャマで目障りなのだ。ああ、オレもそう思っていただろうなぁ、と知る。そして、休みの日に近くの日帰り温泉まで、「遠足」をした。1時間かけて歩き、一風呂浴びて一杯やり、昼寝をしてから、また歩いて帰ってきた。畑の間を通る散歩道が整備されているのを「発見」し、「ここもいいじゃん」と不思議と幸せな気分になった。

 4月の終わり頃には、高尾・陣馬山あたりを歩き出した。無線機をかついで登り、帰りにストックを一本だけ使ったらとても足が楽だった。なるほど山でストックを使う人はこんな具合なのか。GWに久しぶりに鍋割山に行き、6月には表尾根を十数年ぶりに歩いたが、沢登り以外で丹沢に行くのは何年ぶりだろう。つつじの花がいつもより綺麗に見えた。

夏になって、岩登りのトレーニングを再開した。夏の日差しで暑い岩場に汗を流しながら、クライミングシューズで岩に乗る感触が甦ってくる様だった。お盆明けに、ようやく復帰第一弾として剣岳の岩場(八ツ峰六峰Cフェース)を20歳上の相棒と登攀した。霧雨が途中で強い雨になり岩場は滝と化したが、花崗岩のフリクションはすばらしく最後まで登ることができた。そして、9月になってようやく丹沢での沢登りも再開した。まだ、足首の硬さが残るが、沢でナメを歩く中でリハビリをはかるのだ。

秋を迎えて、当初の目標にようやく少しは近づくことができたと思う。雪山、アイスクライミング、冬壁の登攀など、私が一番好きな世界がそこまで近づいている。でも、まだ右足ふくらはぎの筋肉が左足よりも細くて足が弱い。冬までに鍛えなくては、と駅で電車を待つ合間などに、片足つま先立ちのトレーニングを続けている。去年から行こうと思っていた河原木場沢の大滝、谷川岳東尾根、阿弥陀岳北西稜、滝谷第二尾根など、たくさんの目標がその先にあるのだから。

一日の登攀を終えて、日暮れた雪のベースキャンプに戻る。厳しかった登攀を振り返りつつ、ささやかな祝杯をあげて次への夢を語り合う。そんな日々こそが、私の目下の「夢」となっている。